1-1 出発
昼過ぎの集合なので、ゆっくりの出発となった。が、それはそれで中途半端な時間をもてあましてしまう。ということで、予定よりかなり早く家を出た。
駅の近くで朝食をとってもまだ早いが、そのまま電車に乗り込んだ。その後は、noriが時刻を調べながらの乗り継ぎとなった。
まずは快速からお茶の水で各停に乗り換え、浅草橋で地下鉄に乗り換えた。それから押上、青砥と行き、そこから特急でやっと成田空港行きに乗換た上で空港に着いた。こんな複雑な行き方は初めてだった。
ところで今回は新型インフルエンザの猛威がまだ収まっていないと言うこともあって、わざわざ旅行会社からマスクを送ってくれていた。が、空港では殆どマスク姿の人は見かけなかった。
1-2 空港にて
今回は第一ターミナルの北ウイングが集合場所だ。空港は、前回の時よりも混んでいた。
集合時刻まではまだかなり時間があるので、まず南ウイングへ行っていつものJCBでアメリカの地図を手に入れた。ついでに両替。本当は50$札がほしかったのだが、無いということなので全て100$札にした。ちょっと使い勝手が悪いが、非常用とすることにした。
それでもまだまだ時間があるので、JCBのカードラウンジへ行った。ここは飲み物が飲めるのでいいのだが、以前より狭くなった気がした。客も少なかった。
ようやく集合時刻になったので、まず荷物を受け取った。それからG3へ。受付を済ますと、Bブロックへ行って自動チェックインをしてくれと言われた。初めてのことだったが、いい経験だと思ってそこへ行ってみるとかなり混雑していた。ようやく番が来て、画面の指示に従って進めていく。驚いたことに、noriのパスポートをチェックするとすぐに二人分の搭乗の確認画面が出た。そこには行き先は勿論宿泊先まで記されていた。確認しながら進めていき、そこでマイレージも入力し、最後にjunのパスポートをチェックしておしまい。搭乗券と荷物の札が出てきた。荷物札は係員がスーツケースにつけてくれた。
搭乗券には、乗り継ぎ便の分までの座席が記されていた。紙も以前のようにしっかりしたものではなくペラペラだ。いやあ、いろいろと進化しているのだ。それについて行けるかどうか、これからが心配になった。
再集合の後は自由になったので、出国手続きを済ませて、いつものKALラウンジへ。ワインなどを飲みながら時間をつぶす。
3時頃に搭乗口へ行くと既に搭乗が始まっていた。40分発なのに早い。
1-3 機内にて <NW 010 37AB>
この飛行機は2-4-2の並びなので、ABという窓際の二人席が割り当てられていた。noriが窓際で写真を撮るのにちょうどいい。アテンダントに日本人が一人しかいなかったが、機長の説明がある度に日本語で通訳してくれていたので、様子がよくわかった。
ほぼ満席の機体は、15時47分に離陸。シートベルトサインが消えるとすぐにおしぼりのサービス。それから飲み物のサービスがあり、我が家は二人とも赤ワイン。
夕食はチキンはビーフ。一つずつ頼んだ。ビーフはハンバーグだったが、おいしかった。チキンはチキン丼と言ったところか。また赤ワインを飲んだ。
その後は居眠りをしたりゲームをしたりして過ごした。座席ごとに液晶画面があるのだが、映画のプログラムに余り興味が持てなかったので、見ることはなかった。
日が上がって外がまぶしくなってきた頃おしぼりが配られ朝を告げられた。朝食は簡単なものだったが、junはパンを食べなかった。
ソルトレイクに近づくと、確かにその名の通り、塩が浮き出している光景がずっと続いていた。
ソルトレイク到着は11時30分の予定だったが、何とそれよりも1時間30分も早い10時に着陸した。ただし、ゲートが混雑していると言うことで、しばらくそのままで待たされた。ようやく降りたとき少しむっとした感じがしたが、気温は24度と言うことだからそんなに暑いわけではない。機内が寒かったからそう感じたのだろう。
1-4 ソルトレイクにて
通路に日本人だけの行列ができた。日本人だけのパスポートコントロールがあるそうで、そちらへ誘導された。窓口は7つ開いていたが、長い列のためになかなか進まない。我々は一番最後の団体であったせいか、簡単に手続きが済んだ。本来なら指紋の採取と写真撮影があるはずなのだが、パスポートにポンと判子を押したらOK、行っていいよという仕草をされた。えっ?と一瞬思ったが、さっさと進んだ。でも、何故?我々の前の人達はきちんと行っていたのに。グループの他の人はどうだったのだろう。
目の前のターンテーブルに荷物があるので、すぐに受け取ることができたが、どうしてこれらが日本人のものだとわかるのだろう。もしかしたら、ここは日本人の団体口だったのかもしれない。それならば皆旅行会社の同じマークをつけているからわかっても不思議ではない。二人ともスーツケースを開けられた形跡はないようだ。
