アメリカ合衆国西部国立公園周遊

9月18日(金) 晴れのち快晴

起床(0430)朝食(0600)コルテス・ホテル発(0703)メサ・ヴェルデ国立公園(0717~1200)コルテス買い物(1215~1250)フォーコナーズ(1343~1420)、メキシカンハット(1535)一本道撮影(1615)モニュメントバレー(1638~1925)カイエンタ・ホテル着(1955)夕食(2045)就寝(2230)


8-1 朝

USANP10_09_05357.jpg いつものようにモーニングコールより1時間早めに起床(0430)。荷物の整理を終えてバゲージダウンしてから朝食会場へ行く(0600)。早めに行ったので一番乗りかと思ったら、そうではなかったので正直驚いた。本当に今回のメンバーは早い。
 まだ開いてなかったので、待っていると係の人が来て開けてくれた。

USANP10_09_05359.jpg 内容はごくごく簡単なもので、パンと卵程度。ワッフルもあったが我が家は食べず。ここで、驚きの事件。後からやってきたメンバーの一人が、パンにつけるバターと間違えてピーナッツバターの方を取ってしまい、ふたを開けてからそれに気づいて開いたままのそれを元に戻したことだ。それが普段から得意げに蘊蓄を披露している御仁なのだから、全く何をか況んやである。



8-2 メサ・ヴェルデ国立公園(0717~1200) world_heritage_logo2.gif224

・コルテス・ホテル発(0703)看板(0717)ゲート(0721)

USANP10_09_05375.jpg アメリカ中西部にあるコロラド州はロッキー山脈のふもとにあるため標高が高く、また乾燥帯砂漠気候のため雨が非常に少なく日中と夜間の温度に大きな差がある。このようなコロラド州の南西に、スペイン語で「緑の台地」を意味するメサベルデ(Mesa Verde)と呼ばれるユネスコの世界遺産に登録された国立公園がある。ここはアメリカで唯一の自然遺産以外の国立公園で、高度な文明を持ち繁栄したアメリカ先住民族のアナサジ族によって建てられた断崖住居などの遺跡が数多く保存されているところだ。

USANP10_09_05385.jpg いつものように看板で写真を撮る。ようやく昇ってきた太陽が当たってきた山頂が綺麗に紅く染まるのが見えた。
 ゲートを通過したので、すぐにでも目的の地へ到着するのかと思ったら、クニャクニャと曲がりくねった山道をどんどん登っていく。山は既に黄葉しておりその中に珍しく紅く染まった木の葉が見られた。思いがけぬ山の風景を楽しむこと約30分、ようやくビジターセンターに着いた。



8-2-1 ビジターセンター(0754~0837)

USANP10_09_05412.jpg 駐車場からトンネルをくぐってビジターセンターへ行く。外はかなり寒い。クリフパレスの観光はパークレンジャー付きとなるので、まずその予約をしなければならない。この他にバルコニーハウスもレンジャー付きでなければならず、この二つを同日に見学することは出来ない。その手続きをしている間、我々はビジターセンターで待つことになった。

USANP10_09_05415.jpg ここには先住民の生活の様子がわかるパネルや装飾品が展示されていた。
 そこからまたバスに乗って出発地点へと行く。



8-2-2 クリフパレスツアー(0905~1015)

 クリフパレスは、メサベルデ国立公園内で最大規模(断崖中腹に長さ99メートル、幅33メートル)の遺跡。23のキヴァと217の居室があり、200~250人が生活していたといわれている。
 我々が参加するクリフパレスツアーは9時発だ。これが一番早いのだという。
 これは約1時間のコース。約30mの岸壁にかけられた5本の梯子(2m60cm~3m)を登り、石階段を上ったり下ったりしながらの見学となる。歩く距離は約400m。
 レンジャーとの待ち合わせ場所は、クリフパレスオーバールック展望台。そこから対岸にあるクリフパレスの全体が見渡せる。大きな岩盤の下に空いた空間に、一つの村が形成されている。まるでビル群のようだ。ここでその全体の姿を頭に埋め込んだ。
より大きな地図で メサ・ベルデ を表示
 9時にやや遅れてレンジャーが現れた。ダニエルさんという格好いい男性だ。始めに色々と注意が行われたが、早口の英語なので殆どわからない。この人、相手が日本人だからと言ってそういう配慮はなくいつも通りにぺらぺらと話している。尤もこのツアーは我々日本人だけではないのだから仕方ないか。
 鉄の急な階段を下りてそれはスタートした。体がやっと通るような狭い道を抜けて、梯子を登ってようやく座れる所へ着いた。ここが住居跡だ。壁で仕切られて部屋のようになっていたり、逆に足元深く穴が掘ってあったりと変化に富んでいる。

