アメリカ合衆国西部国立公園周遊

9月14日(月) 晴れのち雨

起床(0450)朝食(0630)イエローストーン・ホテル発(0803)グランドティートン国立公園(0847~1224)ジャクソン(1245~1257)ソルトレイクシティー着(1850)夕食(1915~2030)ホテル着(2040)就寝(2300)


4-1 朝

USANP10_09_02124.jpg モーニングコールは6時半だったが、当然我が家は早い。すぐに身支度を調えた。朝食にはだいぶ時間があったが、まだ外は暗いので散歩というわけにもいかず、部屋の中でひたすら朝食を待っていた。
USANP10_09_02125.jpg ようやくその時刻になったので、レストランへ行くと既に行列ができていた。我が家が一番乗りくらいかと思っていたが、その前から並んでいたようだ。我がグループの人も大半がいたのにはびっくりした。ただ、先に並んでいた人が、4人グループでなければ駄目と言われたとかで誘われたので、待つことなく食事にありつけた。メニューは昨日と全くといってよいほど同じ内容。これは連泊にはきついなと思ったが、こちらでは普通のことなのだろう。
USANP10_09_02132.jpg 今日は雨はやんではいたが、日の出を見るような天気ではない。何とかこの雲が晴れてくれるように思いながら、夕べ書き上げた絵はがきを郵便局まで出しに行った。



4-2 イエローストーンとお別れ

USANP10_09_02162.jpg ほぼ定刻にホテルを出発。まずは今日のお弁当を積み込む。適当に食べてくださいとすぐに手渡された。
 野生動物が見られるといいですね、というガイドさんの声はもう半ばあきらめて聞いていた。たくさんいますよ、ということだが殆ど目にしない。エルクはもう見飽きたし、他のがいい。
USANP10_09_02182.jpg 南ゲートを通過してこれでイエローストーンともお別れとなる。期待にそぐわない所だった。天候にも恵まれたせいもあるだろうが、また来てみたい所になった。



4-3 グランドティートン国立公園(0847~1224)


         より大きな地図で グランドティートン・ナショナルパーク を表示
USANP10_09_02229.jpg 道路が工事中で通行規制があり、なかなか思うよう走れなかったが、ようやくジャクソンレイクが見れるようになった(0920)。同時にティートンの山並みもきれいに見えた。お天気は快晴とまではいかないまでもかなりそれに近くなってきていた。
 グランドティートン国立公園は、3000m級の山々が連なるティートン・レンジを西端として、南北に広がる国立公園。長さがおよそ65kmに及び、標高約4197mのグランドーティートンを最高峰とし、そのうち11座は標高3500mを超える。ここは、今からおよそ8000万年前~4000万年前に形成されたロッキー山脈の造山運動における、最も若い群峰でもある。ティートンにおける美しい峻峰の形成に大きく貢献したのは、氷河による浸食だ。



4-3-1 コルターベイビジターセンター(0935~1000)

USANP10_09_02251.jpg はじめに予定していたビジターセンターが既に休業に入っていると言うことで、ここまで来た。あまり山が見えないので、一寸がっかりしたが、裏へ行ってみてくださいというので裏へ回ってみた。そこには湖があり、ヨットハーバーのようになっていた。
USANP10_09_02270.jpg その湖に目の前に現れた山が映り混んでいる。山の中腹に雲がたなびいているのすら、何とも絵的で美しい。
 ビジターセンターに入ってみると、そこには大きなムースの角が置いてあった。すぐにnoriがモデルになる。こういう所がnoriらしい。



4-3-2 ジャクソンレイクロッジ(1015~1100)

