アメリカ合衆国西部国立公園周遊


★今回の旅の目的地はアメリカ合衆国。ペリー来航以来、先の大戦を軸に近現代において常に日本人の中に強く意識されてきた最大の国の一つである。そして今回の目的の中心は西海岸のシエラネバダ山脈以東に広がる様々な国立公園のうち主立った10の国立公園を周遊するというところにあった。従って、近現代に登場するアメリカ的なものとは少し距離を置いた、自然を愛でる旅となった。勿論我々の旅の重要な要素である世界遺産も4つ含まれた旅となったことは言うまでも無いことである。

★旅の中でいやというほどに知らされたのは、アメリカ大陸の広大さだった。ゴビ砂漠やサハラ砂漠、またウズベキスタンやイランの丸一日かけたバスの移動、そうしたことも既に経験済みだったが、走って行く先に常に新たな驚きを与える驚異の大地が我々を迎え入れるという連続は、未経験のものだった。
未経験と言えば、観光中は雨というものを経験しなかった。ゴビ砂漠やシナイ半島などで時ならぬ降雨をもたらした我々には最初の経験だった。最後のサンフランシスコこそ、霧にむせんでいたが、太陽の見えぬ日はなかった。
最初に見たのはイエローストーンの景色だった。ここは多色の世界だった。吹き上げる間欠泉に架かる虹は最初に感動した景色だった。
アーチーズのダブルアーチの下から見上げた空は鮮やかな群青色だった。
メサベルデは、現地レンジャーの解説によるので、話している内容はほとんど聞き取れなかったが、アメリカ人が近現代以前の歴史に触れることのできる貴重な遺跡であると感じた。
最後の世界遺産であったヨセミテは広大すぎたのと、宿泊地が二時間もかかる公園外だったのでロスが多く、消化不良であったことは否めない。長年このコースを運営しているにもかかわらず、旅行社側が改善をしないのは、不可思議としか言いようがない。残念だった。

★そして今回の旅での最大のハイライトは、夕刻に飛び立ったグランド・キャニオンのヘリコプターによる遊覧飛行であろう。この飛行は、オプションにも入っておらず、我々を含む一部の客の強い要望によって実現したものだった。現地ガイドさんの計らいで、未だ若い添乗員氏は決して好ましいものとは思っていなかったのだが、実現したものだった。
現地ガイド氏に言わせれば、その日の予約などあり得ないと言うことだったが、その内実は分からない。しかしながら、この観光がおそらくは人気のものであることは直ぐに分かった。グランド・キャニオンの雄大さが実感できたのはまさにこの飛行によってであった。赤みを帯びた渓谷の上部の美しさや、蛇行するコロラド河の姿は、まさにこの経験でなければ実現されなかったであろう。
我々にとってはヘリコプターは初体験だったが、女性操縦士だったということもあるかも知れないが、非常に乗り心地のよい乗り物だった。揺れも少なく、快適に観光できた。

★今回の旅はE社。久しぶりに使った。実は一年くらい前に申し込んだ旅行が成立しなくて申込金だけを支払い、そのままになっていた。この旅行社の欠点、それは多くの人が認めるところだが催行決定がすこぶる遅い。これはかなりの欠点だと思う。サービスが提供される側にキャンセル料を求める以上、旅行社側にもそのペナルティーに近いものが必要だとおもう。
リタイヤ組はいざ知らず、仕事を調整してきている身には、長期になればなるほど催行を早めに決定してもらいたいと思うのはごくごく普通のことであり、他の旅行社がそれを可能にしている点を見れば、大いなる欠陥といえる。それくらいに遅くなって、しかも一部行程を変更しての、そして他の出発日を廃して合体させた形での催行だった。
この無理があったためだろうか、今回の旅行は旅行者側もかなり特別だったように思う。バスの中でガイドさんの解説があろうと無かろうとのべつまかなく大きな声でしゃべり会う夫婦者、いつもとんでもなく遠くまで写真を撮りに行き皆を待たせる若者、ビジネスクラスで飛んできたことを常に会話に出したがるご婦人、などなどである。毎夜腰痛のためなのか、毛布を添乗員氏が運び込むというサポートを必要とした方さえいた。
ツアーというものは、共同体であると言うことを全く理解していない。協調精神にかける人たちが多すぎた。それは他ならぬ旅行社の無理な催行に結びついているように感じる。一人を除けば今回も我々とほぼ同世代か年長者の集団だった。かつては彼らから旅の楽しみ方を、彼らの行動から多く学び取ったものだった。しかしもはや今回はそうした学習の場ではなくなっていた。
そういえば、この旅行社の機関誌がここのところ薄くなったことも気になる。今後リタイア組の年金が目減りする中で、リタイア組を主な顧客とするこうした旅行社の行く末に一抹の不安を覚える。せかされて払った大枚が、倒産で無に帰するのではと正直催行されるまで心配だった。我々が帰国した日、既に正月休みの出発時期の旅行では催行決定を出している旅行社もあった。当然にそうした旅行社に、有能なトラベラーは流れてゆく。企画力がある会社だけに、非常に惜しい気がしてならない。