到着はDブロックだったので、スーツケースを持って税関の書類を係員に渡し、Eブロックへ移動するために、その区域から出るとそこからは日本語の表示がされていた。それに従っていくと乗り継ぎ用の荷物預け所があった。勝手に自分達で動いているレーンにスーツケースを乗せた。大丈夫だろうなとちょっぴり不安がよぎる。ここまでで11時24分。着陸してから約1時間半もかかっている。
それから乗り継ぎの手続き。といってもセキュリティーチェックを受けるだけなのだが、靴まで脱ぐ厳しさだ。しかし、すんなりOK。今回は誰も引っ掛かるということはなかった。
Eブロックへ行ってみると驚いたことに、一間幅くらいでEナンバーのカウンターが10以上も並んでいる。ために待合室はごった返していた。でも飛行機の方も次から次へ出て行くので、直ぐにがらんとした感じになった。
それからまた自由時間。何しろ早く着きすぎてしまったのもあって、次の乗り継ぎまで3時間も時間がある。やることもないので、電源を探して少しパソコンをやり、後は居眠り。
ようやく搭乗時刻になったので、入り口を入ると何のことはない、Eカウンターで受け付けた人はどの番号からでもその後ろの通路に出るようになっている。「To 20」と言われたので、その番号の所を探して長い通路を進んでいく。奥の方にあったので長い道のりだった。そこから飛行機に直接つながっている通路を歩いてようやく搭乗。
1-5 再び機内にて <DL 4666 3AB>
今度は1時間という短いフライトだ。飛行機も50人乗りと小さい。操縦席も開いていて見える。ハイジャックなどここでは関係ないという雰囲気だが、今日は9.11。アメリカにとっては悲劇の日なのに。
そんな小さな飛行機なので、アテンダントはたったの一人。早口でペラペラといろいろと説明をしていた。客の荷物のチェックも厳しくて、見ていると飽きなかった。
小型機なので揺れるかと思ったが、離陸もスムーズに行った。安定するとすぐに飲み物のサービス。プリッツとピーナッツ。それからコーヒーを頼んだつもりがコークになってしまった。こっちの発音も悪いのだろうけれど、一人で忙しそうにやっているので、まあ仕方ないか。
飛行中も着陸時も殆ど揺れというのを感じなかった。
1-6 ボーズマン
ボーズマンは要するに田舎町だ。空港も小さい。駐機している飛行機も小さいものばかりだ。個人用かもしれないと思えるものが何機もあった。
空港の建物は木造で趣がある。中の飾りも自然の動物たちのレプリカ(剥製ではない)が、おいてあったりしてなかなか工夫されている。木の屋根組や木の階段など、ある時期の西部を彷彿とさせる雰囲気に造られている。
そこからホテルへ向かう。見える山並は茶色に見え、木がないのかもしれない。所々に牧場のような施設が見える。
1-7 ホテル ハンプトンイン 127号室
ホテルは道路からちょっとだけ入った所にある閑静なホテル。余り大きくはないが、部屋は広い。しかもベッドはダブルベッドのように大きいものが二つ。スーツケースを広げるにも十分なスペースがある。(ホテルの玄関前のポールには半旗が掲げられている。)
浴槽は深さがないので、腰までようやくつかるほどのお湯しかためられないが、温度的には十分だ。
1-8 買い物 (1728~1810)
夕食まで時間があったので、近くのスーパーへ行った。道路を横断しなければならないのだが、人間用の信号の変わるのが早いこと。駆け足状態で渡りきった。
行ったのは、「ウォールマート」という日本でもおなじみの大スーパー。店内の広いこと広いこと。何でも売っている感じだ。この日、ほしかったのは水。探すのも大変だったがどうにか見つけて、日本のイメージで1リットル程度のを買おうとしたが、そんなのはなかった。仕方がないので、1ガロン(3.75L)のものを購入した。すごいタンクだ。それとビール。ばら売りはないので、これも6本セットのもの。レジの近くに500ccの水があったのでそれも購入。これで締めて5.55ドル(この時点邦貨約500円)。安すぎて支払うときにびっくりした。
1-9 夕食 (1840~1930)
夕食は近くの「パンダ」という中華レストランへ。歩いて行くのかと思ったがバスで送ってくれた。ただ、そうなるとぐるりと回るので、10分近くかかった。
内容はビュッフェスタイル。30種類程度の料理が並んでいて、どれもおいしかった。最後はソフトクリームで閉めた。
1-10 ホテルで
ホテルへ戻ってから、入浴と洗濯をして、寝る前にはビールで乾杯。2100にはベッドに入った。
ガイドさんが、ここは乾燥してます、といっていたが、その言葉通り、洗濯物は夜中には乾いていた。いつもなら、靴下はドライヤーのお世話になるのだが、その必要もなかった。