アメリカ合衆国西部国立公園周遊

9月24日(木) 晴れ

起床(0450)オークハースト・ホテル発(0700)朝食(0702~0738)サンフランシスコベイブリッジ(1125~1140)昼食(1205~1250)サンフランシスコ・ホテル着(1300)ケーブルカー体験(1315~1450)ホテル着(1450)散策(1600~1930)就寝(2330)


14-1 朝

USANP10_09_11558.jpg 起床(0450)。今日も出発が早い。ホテルにレストランがあれば、調節ができるのだが、また外へ食べに行かねばならない。眠い目をこすりながらの起床となった。といってもモーニングコールの1時間以上も前だから、我が家の勝手というべきか。
 しかし、幸いなことにインターネットが無料で使えるので、退屈することはない。



14-2 朝食(0702~0738)

USANP10_09_11562.jpg オークハースト・ホテル発(0700)。ホテルを定刻に出発してすぐに朝食のレストランへ。昨日と同じ所。でも昨日より遅かったために、今日はオープンだった。昨日と違うメニューで用意してくれていた。また、ジュースをゲットしてバスへ持ち帰る。noriも今日はジュースにした。



14-3 サンフランシスコへ

USANP10_09_11587.jpg サンフランシスコへの道は、昨日とは打って変わって緑豊かな牧草地帯を走る。途中の畑にはトウモロコシが見られた。バイオ燃料の関係で、最近栽培量が増えたのだそうだ。


USANP10_09_11610.jpg 途中、果物畑も見られ、その話をしているときにバスはフルーツランドという農園直営の店へ入った。観光客相手の店で、その後も次々に大型バスが入ってきた。
 そこで、noriはjunのためといってピスタチオを購入。とても一人では食べきれないほどの量だ。そこで買い物をしているときに、ちょうど道路沿いの線路に客車が走って来た。音を聞いてすぐに飛び出したのだが、写真を撮るには間に合わなかった。
USANP10_09_11641.jpg アメリカには線路がたくさん敷かれていて、ただその殆どが単線で貨車は見ることがあっても客車はなかったので非常に残念だ。代わりにその後バスに併走して走っている貨車を撮りまくった。



14-4 サンフランシスコ

USANP10_09_11681.jpg とうとう最後の訪問地になった。これまでアメリカに対するイメージは、汚い怖いというものだったが、行った所がよかったせいか、落書きが殆ど見られなかったしゴミも落ちていないので、道路はきれい、建物もきれいだった。周りは芝生というのが多かったが、思ったよりも小さく、集合住宅は見られなかった。車の運転も整然としていて、フリーウェイでも乱暴な運転は目にしなかった。
 が、それはこのサンフランシスコに来て一変した。やはり大都会はイメージ通りだった。と言うことは我々が構築してきたものは、ニューヨークやらの大都会のものがインプットされてきていたのだと感じた。映画による影響も大きい。特にjunはアクションものが好きなので、都会の悪を演じるものを好んでみているせいもあるだろう。
 いずれにしろこの町には物乞いも多く、サイレンの音もひっきりなしに聞こえていた。町もごみごみしており、朝晩の霧も最悪だ。



14-4-1 サンフランシスコベイブリッジ(1125~1140)

USANP10_09_11738.jpg オークランドからサンフランシスコへの二階建ての橋を途中で降りて撮影タイム。この橋は吊り橋で、上下がそれぞれ一方通行になっているという大きな橋だ。長さもかなりある。


USANP10_09_11779.jpg その向こうにサンフランシスコが見えるのだが、かなりガスっていて余りよく見えない。アルカルトス(獄門島?)というアル・カポネも一時拘束された島というのも海にかすかに浮かんで見える程度だ。あそこにゴールデンブリッジがあります、と言われてもそのかけらさえも見て取ることができなかった。



14-4-2 昼食(1205~1250)