★さて今回の観光での現地ガイドさんはスルーで、ロサンジェルス在住の日本人の方。その現地ガイドさんの意向であろうか、そうスポットを当てられることがなかったが、先の大戦の関係地のいくつかを回った。
その一つは世界で初めて投下されて被爆国になった日本にとって重要だった土地、原子爆弾の構成要素であるウラニュームの採掘場所。
それから全米で10ほどあったという、日系人の強制収容所。それはたとえばペルーから米国へ移住させるといいながら実はいざ上陸すると不法入国者として収監したという歴史とも同期するもので、現地ガイドさんが言うところの第二のユダヤ人としての驚異のなせる技だった。
一方たぶんこの訪れた地域は風船爆弾の飛来地でもあったはずだ。勿論これによる大規模な山火事の報告はほとんど無いが、やはりこの部分も語らないといけないだろう。細菌兵器など米国側も恐れていたという歴史もある。
先の総選挙の結果を受けて、今時旅行最中に日本は政権の交代が行われた。新しい日米関係がどう構築されるのか、しっかりと見据えていくべき時でもあろう。我々もまた国連を訪れていた新しい首相と同じ日に帰国を果たした。

★今回はアメリカの都市部ではなかったので、公園ロッジかモーテルを渡り歩く旅だった。純粋に宿泊施設であり、極端には朝食場所すらなかったが、様式的には統一されていて、一度慣れてしまえば、快適だった。時に調理場やレンジまで揃っていた。大型のスーパーもよく見かけ、食事が付いていないときにもレストランのお世話になることもなく、快適に過ごせた。
製氷器は何処にもあったし、部屋には必ずコーヒーメーカーが備わっていた。車を運転できさえすれば、アメリカの旅行は快適だろうと思った。治安もよく、概ね町の人々も親切だった。

USANP10_09_9003.jpg★最後に今回の旅行においても多く「旅行記」サイトのお世話になった。この場を借りてそうしたサイトのオーナーにお礼を言いたい。実は今回の旅行はかなりの数の旅行記が存在する。後塵を拝する我々としてはそれらをふまえた旅行記を書かねばならない。
そのことはさておき、そうした旅行記で指摘をされているのが、使い捨て文化に対する驚きであろうか。現地ガイドさんに言わせれば、経済条件との相関ということになるが、紙コップを置いていないホテルは一つしか存在しなかった。トイレに入ればそこがどんなに汚れておいてもペーパータオルがだいたいは存在した。モーテルの朝食の皿は紙製で、残滓と一緒にダストボックス行きだった。
世界中の多くのホテルでは、連泊時に交換を必要とするシーツやタオル類はバスルームに投げ込むようになってきているが、こうした指示が「地球を救うため」と書いてあっても、この国では「経済的意味合い」しか感じなかった。オバマ政権になって、環境問題に取り組む姿勢がかなり見られるようになったとも聞くが、今後アメリカは変われるのだろうか。現実を目の前にすると、大いに疑問でもあった。
(掲載したスケッチは久米邦武編集の「米欧回覧実記」慶應義塾大学出版会より)