USANP10_09_05441.jpg そこでまた説明が始まる。先ほどと同じ調子で話される。隙を見てガイドさんが通訳してくれるので、少しはわかった。
 岩盤ギリギリまで有効利用していたそうだが、それにしてもこんなに条件の悪い所でよく生活できたものだ。人間の生きるという欲と知恵には感心させられる。というよりこれこそが動物としての本能なのかもしれない。

USANP10_09_05444.jpg 一つだけ、部屋の中がのぞけるようになっている所がある。ただ、小さな窓が一つしかないので順番にと言うことになった。我が家は最後にして、ちゃっかりと添乗員さんに誰もいなくなった所で記念撮影をしていただいた。
 その後は戻ることになるのだが、狭い道はもう慣れたが、長い梯子は怖くて疲れた。


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家の造り(参照:大和ハウス工業資料LinkIconhttp://www.daiwahouse.co.jp/eco/column/world/08.html)

 1100~1300年ごろ(日本では鎌倉時代)アナサジ族は、垂直に切り立った砂岩の断崖絶壁の中腹にあるくぼみに「プエブロ」と呼ばれる集落をつくり、大平原を吹き抜ける強風や敵の攻撃から身を守りながら住んでいました。
  彼らは、住居を南向きの断崖のくぼみに造りました。そのため、冬の日差しはくぼみの奥深くまで差し込み、逆に太陽の高い夏の日差しは自然の岩でさえぎられるようになっています。
  また、断崖住居の外壁には断熱性の高いアドーベと呼ばれる日干しレンガを使用しました。このレンガは、昼は太陽熱を吸収して家の中を涼しくし、気温の低くなる夜は吸収した熱を室内に放出させて暖かくします。
 プエブロの内部は、必要に応じて縦横に建て増されていったため部屋が階層状になって入り組んでいます。その中に、“キヴァ”と呼ばれる宗教儀式や集会所などに使ったと考えられている教会のような場所があります。
 “キヴァ”は、一般的に上層にある広場の地下に造られました。なぜなら、宗教的な観点から地下に降りていくことが重要だと考えられていたからです。
また、“キヴァ”の屋根は平らで地面より少し高い位置にあります。この屋根の真ん中には四角い穴が開けられており、アナサジ族はこの穴からハシゴを使って出入りしていました。
 ハシゴを降りると、部屋の中心に炉が設置され、南側の壁には通風孔が設けられています。通風孔が設けられているのは、儀式のときなどに室内で火を使った場合、屋根にある穴だけでは酸素不足になるので換気をよくするためだと思われます。
また、通風孔と炉の間には灰を溜めておく「灰溜め」や、通風孔からの風によって火が消えないように炉と通風孔の間に石などを積み上げて「風除け」が造られるなど色々な工夫がなされています。



8-2-3 スプルスツリーハウス(1033~1120)

USANP10_09_05617.jpg メサ・ヴェルデで見る所は、いくつかあるのは知ってはいたが、思いがけずもう一つ見ましょうということで、ストップしたのが、スプルスツリーハウスという所。
 ここは最もよく保存されている住居跡。8つのキヴァ(儀式用の部屋)と114の居室があり、当時は100人以上が住んでいたといわれており、キヴァの内部も見学できる。これもやはり対岸に見えるのだが、自由に見学が出来るというので元気な人はそこまで降りていった。造りは殆どクリフパレスと同じように見えるのだが、自由に見られるということは修復がいきすぎた復元かもしれない。

USANP10_09_05623.jpg 我が家は途中まで行きかけたが、その先の道のりがあまりにも長いので断念。既に疲れが足にきているせいもある。そこで撮影ポイントを探して少しウロウロしてから、パチリパチリ。 

USANP10_09_05712.jpg ここにミュージアムがあるので、最後はそこで時間調整をした。先住民の岩絵などがあって、ここにもそれらが残されていたことがわかった。ただ実際のものはここで見る事は出来ないそうだ。

USANP10_09_05664.jpg 代わりにではないが、ターキーバルチャーという鳥が空を舞うのを見た。この鳥は、死肉を食べるのだそうだ。羽を広げた姿はなかなかのものだ。12時にゲートを後にした。



8-3 コルテス買い物(1215~1250)

USANP10_09_05741.jpg ガイドさんが昼食の弁当を積み込みに行っている間、ここでトイレ休憩をかねて待つことになった。我が家は、先日この別の店に行って買い物をしているので、確か子供用品もあったはずだと店内を探し回り、また桃子の服を買った。メンバーにはからかわれたりもしたが、可愛いものは可愛い。



8-4 昼食

USANP10_09_05746.jpg 昼食は今日もランチボックス。車内で自由に食べることになっているお定まりのサンドイッチだ。まあ、時間短縮の意味もあって、我が家は特に問題はない。



8-5 フォーコナーズ(1343~1420)