USANP10_09_11844.jpg 昼食は「SANNRAKU」という日本食レストラン。カリフォルニア巻きと天ぷらそば。二人とも完食。
日本人もいたが、殆どのスタッフは日本語のわからない東洋人だ。たぶん中国人だろう。
 この町にはチャイナタウンがあるくらい中国人が多い。通りを歩いていても中国語の看板が多い。そんな中で日本レストランが何軒か目に付いたが、数は少ない。ただ、寿司や天ぷら、照り焼き、カラオケなどローマ字ではあるが日本の言葉が定着はしているようだ。



14-4-3 ケーブルカー体験(1315~1450)

USANP10_09_11853.jpg サンフランシスコ・ホテル着(1300)。
 レストランからホテルまでは徒歩。まだ部屋に入れないということで、それまで自由時間となった。大きな荷物はロビーの所に置いて身軽になり、早速サンフランシスコ名物のケーブルカーに乗りに行った。


USANP10_09_11870.jpg とにかくこの町は坂がすごい。かなりの急坂で、これではケーブルカーも重宝されるだろう。まず、その坂をどんどん上っていった。が、noriの目指す方向が反対だったようで、かなり坂を上ってもケーブルカーの切符売り場には出なかった。よーく地図を見て反対だということが確認されたので、戻って、ホテルの前を通り過ぎて、ようやく着くことができた。
USANP10_09_11880.jpg 切符売り場はすぐにわかったが、あるはずのインフォメーションセンターが見つからない。仕方ないので、人のやることを見て切符を購入。それまでに7,8mの行列ができていた。今回購入したのは、1日券。11$なり。夕方も添乗員さん達と出かけるので、1回5$の券をそのたび購入するよりもお得だからだ。券はスクラッチで今日の日付の所を削る。小樽のバスと同じ方式だ。
USANP10_09_11890.jpg それから乗り場へ行くとここも長い列。ようやく乗れたのは、切符売り場に並んでから30分以上もたったときだった。ケーブルカーにして6台目くらい。頻繁にくるので、列は長くてもこのくらいで乗ることができた。
USANP10_09_11898.jpg さて、このケーブルカー。よく写真で目にする外側へ立っている人たち。まさにその通りだった。1台に乗れる人数が少ないからだ。と言うのも、前半分の中央部分は運転手の操作席に取られていて、乗客は両側の外1列分の椅子席しかない。その前に15cm位の足乗せ台があり、人々はそこに足を乗せて、振り落とされないように棒にしがみついている。とてもなれない旅行者にはできない技だ。
USANP10_09_11873.jpg また、発着駅では到着したケーブルカーは人力で回転させて向きを変える。これも初めて目にする光景で面白かった。かなり重いだろうから、大変な作業だ。何故か運転手は黒人が殆どで、中国人を一人だけ見た。
USANP10_09_11896.jpg いよいよ出発。運良く中に座ることができた。はじめは平らな道で安定していたが、坂になると体を踏ん張っていないといけない。体が横滑りするからだが、柱をつかんでいるのは我々だけみたいだった。他の人は何でもない普通の電車のように座って話をしていた。そのうちどんどん混んできて、途中では乗れない客も出るようになって来た。と言うことは降りるのにどうしようと不安が大きくなった。終点までいって戻ってくる時間的余裕がないからだ。そんなときにたぶん中国人の一団が降りたので、その後について降りた。今回は経験のためなので、どこでもよかったからだ。
USANP10_09_11899.jpg そこから戻るために反対側のゲーブルカーを待った。今回は混んでいたので、立ったままだ。思った以上に坂の上り下りが大変だった。足を踏ん張り、手で支え、junのその姿を見た目の前の外人さんは笑っていたので、きっとやり過ぎなのだろう。だが、そのくらいしないと倒れそうだったのだ。
USANP10_09_11901.jpg ホテル15時集合に10分ほどの余裕を持って到着した。



