9月15日(月) 東京−仁川−フランクフルト−ケルン

総武線→(0501)錦糸町(0512)−快速エアポート成田(0630)成田空港(0916)<OZ 107>(1120)ソウル(1250)<OZ 541>時差 −7時間(1700)フランクフルト(1800)(2020)ケルンホテル着

1.早い旅立ち
 今回の旅行は、かつてないほど難航を極める決定の過程があった。そのことは表紙ページに譲りたいが、特にnoriにとっては結構決定にあたって悩まされた旅だったことは最初にふれておきたい。
 さて今回はツアー催行への事情があって、値段が安い航空ルートが選択された。従って、ドイツへ至るまでの時間が、あるいはドイツから帰るまでの時間が長い。格安ツーアの常として直行便は使われないケースが多いのだが、それでもヨーロッパ乗り継ぎで最初の訪問地ケルンへダイレクトに入れれば、時間は短縮が可能だ。しかし急遽設定されたルートは、アシアナを使うものだった。アシアナ航空は、かつて思い出深いウズベキスタンへの旅の時と、韓国旅行の時以来だ。
 出発は成田の第一便といって良い時間。つまりは、9時。この9時に合わせるようにするためにはその二時前の7時の集合になる。実際問題今回のツアーでもこの時間に間に合わない(結果的には飛行機には間に合ったが)夫婦があった。我が家でも、この時間帯へのチャレンジは二度目だが、2qほどの道を歩くか、タクシーを使ってその駅に出ない限り、間に合わない。
 そうした事情で我が家が起きたのは、午前3時。だいたい余裕を見て起きる性分なので、早めだが、既に出来ている荷物をまとめて、着替えをして4時少し前には家を出た。勿論未だ世間は夜中の時間。大通りに出てタクシーを捕まえようとしたが、なかなかつかまらずやや焦ったが、それでもどうにか乗ることが出来て、駅に着いた。駅は既に開いていて、初電の客を少しずつ飲み込んでいた。我々もスイカにタッチして、初電の客になった。乗り換える駅は錦糸町。ここで快速の初電の成田空港駅行きに乗り換える。
 成田空港駅(第一ターミナル)に到着したのはちょうど6時半。集合時間30分前だった。

2.成田空港にて
 成田空港は人が普段よりはまばらではあったが、それども働く人でかける人が多く目についた。すごい。
 集合場所まで行っても誰もいなかったので、トイレに行った。成田行きの冷房が効きすぎていて寒かったのが原因。用を済ませて、両替所に行ったが未だ開いていないので、集合場所に戻る。少しうろうろしている間に、一緒に行く人たちが既に集まっていて、我々の荷物もそこにあった。A4に印刷された航空券(IATAのあの厚い説明書付きの航空券は何だったのだろう)をもらってチェックインをしに行く。
 チェックインは始まったばかりの状態で結構並んでいた。元気な外国の大きな兄ちゃんが日本の女の子に声をかけていたが、なかなか彼女らは理解しなかった。そんな光景を見ながら列が進むのをしばらく待った。それでもゲートの数が多かったのと、何よりも日本語が通じるので、難なく終わる。荷物は最終目的地のフランクフルトまでお別れだ。それからnoriは7時から既にあいていた両替所に、junは航空券を持って集合場所へ戻る。集合場所へ戻ったjunは仁川(インチョン)までの搭乗券だけを残して添乗員にその他は預け、未だ並んでいるnoriの所へ戻った。両替の窓口では機械の故障などで手間取ったが、目的の両替が出来た。ユーロがだいぶ安くなっていて、150円前半で両替できた。それからjunはラウンジに行きたかったが、noriはすぐに入ろうと言うことで、チェックインを主張し、結果、出国をすることになった。
 手荷物検査はいつもの通り。今回は三脚も預けた荷物の中に入れているので、パソコンと少量液体だけを注意すればよい。というわけで無事に通過。さすがに出国審査はガラガラ状態で、あっという間に通過した。搭乗口は比較的に近かったが、既に結構な人たちがいた。搭乗は結構早く30分前にはビジネスクラスが始まった。じきにエコノミーも。

3.仁川まで <OZ−107  18AB>
 仁川までは2時間あまり。ほぼ定刻に離陸した。機内アナウンスでは仁川までは離陸後2時間5分。2−3−2の配列で、それ故に我が家では珍しく窓際をゲット。
 離陸するとすぐに食事の時間。junの事前調査では二種類あると言うことだったが、魚料理一種類だけだった。この時出た魚は白身の鱈のようなもので、それを粉を塗して揚げて、醤油ベースのとろみをつけたもの。実はこの形式のものが3度続くことになる。韓国人はこの料理が好きなのか?それとも今時分の食べ物なのか。それでもコチジャン(たぶん)ペーストをもらって、noriはご満悦。日本製だからもちろんそうまずい出来ではない。朝からではあったが、飲み物はjunはスパードライ。noriはチャミスルを望んだがなくて、韓国のビール。個人旅行でないと大いに酒が飲める点がよい。
 食事が終わって免税品販売が終われば、いい時間。仁川に近づくにつれて機内がやや揺れた。台風13号の影響なのかもしれない。noriは台風が来れば影響を受ける職場の状況が心配だった。でも今更仕方ない。
  定刻少し前に仁川に到着。乗り換え時間がわずか1時間というタイトなので、ラッキーだ。

