11-1 朝
起床(0415)。今朝も朝食が付いていないので、日本から持ってきたカップラーメンとスープで済ませた。コンチネンタルの軽い食事なら、これとあまり変わりはないので、これでもいいなというのが我が家の感想。
しばらく荷物の整理やこの日記を書きながら時間を過ごす。
今日はデスバレーまで753kmという大移動の日だ。
11-2 デスバレーへ
トゥシャン・ホテル発(0705)ルート66(0833~)
ホテルを出発して1時間ちょっとすると「ルート66号」に入った。この道は、かつて西部へ走っていた鉄道の補修のために造られた道で、長い間東部から西部へ続く道路としてかなり賑わっていたそうだ。モータリゼーションの波が押し寄せた時代、西部の豊かな生活をも止めて家財一式を積んだ車が西へ西へと向かったルートだったという。今では併走するようにいくつものハイウエイが出来てしまったので、そのほとんどは使命を終え、所々に残存区間が残るのみとなっている。
ルート66というとjunには青春の思い出がある。かつてルート66を旅する若者を描いたテレビドラマが放映されていたのを.ずっと見ていたからだ。何と、ファンレターまで出したという熱の入れようだった。(http://teleplay.seesaa.net/article/6752851.html)(写真は英語版のWikipediaより)
11-2-1 セリグマン(0835~0915)
そのルート66の面影をそっくり残しているというセリグマン。が、実際には圧縮してコマーシャリズムに乗っているだけの所という感じだ。その周辺には当時のものが装飾され、店の中にはお土産物が一杯だ。道路として一世を風靡したことを表すのか、各地のナンバープレートなどが並べられてはいたが。
といいながら、ルート66をモチーフにしたバッグとnoriの帽子を購入した。このバッグが後で大活躍した。
ここには名物おじさん、というか昔ここが床屋さんだったときのエンジェルおじさんが今でも健在で、フラフラしている。早速一緒に写真を撮らせてもらった。ノートに名前を書いて、と言われたのでそれもしっかりと記帳してきた。
その後、近くに線路があるというのでそれを見に行った。貨車がいくつか置かれていたが、今も走っているのかどうかはわからない。
11-2-2 キングマン(1027~1047)ネバダ州(1121~)
今日はこれからラスベガスへ向かうと言うことで、ラスベガスから世界に羽ばたいたエルビスプレスリーの貴重な映像があるというので、バスの中で上映会となった。が、途中で白河夜船。
目が覚めたのは、キングマンという町。この辺りはモハビ砂漠という。植物も砂漠のものに変わり、あれが「オコテロ」、「ジョシュアツリー」とガイドさんが説明をしてくれた。
そのうちにネバダ州に入った。
11-3 ラスベガス(1312~1507)
昼食(1312~)買い物(~1500)
ラスベガスはドライバーさんの地元だそうで、狭い道をどんどん走って行く。ガイドさんもここは僕は必要ないです、というくらい生き生きしていた。
昼食は、マキノという日本食レストラン。ビュッフェなので、寿司から天ぷら、豚カツまでありとあらゆる日本食が揃っていた。ということは当然食べ過ぎ。
その後は買い物。というのも、このレストランの周りはアウトレットの町だから、たくさんのアウトレットショップが並んでいるのだ。店の地図をもらっていざ出陣となったが、まずは桃子の買い物。子供服やへ行って何点か購入した。その後は自分たちの靴を買った。CROCSで2つ買うと1つがただになるというバーゲンの最中だった。二足買っても何と16ドル。破格値だ。税金込みで一足800円程度。
ルート66で買ったバッグが心強い味方となって買い物に躊躇しなくなったせいもある。つまり、アメリカでは航空便の荷物が一人2つまでOKだからだ。それも一つが23kgまでOKなので、家では23×4=92kgまでいいということになる。これでは気持ちが大きくなるのも頷けるだろう。
ラスベガスは賑やかな町だった。大きな建物が軒を並べ、カジノ有り、劇場有り、はたまたあれが「エッフェル塔」あれが「ピラミッド」と世界の名だたる建築の模倣があった。
その後また映画の上映会。今度は「駅馬車」。やはりジョンウェインのものだ。こちらはわかりやすい映画だった。
11-4 デスバレー国立公園(1735~)
より大きな地図で デスバレー・ナショナルパーク を表示
デスバレーへの道は近づくにつれ波打ったような、上下のある道となった。小さなボートに乗っているような感じで少し気持ちが悪くなるような、胃袋がのたうち回っているようだ。
このデスバレーの谷にその昔幌馬車隊が迷い込み、ようやく抜け出すことが出来たときに「グッバイ、デスバレー」といった所からその名が付いたとか。それほど過酷な自然環境だったのだ。
Sea point と記された地点を過ぎ、どんどん海面より下へと進んでいく。と、ちょっと降りてみましょうとガイドさん。確かに、バスから降りたときにむっとする熱気が襲ってきた。誰かが38度もあると言っていたが、そのくらいはあるだろうと思われる暑さだ。
そこは、サブラスキーポイント(1747~1808)という地点。映画スターウォーズの撮影にも使われた所だという。地球外宇宙の場面だそうだが、エピソード何番の何処で使われたのだろう。そう言われればそう見えないこともない。木も草も生えない死の土地のようだ。
このサブラスキーというのは人名。ボラックスという鉱物(和名硼砂)を見つけて商業ベースに乗せた人だそうだ。写真左は温度。右はそのボラックス鉱物。
11-5 デスバレー・ホテル着(2015) ファーナス・クリークラウンチ 708号室
荒涼とした砂漠にあるオアシスのようにそのホテルはある。入口は古風な感じで歴史的雰囲気を醸し出す工夫をしていた。中は、いくつかの棟に分かれていて、我々はその7番目の2階建ての建物を割り当てられた。
中庭にはたくさんの若者が集っていたが、自転車のツーリングのグループらしくサポートの車も数台あった。かなり大がかりのようだ。
11-6 夕食(1900)
夕食は少し離れたレストランへ。メニューはビッグチキン。サラダにアップルパイ。このチキン、本当にビッグ。とても食べきれないので、二人で1人前だけ食べて、残りはボックスにしてもらって部屋へ持ち帰った。後で宴会のつまみにするつもりだった。
その後、希望者は星空を見ましょうということでそのまま残ったのだが、我が家はすぐ部屋へ戻った。
11-7 部屋にて
いつものように宴会をした。先ほどのを酒の肴にしながら。しかし、そのチキン本当にあまりにもビッグすぎて、結局大半は残してしまった。就寝(2240)。