USANP10_09_05773.jpg アリゾナ、ニューメキシコ、ユタ、コロラドの4つの州が交わるポイント。最近の調査では実際はもう少し東寄りだそうだが、以前からここということでモニュメントも造ってあるので、そのままになっている。十字に交わった所で写真を撮るのがお奨めというので、当然その様にしてミーハー写真を撮った。

USANP10_09_05780.jpg ここはナバホ居住区で結構高い入場料を取るのだそうだ。それがこの人達の生活の糧となっている。周りには土産物店がたくさん並んでいるが、もうシーズンではないのか半分くらいは閉まっていた。ここではインディアンフライという揚げパンのようなものが名物だということで食べている人がいたが、我が家はお腹のことを心配して勧められても辞退。

USANP10_09_05781.jpg ナバホ族はアリゾナ州の北東部からニューメキシコ州にまたがる沙漠地帯に、一定の自治権を保有した「ナバホ・ネイション」として、アメリカ最大の保留地を領有している。つまり、ナバホ居住区は、アメリカでありながらナバホ族の自治区となっている。



8-6 モニュメントバレーへ

メキシカンハット(1535)一本道撮影(1615)

USANP10_09_05823.jpg その後はまたしばらく移動。バスの中では「黄色いリボン」の映画が上映された。ジョンウェンがなかなかわからなかった。多分主役っぽい中年の男性がそうなのだろう。西部劇だから、戦いの場面が多いのかと思ったのだが、意外や人間の内面を描いた面が多かったように思う。
 それが終わらぬうちにモニュメントバレーに近づき、危うく「メキシカンハット」と名付けられている奇岩を見落とす所だった。

USANP10_09_05871.jpg それから映画「フォレストガンプ」の撮影されたという長い一本道で我々も撮影。



8-7 モニュメントバレー(1638~1920)

USANP10_09_05924.jpg ゲートに16時38分に到着。
 『モニュメントバレーは1958年にナバホ族が管理する公園として設立された。したがって、合衆国政府が運営する国立公園ではない。そして、今も約lO家族が公園の中で生活している。ナバホ族はこの地を聖なる地として代々受け継いできた。モニュメントバレーは時の経過とともに自然の浸食作用によって、いつかは現在の美しい景観を失ってしまうだろう。
 人が住み始める遠い昔、モニュメントバレーは低地帯だった。数百億年もの間、ロッキー山脈から浸食によって流れ出た沈殿物が蓄積されたものがこの低地帯に集まり、それから、ゆっくりと地層の表面が下からの圧力で隆起し始め、あるとき低地帯だったところが約300メートルの高さの岩の大地となった。それから、風や雨や温度などの自然の力が500万年もの間に渡って大地の表面を風化させ切り崩し、堅い岩と柔らかい岩の落差が今日のモニュメントバレーを形成したのだ。
 モニュメントバレーに最初に住み着いたのはアナサジと呼ばれる"古代の人々"。彼らがこの地にやって来たのは今から1500年以上も前のことだが13世紀頃、突然どこかへ消え去ってしまった。その消え去ったアナサジの一部がナバホ族の人々だと言われている。

USANP10_09_05944.jpg 彼らは合衆国政府から認可を受けた国を所有しアリゾナ、ユタ、コロラド、ニューメキシコの州境一帯に住んでいる。ナバホの居留地の中では独自の警察、法律、大学などがある。また、ナバホという呼称はスペインからの開拓者によって付けられたものなので、ナバホ族はディネー(ナバホ語で「人々」という意)と呼ばれることを好んでいる。そして、ディネーは現在の世界を光り輝く四番目の世界であり、人類が今にたどり着くまでに黒い世界、青い世界、黄色い世界を通ってきたと考えている。

USANP10_09_05941.jpg 駐車場のすぐ隣にホーガンと呼ばれるディネーの伝統的な住居跡がある。ホーガンの入り口は常に太陽が昇る東側に設計されており、柱はたいてい8~9本で女性の妊娠持続期間を意味している。ディネーにとってホーガンの中は時計回りに歩くのが習慣だ。
 駐車場にあるビジターセンターは、夏期は午前8時から午後8時まで冬期は午前8時から午後5時まで開いています。トレイルの申し込み、ディネー文化の展示、キャンプの予約、日の出や日没時間をチェックできる。』(以上はパンフレットより抜粋)
 ゲートをくぐって進むと、辺りは確かに黄色いリボンの世界。これが西部だーという感じの風景が広がる。途中にナバホの家が見えた。



