9月23日(火) 日本では勤労感謝の日
 ゴスラル−クヴェドリンブルク−ヴェルニゲローデ
  −ブロッケン山−ゴスラル

ホテル(0800)(0925)クヴェドリンブルク(1007)(1040)ヴェルニゲローデ(1155(1205)昼食(1300)(1310)SL(1503)ブロッケン山(1607)SL(1700)DREI・ANNEN・HOHNE駅(1705)(1823)スーパーマーケット(1840)(1910)ホテル着

1.朝
 junは深夜に今日の行程の整理に目を覚ました。アウトラインを完成させて再び寝た。
 noriは3時過ぎに目を覚ました。junが深夜に日記のアウトラインを完成させていたからだ。日記は5時少し前に書き終わった。その頃外では相当な雨らしく、雨だれの音が途絶えることなく続いていた。今日くらいこの日の日程上、晴れてもらいたい日はなかったのだが、最悪の状態だった。
 今朝の朝食は7時からで出発は8時と、やや慌ただしい日程。にもかかわらず朝食を食べに行くも、なかなか皆来ない。のんびりとしている。それでも出発時には全員顔をそろえる。
  雨は絶え間なく降っている。ポタポタと雨樋からこぼれ落ちる雨音も憂鬱なリズムを刻む。気持ちは重い。止む気配も全くない。

2.クヴェドリンブルク190
 雨足が強く暗いのと、木々の茂る中を走るので、見るものがない。うとうとしていて目を覚ますとバスは高速を走っていた。今日は一般道を行くような話を添乗員氏はしていたので、二人で顔を見合わす。外は相変わらずで、窓ガラスも水滴だらけで、写真もままならない。高速を下りると、程なくして町に入り、9時20分くらいに現地に到着。
 クヴェドリンブルクというこの舌をかみそうな名前の都市は、1000年以上も前の町並みを今日にとどめる。町の出発は8世紀ということで、バスを降りる前から美しい木組みのそれぞれに工夫を凝らした町並みが見える。ここも第二次世界大戦の戦災に合わなかったのでその中世の町並みそのままが残っている。
 歩き始めるとすぐに、やはりこの付近(ハルツ地方と言うらしい)の独特の姿が伺える。税金の関係で上の階に行くほどせり出している構造や、白やパステルカラーで塗られた壁の色など。
 おみやげ物屋さんがもう商売をしていた。沢山の魔女の人形を売っている。魔女伝説がこの地方にはあり、暗い中世の話を逆手にとって商売をしている。ここも旧市庁舎前は広場(マルクト広場)になっており、石造りの堂々とした建物。その横にツーリストインフォメーションがある。9時半開業なので、少し待って中に入りマップをもらう。

2.1 自由散策
 9時半過ぎ旧市庁舎のある広場から自由に町を散策。旧市庁舎の左には、聖剣ヂュランダルを掲げるローラントの石像がある。町の自由と公正さを象徴しているのだそうだ。
 旧市庁舎の後方には教会が建っているので、そちらに回る。その前にトイレに。寒いのでどうしてもトイレが近い。ここも有料で50セント。
 教会の入口を間違えて、教会後方に出たので、仕方なくそう時間もないので町の方向へ向かう。細い路地にはいると向こうに2本の尖塔を持つ教会が見えた。ただしそこまでは行けそうもないので、少しそちらの方角に歩を進める。古い家並みの間を通り抜ける。相変わらず雨が傘を叩く。
 とぼとぼと歩いていると、一軒の家の窓下に身を固めている黒猫と目を合わす。ぎょっとしたが、後から考えればこの町のシンボルでもある魔女と黒猫はつきものだったのだっけ。
 町を一回りして、マルクト広場に戻る。

2.2 魔女の人形
 自由時間ははずかに30分。10時少し前、そろそろ時間となってきたので、バスに戻ろうとすると添乗員氏が声をかけ、バスが未だ戻ってきていないので少し時間があるという。
 そこで中世の暗い歴史ではあるが、今では観光資源となっている魔女の人形を買う。初めての食品と本以外の土産物。

2.3 城
 この町の城の姿が見たいという人がいて、バスに一旦乗り込んだのだが、バス停横の広場から見上げることで勘弁してもらいたいと言うことで写真を撮りにその方が向かう。それならばと、我々もカメラに収めにゆく。城を遠目に見る。バスは定刻少し過ぎに出発。出発すると城がきれいに見える。しかしながら窓の水滴がその眺望を邪魔をする。

