ドイツ・・・

  走った後に考える国の人 走る前に考える人の国へ



★笠信太郎(りゅうしんたろう 1900.12.11〜1967.12.4)の名著「ものの見方について」の中に有名な一節がある。noriはこれを高校時代に読んだ。その本は我が青春時代における、その時代の名著、今風に言えばロングベストセラーであった。やや長くなるが、その名著の抜粋を引用する。引用部分は、ドイツに関する記述部分。


★ある皮肉なイギリス人か、言ったことらしい。こういう話がある。---
 話はドイツのなかのことである。二つの門が並んで立っていた。第一の門には、「天国への入口」と書いてあった。隣の、もう一つの門には、「天国に関する講演会への入口」とあった。ところが、すべてのドイツ人が、最初の門をくぐろうとはせずに、その第二の門へと殺到したというのである。
 これは、少々深刻に描き過ぎた話であるが、いろいろの意味を蔵している。それがドイツ人の性格というか、ものの考え方というか、それを風刺していることはいうまでもない。この話によるとドイツ人は「天国」へと直接に導く門が立っているのに、それにはいろうとはしないで、天国に関する理窟を聞きたがっている。ドイツ人は、本物の天国よりは天国に関する理窟の方がすきだ、ということになるのである。(中略)
 しかし、このナチスがもった世界観、その観念が現実とはまったく合わたかったということは、第一次大戦のときのそれとまったく同様に、第二次大戦がこれを立証したような次第であった。  こういうようにその観念が現実と合わないで、その間に大きた狂いがあるとき、ドイツ国民の悲劇はすこぶる大きたものとなるわけであるが、その悲劇をドイツ国民は性懲りもたく今世紀において二度も繰り返した。ドイツ人がもっている「向う見ず」、「狂気じみた性質」は、この現実そのものが見えずに、現実の写しだと信じ込んでいる「第二の門」へ突入するところにある。
 しかし、その観念が現実とピッタリと合うときには、ドイツ国民は偉大な仕事をなしとげるということも見逃してはなるまい。

★こうした青春時代の知識を、垣間見られたらとも考えた旅だった。しかしながら、今回の旅行の期待は最初から見事に裏切られる。NHKで放映中(2008年9月当時)の「びっくり法律旅行社」という番組では、ドイツでは鼻をシュンシュンさせるような行為は御法度と最近の番組で聞いていた。しかしだ。実質観光1日目となるその日、乗り込んだ小型のバスの運転手は鼻に手をやる仕草をしているではないか。日本人においては何も避難すべき光景ではないのだが、ここはドイツだ。学習した知見と違う。・・・そうなのであった。運転手はドイツ人ではなかった。チェコ人の彼の属する会社もまた、オーストリアの会社であった。我々が旅行中に一番接するその国の人は、通常は運転手だ。通り一遍のツアーの旅で、唯一垣間見ることのできる窓はほとんど運転手につきると行ってもよい。この旅はこうして最初から裏切られて始まった。

★さて今回選んだのは、T社。ここ自体が不思議な会社だった。一ヶ月前になろうとしたとき、noriは仕事上のルールもあり、職場の手続きを進める必要上、催行かどうかを尋ねた。判断があまりつかない様子なので、断ることにした。メールで了解した旨留守番のjunに知らせが届いた直後に再び「今参加者が二名増えたからあなた方が参加すれば催行決定する」との連絡だった。まぁここまでは笑い話ですむ。しかしだ、送られてきた日程表は当初発表のものとは大きく違っていた。というよりは、そもそものツアーは一旦中止となり、再度新しいツアーを組み直したというべき内容であった。しかしながら、そのことの説明は一切ついていなかった。それでも結果的に行ったのは、「なんとか催行させて旅行を楽しんでもらいたいという誠意から出たこと」なのだろうという、我々の最終的な判断による。・・・でも、その判断が最終日近くになって、あのような状況になろうとは、想像だにしなかった。


★最後の二泊はベルリンだった。ベルリンで泊まったところは、それはそれは奇妙なところだった。暗い中、道ばたに面したドアの前にあるいくつものボタンの内、ホテルを選ぶと監視カメラで確認しているのだろう、おもむろにドアが開く。その先暗い廊下を進むと、リフトという表示があるが、そこはドアになっている。開かない。しばらくして、ボタンがあり、それが電子錠になっていることがわかる。こうしてリフトに乗り5解にあるレセプションへ。そこはたかだか8人のツアー客が立ったままでいっぱいになる程度のスペースだった。そして通された部屋は、屋根裏部屋だった! 日本でもかような部屋に通された覚えはない。ここに最後の二泊をするのかと思うと、うちひしがれた思いだった。だいたい旅行の常識として、後半はよりグレードの高いホテルに!というのがある。歩いて数百歩の所にはメルキュールがある。最低でもメルキュールクくらいには泊まれると思っていたのが、ことあろうに屋根裏部屋生活二日間という仕打ちだった。


★今回のツアーはだいたいが、ルフトハンザと言っていたのがアシアナに変更になり、帰路仁川で5時間あまりのトランジット。ツアー代金を追徴出来ないと考えて、絞りに絞って催行したと言うことが実情で、何とか催行させてあげたいのではなく、何とか催行させて利益を上げたいというツアーだった。これまでによく利用しているSやYやTなどの場合、数回以上というリピーターがほとんどだが、今回は2度目が最高だった。S社のYさんの「我々は隙間産業ですから・・・」との言葉は言い得ているが、だとすればリピーター率がその旅行会社の顧客満足度を直接に表現していると言ってもよいだろう。


