9月19日(金)

  シェンベルグ−ヴュルツブルグ−ニューンベルグ
  −バンベルク

ホテル発(1850)(1147)昼食(1250)(1315)レジデンス宮殿(1440)(1455)マリエンベルク要塞(1527)(1715)夕食(1810)(2117)ホテル着

1.朝
 noriの時計が1時間狂っていて、noriはもう寝られないと起きて、日記の整理を始めた。そのうちにjunが起き出して、朝の健康チェックを始めて初めて時間の間違いに気がついた。
 その後junは日記のベースを作り、荷物をあらかた整理した。
 朝食の時間になったので階下に行こうとするも、エレベータが動かない。仕方なく裏側の階段を使って階下に降り正面に出てみたが、丁度メイドの一人が到着して厨房の方へ消えるところだった。これではまだまだだ言うことで引き返す。
 しばらくするとエレベーターも動き出したようなので、再び階下に行き朝食にありつく。朝食については、ネットで調べたところ結構良いようなことを書いてあった。その書き方に相違はなく、小さな山小屋風のホテルの割にはしっかりした朝食が出来た。ただ我々は昨夜の暴飲暴食がたたって、そう食が進むわけではなかった。
 8時前には日記も完成したので、バゲージを自分たちで出そうと廊下に出ると、添乗員氏に止められて、逆に散歩でもと言われた。出発の時間まで未だだいぶ間があるので、その言葉に従って外に出ることにした。

1.1 朝の散歩
 昨日のレストランの方角と反対方向に歩く。ホテルからも見えたが程なくして教会前に出る。更に進むとコンビニのようなものもあった。大通りに出る手前で引き返し、バス停前のインフォメーションの看板を見て、そのソバまで行く。勿論未だ開いてはいない。近くの公園にはハイキングコースとおぼしき案内板がある。道も整備されているようで、こうした小さな町がアクティビティーの拠点になっていて、しかも有人のインフォメーションまで持っていると言うことを認識した。時間があれば散歩は体の良い刺激にもなるし、町の風にも当たることが出来るので、良いことだと思う。
 散歩はほどほどにして切り上げ、ホテルに戻る。昨日部屋を移動したので、新しい部屋の写真を撮っていないことに気がついたのと、添乗員氏の口ぶりが、少し早めに出たいという感じだったからだ。

2.ヴュルツブルグまでの長い移動
 バスは案の定殆ど10分前には出発した。我々に渡されている資料ではヴュルツブルグまでは330qとなっており、今日一日全体では500qを超える走行距離になるとなっていて、事前に添乗員氏からも同様に告げられていた。しかしこれは急遽作り直したコースのせいだろうか、完全なる誤植だった。運転手に今日は長いねぇと呼びかけると、そうだよ180q以上だとカーナビを見せて教えてくれた。それでもかなりの距離であることは確かで、宿到着は夜になる模様。
 走り始めると街道沿いはうっすらと靄がかかっている状態だった。こういう天気の時は晴れ上がることが多い。事実昨日と同じ時間の出発の割には、外の風景が明るい。我々の座席の順番は一番後ろ。正確にはもう一列後ろにあるが、バゲージがそこは占めているので、一番後ろの座席。ただものは考えようで、一番後ろのあまったスペースは使い放題なので、その分身の回りの荷物はなくなり、ゆったり感はある。
 10時前にはヴュルツブルグまで120qを切る。ここまでは快調だった。バスは途中から高速に乗り、ひたすら走った。10時過ぎに長いドライブの途中の退屈しのぎに、あるいはドイツへの60代以上の日本人の知識階級の憧憬の一事例として、「ヘッセと歩くドイツ」という桑野淳一さんが書いた本が添乗員氏から紹介された。
 10時半にドライブインにはいる。トイレは有料ではあったが、50セントを入れてバーを押してはいるタイプ。ちゃんとおつりも出てきた。ここのドライブインは前のものよりは小さいが、食べ物も揃っていて、ドライバー氏は確か我々と一緒に朝食をしたはずなのに、何かに食らいついていた。
 我々は出発間際に「NIPPON」と書かれた菓子を発見。1ユーロ少々で買う。何のことはない、チョコレート菓子で中に米が入っているから、瑞穂の国である日本を連想して名付けたのだろう。商品の棚の最下段にあったから、そう売れ筋ではないのだろう。ただ大きいタイプも売っていたので、流通しているものらしかった。また、キティが表紙を飾る雑誌もあった。
 11時過ぎにはヴュルツブルグの町に入った。この町はシーボルトの生まれ故郷でもあり、昼食のレストラン近くにはシーボルト博物館がある。