4.仁川にて
 仁川空港の乗り換えは2006年にイランの時に使って以来。そのときはゲートを通過するのに一人一人半券を見せてチェックを受けるという煩わしさがあったが、今回それはなかった。
  でも、同じようにここの乗り換えは長い廊下を伝いトランジットエリアで再度手荷物検査を受ける。そこを出ると出国エリアに出る。この道中が結構長い。それでも問題なく通過した。ここは通過した後のエリアが狭いので困る。厳重な検査にならばなるほど、身支度や荷物を一旦解かなければならないので、身支度の場所が欲しい。
 それはさておきトランジット時間は1時間なので、何も買い物もせずにゲートへと急ぐ。搭乗券には既に成田出発の時点でゲート番号が印字されていた。すごい。
 仁川空港は新しい。成田よりもきれいだ。noriはここで腰痛パテックスを張りにトイレにゆく。
  そうこうしているうちに搭乗時間となる。あっけないほどだ。

5.フランクフルトまでの機内 <OZ−541 31DE>
 機内は思いの外、ほぼ満席状態。3−3−3の配列。飛行時間はアナウンスによれば10時間45分。偏西風をついての旅だから、時間がかかる。機体は日本便に比べて古い。座席の間隔も短いし、リクライニングもあまり効かない。これでのヨーロッパ移動はかなりきついものがある。
 11時45分離陸。今回は中央部の座席なので、外の景色ははかり知ることは出来ない。やはり台風の影響か、離陸後しばらく安定までに時間がかかった。それでも12時半頃にスナックと飲み物のサービスが始まった。ワインをいただいたが、小さいサイズではなく、瓶からだった。フランス製だった。そいいえば、チャミスルを頼むことを忘れていた。
 食事は今度は二種類あった。韓国風と、洋風。洋風の方は先に述べた、丁度酢豚の野菜を除いて肉を魚に変えたようなもの。韓国風の方は結構いい。チシャがついていて、焼き肉を楽しむ風。薬味もあって、なかなかのものだった。添乗員氏は最初ビビンバが出るようなことを行っていたが、それは帰路便で期待するとしよう。
 食事が終わればやることもなし。ひたすら寝るに限るが、そう寝られる訳もない。いつものことだが、junは寝ているがnoriは起きているという状態。機内はかなり乾燥していて結構のどが渇く。noriはたまらず水をもらいに行く。今少し韓国(日本)時間で書くが、18時30分頃サンドイッチが配られる。noriはもらうがjunは遠慮。
 20時頃ようやくウラル山脈を通過。ようやくヨーロッパに入る。21時過ぎに最後の食事のサービスが始まる。今回noriは韓国風を、junは洋風を選んだ。ともに、日本風のソバがついていた。洋風のものは変わりもしない魚料理。今回は野菜もついていた。韓国風は、豚肉(少々)のキムチ炒め風。アテンダントはスパイシーだが良いのかと念を何度も押した。ただnoriにはそうすごく辛いという感じではなかった。あとでわかったことだが、韓国風の人気が高く、それ故に何度も念を押していたらしい。気遣ってのことではなかったようだ。
 以降、ドイツ時間で記載。フランクフルトには画面では、16時45分頃に到着予定だったが、空港混雑で二度ほど上空を旋回してから下りたので、結果的に定刻の17時(日本時間16日午前0時)に着陸した。
 junは時折目を覚ましながら映画「ナルニア国2」「カンフーパンダ」を見た。noriは映画では「カンフーパンダ」を見た。

6.フランクフルト空港にて
 フランクフルト空港はヨーロッパにおけるハブ空港の一つ。その分でかい。それでも17時10分くらいには降機できた。
  ただしここからが大変だった。最初にどこでもあるように入国審査。といってもパスポートを見せて、顔を確認し、パスポートのチェックを機械ですればおしまい。EU圏の人とそうでない人とは並ぶ列が違う。おそらくはEUは共同体だということなのだろう。
 そしてここがあまり整然としない列で、大混雑。ドイツ人はきまじめというが、係官も整理する様子もなし。案の定、韓国の団体の大阪のおばちゃん風の添乗員らしき人に引き連れられた一団数十名は割り込みを決めた。添乗員氏もこれにはあきれ顔。そんあこともあったが、我々が最後にはなったものの、45分頃には審査終了。無事にドイツ入国。
 ここからが不思議なのだが、入国審査を終わると、だいたいは荷物のピックアップになるのだけれども、ここではお店などが立ち並びバーなどもある商業エリアに出る。そこを通り越して、階下に下るとそこが広い広いバゲージクライムエリア。つまりは我々は一旦トランジットのような状態に置かれる。さて既に我々の荷物合計9個はポーターがピックアップして待っていた。そこから税関を通って(ほぼノーチェック)外に出た。

7.ケルンへ
 空港を出たところからそう歩かないところにバスがあった。我々を空港で迎えたのは韓国人の女性。彼女が我々を誘導してくれた。帰路も彼女だったが、そのときにようやく韓国便なのでサポートがそうだったのだと悟った。さてバスは6列の小型のバス。片側は2席でもう一方は1席。後で聞いた話だが、このバスでずっと移動するそうだ。
 入国に相当かかったつもりだったが、18時にはバスは動き出した。高速に乗ってから少し走ってサービスエリアに止まってトイレ休憩。ここで水とビールを二缶買った。約7ユーロ。邦貨にして1100円程度。偉く高い。
 18時30分、ケルンに向けて再び出発。途中でだんだんと日がかげてきた。
 バスが後ろに送り続ける風景の中に数度尖塔が見えた。古城かそれとも教会かは定かではなかったが、そのような風景はこの後毎日繰り返し繰り返し見ることになるとは知るよしもなく、そうした風景の写真を何枚も撮った。
 19時22分高速を下りると、すぐにホテルだった。24分到着。

8.ホテル
  Mercure Hotel Koln Junkersdorf Am Stadion  ★★★ 126号室
 メルキュールホテル。都市型のホテルだった。
 説明を受けてから、部屋へ。20時36分。ようやく到着した。荷物を開けて、それからシャワーを浴びた。買ってきたビールを飲んで就寝。