USANP10_09_02333.jpg 次のポイントはロッジ。中に入っていくとロビーに大きな窓がある。そこから窓越しに連山が見える。まるで、額縁に入っている風景画のようだ。これはこれで素晴らしいが、やはり直接目にした方がよい。
 ということでそこを通り抜けて裏へ行くと、目の前に黄葉した大草原が広がる。草原の向こうにはティートン山々がきれいに並んでいる。素晴らしいの一言に尽きる。
USANP10_09_02328.jpg ここが映画シェーンの背景らしい。最後に「シェーン、カムバック」と叫ぶ少年の姿が浮かぶでしょ、たまんないですよね、とはガイドさんの弁。
 その後、車内でこの映画を見せてもらったが、確かにこのティトン山脈が何度もきれいに映し出されていた。ただし、撮影現場はここではなくもう少し離れた所にある、ということを後で教えられた。



4-3-3 撮影ポイント(1120~1125)

USANP10_09_02390.jpg 少し走ってまたバスは停車。ここからがきれいなんですよ、ということでガイドさんのお薦めの場所らしい。確かに湖を挟んで向こうに見えるティトン山脈は素晴らしい。ただ残念なことに雲が多くて折角の山が綺麗に映らない。それでも、角度を変えて、皆シャッターを押しまくっていた。



4-3-4 スネーク・リバー・オーバールック展望台(1140~1155)

USANP10_09_02524.jpg 眼下に蛇行する川が見えた。そこをラフティングのボートが進んでいく。このくらい穏やかな川なら、これも悪くはないと思いながら見ていた。勿論ティトン山脈も青空に突き刺すように聳え立っている。ただ、だいぶ雲が覆ってきた。



4-3-5 トランフィギュレーション礼拝堂(1213~1224)

USANP10_09_02609.jpg 1925年に建てられた。現在もその当時のままの姿で残されており、日曜日のミサも行われている。中には大きな窓があり、そこからはティトン山脈が見える。
USANP10_09_02588.jpg 窓枠を額縁に見立てて、そこに十字架を入れて後ろの山を撮るのがここのポイント。どのガイドブックを見てもその様な写真を載せている。ミーハーな我が家もすぐにまねて同じような写真を撮る。
 が、それだけが見どころではなく、木製の壁や天井など、建物自体も魅力的だ。
 当然だが、noriはお布施を忘れなかった。



4-4 ソルトレイクシティへ

ジャクソン(1245~1257)ベアレイク(1555)買い物(1735~1750)ソルトレイク沿い(1814頃~)

USANP10_09_02645.jpg 全ての観光を終え、今日の宿泊地ソルトレイクシティへ向かう。ここからは長い移動になる。ということで、昼食はランチボックス。各自バスの中で自由に摂ることになっている。第1日目に乗り継いだ飛行機の分をおおかた戻るという計算になる。
USANP10_09_02659.jpg 途中ジャクソンという町を通過。グランド・ティートン国立公園、イエローストーン国立公園へのアクセスの玄関口となる町で、19世紀初頭にこの地をわな猟の拠点とした、毛皮商デイヴィット・ジャクソンにちなんで名付けられた。エルクの角(アントラー)で飾られた、タウン・スクエアを中心に広がるこの町は、年間を通じてあらゆる種類のアウトドア・アクティビティを楽しめ、夏期には年間約250万人もの観光客が訪れている。それを証明するかのように、スキー板で作られた塀なども見られた。
USANP10_09_02735.jpg その後も長い移動が続くので、バスの中では映画「シェーン」の上映が行われた。字幕が小さくてよく見えないので、寝てしまった。
 アイダホ州に入って1度目のトイレ休憩をとる。一寸雨が降り出してきた。ここでまたビールを購入。というのも、先に買い込んだのが実はノンアルコールビールだったということが判明して、ショックを受けたからだ。全くいくら疲れていたからといって、ノンアルコールでその気になっていたとは・・・。安いはずだった。
USANP10_09_02824.jpg 15時55分頃にアイダホ州とユタ州にまたがるベアレイクという淡水湖を通過。2万8千年前に地震によって出来たそうだが、水の色が何ともいえず綺麗だった。
 ユタ州に入るとモルモン教徒の説明があった。この道をかつて幌馬車を連ねて西部に渡ったんですよ、大変な苦労だったでしょうね、ということだが、まさにその通りだろう。原野を切り開きながら進んで行ったそうだ。このユタ州というのは、モルモン教の中心でソルトレイクシティの実に70%が教徒なのだそうだ。
USANP10_09_02838.jpg 次のトイレ休憩はいつものようにガソリンスタンドを使わせてもらう。こちらはガソリンスタンドには店がつきものなのだ。そこでいつものように買う当てもなくふらふらしているとnoriがこれが欲しいと騒いでいるものがあった。それは1m以上もある女の子の人形。桃子にかってあげたいという。結局購入したのだが、メンバーにいろいろ聞かれて孫のためと説明した。(後日談:この人形思いの外母親が気に入ってくれて、早速キャメロンという名前を付けて親子共々に可愛がっているという。嬉しいことだ。)
 ようやくソルトレイク(湖)が見えてきた。長さは120km、深さが10mもあり、塩分は死海の次に濃く、年間で40万トンもの塩を生産している。その湖が見え隠れする道をしばらく走った。
 もう日は暮れかかってきた。ホテル到着は夜になりそうだ。