3.昼食
 12時前にレストランに到着。既に開いており、老婦人が食事をしていた。
 今日のメニューは、ヌードルスープ・肉・団子・ホットキャベツ・フルーツ・ビール(2.45)・白ワイン(2.5)。
 ここの名物はヌードル。卵入りのこの麺は、日本でいえばそうめんのような感じか。肉の団子添えが出てきたが、この団子はむしろまんじゅうと同じくらいの大きさのもので、ジャガイモと小麦の入った蒸しパンのようなもので、グルテンが効いているせいか、モチモチッとした感じのもので、腹にたまりそうな食べ物だった。
 飲んだワインはフランケンワインと呼ばれるもの。その特徴は辛口ですっきりしているがフルーティーというもの。そして瓶がマティウスのロゼの瓶と同じ形のもの。添乗員氏はここ独特のウイスキーの瓶のような形と称していたが・・・。ともかく飲みやすいタイプだ。これはマウルブラン修道院の売店でも売っていたが、中の量に比して瓶が重たい感じなので敬遠した。
 食事の場所は新市街で、勿論レジデンス宮殿は旧市街にあるからそこから更にバスを走らせる。

4.レジデンス宮殿185
 ヴュルツブルグのレジデンス宮殿は1720年から大司教の皇子、カール大帝によって建設が始められた。ベルサイユ宮殿に負けないように対抗心を燃やして豪華に造った宮殿。設計はバルタザール・ノイマン、彫刻はイタリアの彫刻家による。それほどに司教の力というのは絶大だった。平地にこうしたものが造られたということは、世の中が安定してきたということ。この後にゆくマリエンベルク要塞に対して下の宮殿ともいう。
 宮殿内は撮影禁止。

4.1 入口のホール
 ここには馬車で入ってきた。天井には八角形の絵があり、隣の部屋には天井画が描かれているが、最初のこの画家をカール大帝は気に入らず直ぐにクビにした。

4.2 階段の天井画(フレスコ画)
 ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの代表作の一つ。
 カールフィリップの肖像画を中心に世界(ヨーロッパ人にその当時発見認識されていたアメリカ・ヨーロッパ・アフリカ・アジアの4代大陸)が描かれている。当時は大陸は4つと考えられていた。各大陸の象徴は女性。その全てがヨーロッパを向いていて、ヨーロッパ、すなわちカール大帝が中心であることを誇示している。
 アメリカ大陸の女性は、裸でインディアンのような姿。野蛮であることを表している。
 アジアには十字架やオベリスクが描かれているが、当時はアジアのものと考えられていた。外に文字の起源もアジアと言うことで文字、虎や象などの動物もいた。
 ヨーロッパには、芸術や文化が盛んであることを表し、華やかな雰囲気になっている。その片隅には、この作者の顔もある。
 アフリカは、ダチョウやラクダ、黒人などがいる。
 写真はドイツ語版のWikiPediaから。
 なおこの階段室を含むVRがここにある。一見の価値有り。

4.3 白の間
 天井から壁から全てが白一色で、塗られている。彫刻も白で、作成には9ヶ月かかった。街を象徴する動物ドラゴンもいる。シャンデリアも透明のガラスで蝋燭の白が際だっていた。ただ、壁に付いている燭台は金色になっていた。18世紀のロココ調。ダンスホールとして使われた。現在はコンサートなどにも活用され、まさにその準備中の風だった。

4.4 皇帝の間(司教の間)
 修復中で、何も見られない。かすかに覆われている布を通して豪華な雰囲気が伝わってくる。ここに描かれている絵のレプリカで説明を受ける。1枚は、司教に跪く皇太子の絵、もう1枚は、皇帝になって司教を跪かせる絵。
 右の写真は前者の方。フランス語版WikiPediaより

4.5 待合室
 天井は白。中央には絵が描かれている。調度品はシンプル。壁を覆うように造られているタペストリーは、300年前のもので、アレキサンダー大王の遠征の様子が描かれている。これは第二次大戦でも被害に遭わず残された貴重なもの。