14-4-4 ホテル ウェスティン 881号室 バスタブ、インターネット有料

USANP10_09_12092.jpg 五つ星のホテルという触れ込みだが、室内はこれまでとそう変わるものではなかった。アメニティーも特に揃っているわけでもなく平凡。バスタブなど昨日のホテルより小さいし、何よりインターネットが有料というのが我が家には痛い。ただ、ユニオンスクエアの目の前、ケーブルカーの停留所前という利便の良さはある。ブランド店に囲まれているのは我が家には関係ないが、いいのか悪いのか。



14-4-5 散策(1600~1930)

USANP10_09_11902.jpg 15時30分に集合して散策へ行く予定だったが、添乗員がエレベーターに閉じ込められるというアクシデントがあって30分遅れての出発となった。遅れた理由がわからず待たされた我々はいらいらしたが、添乗員はエレベーターの中からフロントに,日本人グループにその旨連絡してくれと言ったそうだが、そんなグループはいませんという冷たい返事だったそうだ。このホテル、従業員の質も五つ星とはいえなさそうだ。



14-4-5-1 またもやケーブルカー

USANP10_09_11928.jpg それはさておき、ケーブルカーの始発まで歩いた。我々の経験から、ホテル前では乗れそうにないし、たとえ乗れても座ることは不可能だと思ったからだ。やはり列ができていたので、我々は乗る方の列に並び、添乗員には切符購入の方へ行ってもらった。切符はいちいち購入するのが面倒なので、結果的に1$高くなるが、記念品代と思って1日券購入を勧めた。目的地はヒッシャーマンズワーフ。乗る線はパウエル・ハイド線。
USANP10_09_11943.jpg 外側の席が降りやすいからと皆に勧めて、要領よくその席をゲット。ちょっと寒いが、外がよく見えるので楽しみもある。数駅先で目の前に人が立ったが、それもまた楽し。



14-4-5-2 花の道

USANP10_09_11950.jpg まずは途中下車で花の道を歩く。上から下への急坂の道がくねくねと曲がりその両側に紫陽花の花がきれいに咲いている。その狭い道を車が好んで走る。それが絵になる光景を作り出している。が、歩く方は車に気をつけながらになるので結構大変だ。また、目の先には町並みも見え、景観が素晴らしい。歩いてみる価値はあると思う。



14-4-5-3 ヒッシャーマンズワーフ 

USANP10_09_11969.jpg そこからしばらく歩いてようやく目的地のカニの看板が見えた。ピア39はその先だが、まずは並んでいる屋台?の店店を覗いて歩いた。カニやエビが食べやすいようにカップに入って売られていたが、それぞれ10$近くして、そう安いとは思えない値段が付いていた。
 ピア39は思ったほど広くはなかった。そこで自由になったので、我が家は突端まで行った。シーライオンを見るためだ。
USANP10_09_11981.jpg これが行って見るとすごいの一言。junが予め調べていた資料の写真で、岩礁だと思っていたのが実はこれ全てシーライオン。二重にも三重にもおり重なり合っている姿だった。


USANP10_09_11987.jpg そんな中でのんびり寝ているのもいれば戦い続けているのもおり、さながらシーライオンの島だ。所で、このシーライオン、日本語で表すとアシカ。
 本来ならこの後、クルーズ船に乗る予定だったのだが、あまりにも寒くなってきた上に、ガスっていて殆ど何も見えないので我が家は乗らないことにして集合場所へ戻ってみると、もう最終便が終わっているというので、我が家はすぐにホテルへ戻ることにした。夕食が付いていないので、他の人はここで食べていくというので、そこで分かれることにした。
USANP10_09_12035.jpg その後、屋台でブレッドボールというのを購入した。大きなパンをくりぬいてその中にクラムチャウダーを入れてある。持ち帰りが出来るので、温かいうちに中のチャウダーを食べ、後は食べ歩きしながらケーブルカーの停留所へ向かった。
 帰りのケーブルカーは、降りることを考えてまた外側に座った。



14-5 ホテルにて

USANP10_09_11904.jpg 残ったパンをつまみにして最後の夜の宴会だ。就寝(2330)。