3.ヴェルニゲローデ
 10時40分過ぎにヴェルニゲローデに到着。かかった時間は30分強といったところ。クヴェドリンブルクからきわめて近いところにある。
 ここではヴェルニゲローデの見学と城からの眺めがメニューになっている。とはいえ、この雨では眺望は望めそうにない。
 このヴェルニゲローデ城は12世紀に造られた。伯爵が造った城。その当時はシンプルな造りで、外壁は平面で全体規模も小さかった。14世紀に増築し、更に17世紀に今の規模にまで大きくなった。この間に途中家系的には途絶えたりして親戚が引き継ぐなどしてきて、住民が絶えるということは無かったらしい。
 17世紀の改築では、城壁だけ残して大規模な改築がなされ、現在の規模にった。
 19世紀にヴェルニゲローデ家の持ち物となる。オットー・ヴェルニゲローデ(1837〜1896)が、この城を今のように整えた。しかしながら1930年に、維持費が大変と言うことで売却。この城を出る。しかしその後も城の維持と原型回復などにこの家は力を貸しているらしい。
 80部屋あるが、戦後の改修の後の現在はそのうち40部屋のみ公開。最初ドイツ語ガイドがきたので、あわてて英語ガイドに交代してもらうなど、少し手間取り、11時5分頃入場。
 内部は撮影禁止。従って以下の写真はすべて、http://www.schloss-wernigerode.de/からの引用。ただし、内容的には我々が見てきたものと微妙に違っている。

3.1 教会
 1870年から1880年頃のもの。正面にステンドガラスがある。
 天井のキーストーンにはヴェロニゲローデ家の紋章(鹿)がある。1949年に整備して現在は結婚式やコンサートに使っている。

3.2 プレイルーム
 ビリヤードの台がある。城の模型が3個ほど置いてあり、城の成り立ちの様子が分かるようになっている。

3.3 ホール
 1880年のオリジナルの部屋。最も大きい部屋で客との談笑や、家族の団らん、小パーティーに使用した。階段や柱には、紋章などの彫刻が施されており、現在はレンタルしていおり、プライベートなパーティーやコンサートなどに利用されている。

3.4 台所
 当初は台所として使用したが、後にディスプレイルームとなり、マイセンの陶器などが並べられている。明日はマイセンだ。添乗員氏が陶器に詳しい人に聞いたのだがと断って、「でも日本のが一番だと言っていました。」という。

3.5 執務室
 壁紙の代わりに壁が皮で覆われている。日本製ということで、模様は唐草模様に似ている。たぶん右の写真がそれ。

3.6 オットーの部屋
 ベッドや机があり、外出が好きではなかったので、ここで過ごすことが多かった。といっても、バッドと机でそれ以外の調度品はあまり置けないような小部屋だ。

3.7 書斎
 豪華に装飾された部屋。オットーの52歳の時の肖像画がある。壁はシルクで覆われ紋章の模様が入っている。

3.8 アンナの部屋
 アンナはオットーの妻。20歳代の若い夫の肖像画が掲げられている。壁紙は王冠とアンナのAの文字が模様となっている。カーテンも壁材と同じものが使われている。豪華さの極みか。こうした趣味は日本にはない。

3.9 夫婦の寝室
 ダブルベットが置いてあり、壁紙にはAとO。夫婦の頭文字が模様となっている。アンナの部屋の壁紙にも驚いたが、この部屋で二度びっくり。

3.10 ダイニングルーム
 パーティルームとしても使われ120人を招待できる広さがある。壁は大きな壁画で囲まれている。2階部分には、音楽家の演奏する部屋がある。

3.11 書斎
 これは客用のもので、2部屋ある。18世紀半ばから19世紀の家具が並べられている。

3.12 コレクションルーム
 壺や食器類、人形などの陶器が並べられている。壺は日本(伊万里)や中国製。人形はマイセン。

3.13 ゲストルーム
 豪華で、皇帝やその側近達が使用。執務室、談話室、寝室など3部屋ある。ここに最後に宿泊したのは、1929年のことで、宿泊者はエジプトの当時の王だったそうだ。

3.14 甲冑や剥製の展示室
 中世の甲冑や狩りをして捕らえた熊や鳥類などの剥製などがあった。馬に乗った人間の姿をしたものが中の半分を占めるが、甲冑だけで40sもあるというし、馬自体にも防御のための金具が取り付けられており、これで馬は走れたのか。戦闘が出来たのか。いつものことだが疑問に思う。これで内部の観光はおしまい。

3.15 眺望
 城壁の外は城から見るとどんよりとした雲だけで、眺望は聞かないように思えたが、そばまで寄ってみると結構見えた。汽笛の音と白い煙が見えて、あぁあれが午後乗る観光鉄道なのだと理解する。時間がなくあわてて眺望写真と、城を背景にした記念写真を撮影して戻ることにした。
 このとき既に我々を含めて4人しかおらず、junが正しい道を主張したにも関わらず、結果的に道に迷う。5分ほど遅れてバスに戻る。雨の中の午前中の観光はこれにて終了。

4.昼食
 ヴエルニゲローデ城下の町に戻り、昼食となる。メニューはオニオンコンソメスープ・蒸しソーセージのジャガイモキャベツ添え・アイスクリームとなっていた。ただしアイスクリームはプリンに変わった。こうしたメニュー変更が結構このツアーにはある。単にデザートとしておけばよいものをと思うし、店の人に事前に聞けば良さそうにもと思う。
 飲まないつもりだったが、進められるままに二人で大ジョッキ1杯だけ飲む。普通のビール。昨晩と同じ銘柄。この地方のものなのだろう。
 メインが終わる頃に添乗員氏が時間を気にし始める。プリンは飾り付きで出てきた。13時に出たいという希望はギリギリにかなう。