4.6 客間
 天井には金の飾りなど、華やかな部屋。調度品も豪華で、鏡には香料を臭わせるような工夫もしてある。ここのタペストリーは、アレキサンダー大王の凱旋の様子。

4.7 夜の部屋
 ベネチアの雰囲気を表している。シャンデリアがかわいい。

4.8 鏡の間
 壁、天井一面が鏡。400万マルクもかけ、600枚の鏡を作った。鏡は金で縁取りされており、2.5kgの金を使ってある。大戦後修復されている。東洋風の人形もあった。客を驚かせるために作った部屋。
 天井画と並び、これこそが爆撃される前には、この宮殿の一番の宝であった。写真はWebページからの引用。

4.9 召使いの部屋
 殆ど何もないシンプルな部屋。ドアに、英語ドイツ語と並んで日本語で注意書きがしてあった。
 ここは、丁度今見てきた部屋の裏側にあたり、各部屋の暖炉の薪をくべる機能などもそなえていたらしい。

4.10 宮殿付属の教会
 宮殿と建物的には一体になっている。正面から見て右端の建物。細かい説明はなかったが、荘厳な感じの内部。ここは帰り際に写真を写すことが出来た。

4.11 モーゼルワイン醸造所
 この地方のワインはモーゼルワインということで、その特徴などは食事の時に書いた。何とその醸造所が、宮殿付属の教会の下に造られている。そしてそれは脇から階下を覗き込めるようになっている。覗き込むとワインの芳醇な香りが鼻をくすぐる。
 ここで我々はこの世界遺産の記念写真を撮っていなかったことに気づき、急遽撮影。

4.12 中庭
 きれいに手入れされていた。この中庭は実は広大な面積を持つ。本当は散策をしたかったのだが、時間の関係だろう通り過ぎるだけだった。それでもそこを通過してくれたのは添乗員氏の配慮か、それともコースか。宮殿の壁伝いに庭園を出るとバスがそこに待っていた。
 今回の旅行(会社)をこの時点で総括するのは未だ早いとは思うが、どうも自由時間やそれぞれの所へのつっこみの時間が足りないように思う。我々の希望としては。どうしてもこれまでのところでは、つまみ食い感は否めない。例えば、この街の橋で見所になっている、12使徒の彫像のある橋桁を持つ橋など、ちょっと迂回すればよいことなので走って欲しかったし、このあと訪れるマリエンベルク要塞についていえば、市長であった時期がありかつ彫刻家のティルマン・リーメンシュナイダーの悲しむべき一生の物語は語られずじまいだった。
  おそらくは現地のガイドが付いていれば、熱く語っただろうにと思う。上滑り感は免れない。考え方を変えれば、まぁそれでよしとするの客層もあるわけだから、差別化が図られているともいえるので、不満に思うことはなく、選択する我々の問題でもあると言えるかも知れないが・・・ しかしもしこれが金銭的な事情であったとすれば許し難い。

5.マリエンベルク要塞
 14時45分、宮殿を辞してマリエンベルク要塞に登る。高台にあるので、市街地を一望できる。レジデンス以前はこうした高台に宮殿が造られ、しかも要塞としての役割も大きかった。上の宮殿ともいう。
  先にも書いたように、ここはただ眺望を眺めるだけに登ったに過ぎない。どうも添乗員氏もあまりよく分かっていなかったのではないだろうか。ともかくその眺望に不満を言うことは絶対ない風景が望めたことは確かだ。ただ残念ながことは、下の宮殿を見下ろす眺望場所までいけなかったことだ。添乗員氏は一定の方角を示してくれたが?彫刻家のティルマン・リーメンシュナイダードイツ農民戦争の話題はここでは欠かせないのだが・・・それも言及がなかった。
 15時半、追い立てられるようにして今日の今ひとつの目的地である、ニューンベルグへ向かう。