★話を旅行に戻そう。今回の旅では自由時間というものがほとんど無かった。だから尚更のこと現地の雰囲気を味わえる時間が少なかった。今回比較的ドイツの田舎の地方都市とも言うべき町々を巡ったわけだが、それらを見るにつけてnoriはうちひしがれる思いだった。それは整然と整備されたおもちゃ箱のような町並みだった。欧州は北欧やスペイン・ポルトガルやイタリア・ギリシャなどの南欧は旅していたが、中央部と英国は旅したことがない。だからドイツだけの傾向かどうかは判じ得ないが、皆町々はきれいだった。整然としていた。宮崎駿のアニメのようだった。基本的な体力が日本と違う感じがした。おかしなたとえと非難されるのを承知で感じた表現を書けば、ドイツが負ける戦争を日本が勝てるわけがないと感じた。


★しかしながら、意外な面もあった。日本と変わらないという場面だ。町は都市部に行けば行くほど、悪戯書きが目立った。ベルリンの半日は自由時間だったが、地下鉄(ウーバン)の車内は窓や床が時に相当汚されていた。日中でも道路清掃車が走るくらいに(それ故と言うべきかもしれないが)美化に気を遣っているにもかかわらず、車体外側までにも時に彩られていた現実は、ベルリンの壁の伝統が今もとは考えづらい光景だった。それに今ひとつ日本の現実と同じだと思ったのは、ウーバンの車内では、杖をついているnoriが席を譲られるということは無かった。時代はやはり動いているのだろう。ひょっとしたら教育的な行き詰まりをこの国も感じ始めているのかも知れないと思った。


★今回の旅行記には特徴がある。それは、読者には悪いが、結構しつこく書いていると言うことだ。これには訳がある。第一は、アルコールのせいだ。イランは厳格なイスラム教国でアルコールは観光客を含めて御法度だ。夜の時間がすることもなく、長いときがあった。これは日記を書くのに好都合であった。・・・これはイラン旅行記に書いたことだ。ドイツはビールの国なので、もちろんアルコールはある。白ワインも名品が多い。しかし今回はたかだか8人のツアーで、その多くはリタイア組だったので、食事の時間もあっという間に終わるということが多く、のんびりとワインを開けて食事を楽しむというようなことをしていたら、他を待たせる結果になるので、そうしたことは出来なかった。第一、メインの皿を半分以上もの残される方もおり、食事の時間は概して短かった。だからアルコールの量もせいぜいビールの大ジョッキ一杯にワイン一杯程度だった。それらは西洋風の料理間隔での提供の時間の中で消費されてあまりあった。だから比較的夜が長く、飲んだ勢いで早めに寝ると3時頃には目を覚ました。最終日を除き、日記は次の日の朝には概ね完成していた。


★今回の旅行では腹痛などにはならず、無事に帰ってくることが出来た。旅行中は食べ過ぎるきらいがあるが、ドイツの塩分の多い食事は、量を加減せざるを得ず、おかげで体重がそう増加することもなかった。健康には気を遣ったがので、あるいは先進国で水も水道から飲めたりしたこともあって、体調的にはそう大きなトラブルはなかったものの、「頭」の問題で大きな課題を残した旅だった。それは、noriにおいては途中で購入したものさえも忘れるという失態だ。忘れたものは帽子。他のことにいかに気をとられているかということでもあるが、おかげで、ツアーバッジは帽子に着けていたので、それもなくしてしまった。これは老化という問題に対して新たに取り組みを始めなければならないということを悟る旅でもあった。


★健康の絡みから言えば、ドイツの食事は辛かった。塩辛かった。しかしながら、それは最初のことで、そのうちにかなり慣らされてしまったのも事実。高血圧がとりわけドイツ人に多いわけではないだろうから、日本人とは体の構造が違うのだろう。肉を食べても、肉の本来の味が殺されて面白くない味という印象は最後まで拭えなかった。さて前回の旅行は4月から5月にかけて行ったペルーだった。ペルーはジャガイモの原産地と言われる。そしてドイツの食事では、ジャガイモの姿を見ないと言うときは皆無と言ってもよかった。ほとんど主食に近い扱いの国だった。(ただしベラルーシという旧ソ連邦を形成していた国はなんと年間一人あたりの消費量がドイツの倍以上でありドイツ人が際だって摂取量が多いというわけでは統計的にはないらしい・・・出典はここ) 帰ってきてもうジャガイモなど見向きもしたくなかったnoriであったが、その後の食卓に何故かjunはジャガイモ料理を多用するようになった。junの体がドイツの近づいたのだろうか。


★今回我々はこの旅行を選んだのは、ドイツの中小都市をまわり、もう一度ドイツを訪れても重複を最低限避けられるというコースだったから。この意味では、旅は楽しめたし、何よりも沢山の世界遺産に接することが出来た。数年前から世界遺産フリークを宣言している我々にとっては、ギリシャの旅の時の世界遺産サイト訪問数10ヶ所を凌ぐ数のサイトを今回訪れた。あれよあよというまに、190を越えた。現在その数を再確認してみたら、194サイトを訪問している。元気でさえいれば来年中にはいよいよ目標の200を達成できるかも知れない。