5.SL
 バスに乗ると程なく駅に到着。乗り込むと直ぐに発車。何と定刻では13時10分発だった。我々のためか、2分ほど遅れて出発。
 車両の中は暖房付きで暖かい。窓は下半分部分が2重窓になっていて曇らず、外の景色が楽しめる。最後尾の車両は半分がオープンで暖かい日ならば外の景色がより楽しめる。
 最初は杉木立の中を走り抜けるが、徐々に立ち枯れている木が多くなる。公害のせいだという。終わりの方は低い木が多くなる。
 noriはこの時間の半分くらいはデッキで過ごした。junは時々居眠りをして過ごした。列車にはおよそ2時間乗った。15時15分ブロッケンの駅に到着予定なのに、3分には着いた。未だ先に駅があるのか停まっていたが、どうも様子が違うのに添乗員氏が気づく。時刻表って何?

6.ブロッケン山
 ブロッケン山はブロッケン現象で有名な山だが、にもかかわらず戦後はソ連軍の基地が置かれていた関係で、一般には開放されると言うことはなかった。戦前は勿論そうだったからこそ現象や、文学者達の来訪があったわけだが、したがって戦後の観光が始まったのはそう古い話ではない。

6.1 視界不良の中の彷徨
 霧の中で殆ど視界がきかない。それでも頂上を目指す。添乗員氏の意見に従い、初めは左の道を歩いて魔女の石や花を見つけ、写真に収める。しかしだんだんと下り坂になるので心配になり、引き返す。問題が起きたら引き返すというのが鉄則だ。視界ももほとんど無い状態なのだから。
 次に右の方へ向かって駅舎前を通り越して向かう。途中自転車の人とすれ違う。ここには自転車でもやってこれる(勿論車も)ことが書いてあったので、ビンゴだと確信してそちらへ向かう。
 靄のかかった中進むと大きな建物に出た。どうやらホテルのようだ。時間があれば休みたいところだが、そうも行かずウロウロしていると、junが石碑を見つけた。近づいてみるとゲーテの碑だった。やや若い時代の姿がそこにあった。
 ゲーテの碑の近くにもう一つ碑があったのでそちらに向かう。これはハイネの碑だった。ウロウロした甲斐あって両方とも見学できたことは幸いだ。
 ところでこの視界の聞かない雨中のツアー客は我々と、何度か登場願った学者夫婦(と思われる)の奥方の三人のみ。皆は頂上の駅で暖を取っていただけだった。何故登ってきたのかわからない!

6.2 帰路
 この頃になると雨中で彷徨したツケが回ってきて、junもnoriもカメラのレンズが曇ってしまって使い物にならなくなった。特にnoriはその後のバスに乗ってからもしばらくは使えなくなった。
 帰路は途中駅まで乗車し、そこからバスにピックアップしてもらう。
  ところでこの客車は旧ソ連製とのことで、観光再開に合わせてリニューアルしたものだとか。安普請にその面影を残す。トイレも各車両に付くが、昔の日本の列車と同じスタイルで、下を覗くとそこから鉄路が見える。機関車もソ連製かと聞いてみたが、定かではなかった。ただ、このブロッケン線はすべてSLによって運用されているとのことだった。実際すれ違う列車は皆SLが牽引していた。
 帰路はnoriもデッキに出る気が失せていた。定刻の16時59分を少し過ぎて途中のピック場所の駅に到着。

7.スーパーマーケット
 今日は夕食がない。こうした場合、特に今回は連泊なので、その近くで食べられるような所があるような場所に、通常はホテルの場所を設定する。しかし今回は違う。先にも書いたように、町からはおよそ20qも離れている。経費の切り詰めも重要かもしれないが、こうしたことが旅の大きなストレスになることを感じてもらいたいものだ。
 というわけで、当初添乗員氏はゴスラルでの夕食と、乗り合いバスに乗っての帰還を考えていたが、誰も賛成をするものはいなかった。それはそうだろう。20qの道を乗り合いバスで来れば1時間は見ておく必要がある。18時半にレストランに入って食事に一時間半で、20時のバスで21時過ぎ帰還はあまりにもお粗末な行程だ、
 というわけで、夕食の用意がない人のために買い出し。我が家はワインの小ボトルを購入したのみ。全て用意できているが、アルコールが足りなかったときの補助用。0.99ユーロでの0.25リットルのもの。実際は飲まなかった。

8.ホテル
  Best Western Residenz Hotel Harzhohe ★★★★ (ゴスラル)
  125号室

 ホテルに7時10分頃到着。
 お湯を沸かしながら、順番にシャワーにはいる。
 その後持ってきた食料でささやかな夕食。ドイツ料理で疲れている胃腸を休めるには、災い転じて福をなす感がある。早めに就寝。