4-5 ソルトレイクシティー着(1850)

USANP10_09_9002.jpg ユタ州の州都であり、政治、経済、文化の中心地であるソルトレイク・シティ。その美しい都市環境の首都圏には、約70万人の人々が生活している。
 1847年7月24日、ブリガム・ヤング率いるモルモン教の開拓者グループが到着した当時、この地域は、メキシコ領であった。しかし、メキシコ戦争(1846-1848)の結果、アメリカに割譲された。(掲載したスケッチは久米邦武編集の「米欧回覧実記」慶應義塾大学出版会より)
USANP10_09_02908.jpg ソルトレイク・シティの名称は大塩湖グレート・ソルトレイクに由来し、開拓者の努力によって街が切り開かれたが、この街の繁栄に拍車をかけたのが、1848年にカリフォルニアで巻き起こった金鉱発見、いわゆるゴールドラッシュである。そのため、街は金鉱探しの人々にとり「クロスロード」として活気を帯びた。また街でも銅に次ぎ銀鉱が発見され、一躍工業都市に成長し、人口も急増した。そして1896年、アメリカ第45番目の州として承認され、現在ではハイテク産業といわれるエレクトロニクスなどの先端産業の拠点となっている。
 我々も、長い道のりを終えてようやくソルトレイクシティーに着いた。車の列と明るい光にホッとした。市内に入ると見慣れた都市の光景だ。自然を見に来ていながら都会の灯りにホッとするとは、情けない。



4-6 夕食(1915~2030)

USANP10_09_02885.jpg ホテルへ行く前に夕食を撮ることになった。バスから降りたとき、あいにくの雨。その中を少し歩いてレストランへ行く。
 BENIHANA(紅花)という日本食レストラン。1階は寿司、2階は鉄板焼きの店だ。我々は2階へ行く。焼き手が目の前でパフォーマンスを見せてから、ズッキーニや玉ねぎ、エビなどを次々に焼いていく。これが人気になってチェーン店が出来ているそうだ。我々以外にも客が結構入っていた。
 エビなど焼くときはごちゃ混ぜに焼いているのに、皿に取り分けてくれるときにはちゃんと同じ数になっていた。最後はサーモンの包み焼き。ハンバーガーばかりの胃には優しい食事だった。



4-7 ソルトレイクシティ・ホテル着(2040) レッドライオン 306号室 バスタブ有り、インターネット可

USANP10_09_02899.jpg 我々が食事をしている間にガイドさんがチェックインを済ませていてくれたので、すぐに部屋に入れた。
 2日ぶりにゆっくりバスタブに使って足を伸ばす。その後本物のビールで乾杯して就寝。