8-7-1 ミトン

USANP10_09_05926.jpg 駐車場へ着くと写真で見慣れたミトンがすぐに見つかった。が、まずはトイレのためにビジターセンターへ行く。
 そこは思いがけず絶好のビューポイントであった。レフトミトン、ライトミトン、メリックビュートというここの看板のような3つ並んだ光景が見える。我々はこう呼んでいるが、パンフレットによると、ウエスト、イーストミトンと書かれていた。両手のひらを挙げて挨拶をしているのだそうで、ディネーの人々は、この両手が自分たちを守ってくれていると信じているとか。メリックビュートは、この神聖な地に踏みいったとして処刑された者の名前から名付けられたそうだ。

USANP10_09_05931.jpg noriが窓枠越しに写したモニュメントバレーは芸術的である。 
 外へ出て三脚を立てて何枚か写真を撮った。その姿がおかしかったのか、向かいに座っていた外国人のカップルが我々を自分のデジカメで写して見ていた。見ながら笑っていたから多分、ポーズが決まった所ではなく準備している所だろうなあ。



8-7-2 ツアー(1715~1905)

USANP10_09_05977.jpg ナバホ族の運転する車でバレーの中のツアーへ出かける。ジープツアーという触れ込みだが、車はジープではなく軽トラックの荷台に座席を並べたようなものだ。2台で行くような話だったが、結局は1台に乗り切れたので、全員一緒に出かけた。ガイドさんが通訳をしながら解説してくれる。

USANP10_09_06027.jpg トラックはかなりのスピードで走る。が、そのスピードよりも舞い上がる砂に参った。とうとうjunは用意してきたスカーフでカウボーイ並みに鼻と口を覆った。帽子も離せない。他の人も殆どマスクで口を覆っていた。

USANP10_09_05984.jpg 途中、スリーシスターズという岩が見られた。ここにもか、という思いもあったが、これは姉妹ではなく修道女なのだそうだ。Wの文字に似ていることから、ウエルカムと呼んでいる人もいるとか。
 他にも色々と名前の付いた岩があったが、何しろ埃の中を猛スピードで走っている車からなので、右に左にと見るのが精一杯で写真を撮るどころではなかった。



8-7-2-1 ジョンフォードポイント (1730~1745)

USANP10_09_06011.jpg この地を気に入って撮影場所に選んだジョンフォードが、1939年に駅馬車を撮影するときに撮影隊に指示を出した地点だ。崖になっているので、確かに下の動きは全体が把握できる。しかし、そのためには先まで行かなくてはならないと思うのだが、ジョンフォードはそこまで行ったのだろうか。
 少しするとガイドさんが、西部劇スタイルをしたモデルのジャクソンじいさんを連れてきた。馬に乗って崖っぷちに立ってもらって写真を撮った。その後、希望者は、1$を支払って馬に乗せてもらっていた。我が家は無し。



8-7-2-2 トーテンポール (1758~)

USANP10_09_06054.jpg 更に進んでいくと、終着点にトーテンポールといわれる岩が立っていた。なるほどそう言われれば見えないこともない。ここにはお土産屋さんもあったが、客は我々グループしかいなかった。のんびりしたものだが、きっとこれでも生計は成り立っているのだろう。



8-7-2-3 ノースウインドウ (~1830)

USANP10_09_06111.jpg 最後のストップ場所は、「横たわる巨人」と名付けられた巨石の足元。そこをグルリと回って見ると、ミトンなど一群の巨岩群が見渡せる。窓から眺めた大きな写真のように見えることから名付けられた。
 どんどん日が沈んでいく中でそれらは浮き上がって見えるようになってきた。
 ここでツアーは終わり。荒野の中を一路駐車場へと向かう。幌馬車もこの道を走ったんですよ、というガイドさんの言葉にその雰囲気にたっぷりと浸った。

USANP10_09_06215.jpg 終わり、のはずが、途中でまたストップ。ドライバーさんのサービスですということで、また撮影タイム。ここでカラーの地図までサービスでくれた。



8-7-2-4 夕日

USANP10_09_06282.jpg 予定の時間よりサービスしてもらって駐車場に戻ってくると今まで見てきた岩群が岩が赤みを帯びて輝いている。素晴らしい風景だ。勿論写真を撮りまくった。がそれもつかの間、色はどんどん褪せていってしまった。
 ちょうどいい時間を過ごせたようだ。十分に堪能して19時20分にバスは出発した。



8-8 カイエンタ・ホテル着(1955) ホリディイン 130号室

USANP10_09_06330.jpg このホテルはナバホ地区にある。スタッフもナホバ族の人達だそうだ。



8-9 夕食(2045)

USANP10_09_06340.jpg 夕食は牛肉のステーキ。一人一人の焼き方に合わせてくれた。noriはレア、junはミディアムを希望した。アメリカの肉は固くて不味いというイメージがあったが、どうしてなかなか美味しいものであった。他にサラダバーとデザートにチョコレートケーキ。



8-10 部屋にて

USANP10_09_06346.jpg 部屋に戻って、ビールを飲んで就寝(2230)。