6.カイザーブルク城
 ニューンベルグといえば、ドイツというかナチスの戦争責任を裁いたニューンベルグ裁判が脳裏に残る町。遡れば、しばしばナチスが党大会を開き、ここで「ドイツ人の血と尊厳の保護のための法律」が定められた。更に遡れば、13世紀のユダヤ人が10万人規模で虐殺されたとされる事件の発端ともなった町(これは日本語WikiPediaの情報)。
 しかしながら、旅程はカイザーブルグ城を観光し風のように去ることになっている。残念ではある。
  17時15分ニューンベルグの旧市街にあるカイザーブルク城に到着。かなり急な階段を登る。ちょっと同行のご老体には気の毒な坂だ。足の悪いnoriも遅れがちになる。と言っても、登る時間は数分で上に到着。
 ここは、1050年にハインリヒ王(3世)によって築かれて、その後皇帝やドイツ諸侯の居城として何度も増改築を重ねてきた。
 ここではガイドが付く。先にも書いたようにガイドが付いている方がよい。ここでもドイツ人グループとの混載の中ですすむ。仕方がないが、宮殿の時もそうだったのだけれども、この安くあげようとするための行為は時間を浪費しがちだ。(ただ現地語や英語が分かっている人々の質問にも傾聴すべきものもあり、一概に悪いわけではないのだが。)

6.1 礼拝堂
 ガイドが鍵を開けて最初に入った部屋。正面にキリストの十字架がある。ここはこの城のプライベートな礼拝堂となっていた場所。薄暗い。

6.2 大広間
 かなり広い部屋で、肖像画がいくつかある。細かな説明はあったのだろうが聞き逃したと思われる。詳細メモがない。ただその大きさから、会議というよりは会食やパーティー、舞踏会といったことに利用されていたものと思われる。入口から近い位置にもあり、多分そうだと思う。
 ツアー客はこの部屋で一旦形が整えられる。我々の一行でゆっくりやってきた人が閉め出される一幕があった。どうも全体を考えない人がいる。そしてそうした双方が双方で勝手な行動とそれぞれを批判しているから愉快だ。それはさておき、案内人の人は、全体は同一歩調で見学をしなければならないと強く言う。きちんと集団行動が要求される。何か、ドイツ人気質というものを垣間見た気がした。

6.3 レセプションルーム
 大広間から、階段を下りて初めての部屋。
 天井にはハプスブルク家の紋章が描かれている。レセプションルームと紹介された。
 応接間なのか、あるいは謁見室のような所だったのであろうか。一番最初のへやから比べればかなり小ぶりの部屋だった。

6.4 皇帝の執務室
 天井には黒で大きく鳥(?)が描かれている。この城にはこのモチーフがそこかしこしなあった。
 部屋自体はそう大きくはなく、中央に大降りの机が置かれているほか、これは何処の部屋でも同じだが暖炉が部屋隅に置かれていた。それ以外の調度品はほとんど無く、それが当時からそうであったのかどうかは定かではないが、きわめて質素な感じがした。

6.5 タペストリーのある部屋
 ここは角部屋であった。どういう機能を持っていた部屋であるかは聞き逃した。
  部屋には大きな織物が飾られているが、16世紀の作品で、完成までに8年かかったということだ。図柄としては、イエスが捕らえられた場面が描かれている。
 ここを出るとこれまでの部屋の裏側に当たる部分出でる。

6.6 廊下
 写真が展示されている。その中の王冠の写真は、ハプスブル家のもので、100個以上の宝石で飾られているので重く、戴冠式の瞬間だけ付けたそうだ。
 これで城内の説明はおしまい。一旦城外に出る 。

6.7 井戸
 井戸小屋?の中にあり、中は狭いのでここは日本人(つまり我々)は二番目の入場となる。この城は山城なので、高台にあるため、水の確保が大事。井戸を掘った。800年前のもので(城の解説看板では城の出来たごく早い時期)、手堀で10年もかかった。60m?もある深い井戸(城の海抜が350メートルで、水面が366メートルだったので、もう少し浅いかも知れない)。

 案内人が、水を上から注ぐとしばらくしないと水が到達した音が帰ってこない。音速の問題もあろうが、何れにせよ相当深いことが体感できた。下までローソクをおろしてくれたが、ローソクの燭台がかなり小さくなった。

6.8 塔
 市街地が見渡せるというので、塔に登る。junは段数を数えながら登った。螺旋階段を114段あった。この頃になると皆疲れてきて登る足取りも遅い。noriだけが何故か快調に登る。
 さて登り切った塔の上の部屋は鉄の格子がはめられているので、大きなレンズを持つ一眼レフでは格子が邪魔になってしまう。小型のカメラで撮るか、蹴られることは覚悟で撮らなければならない。安全性の問題もあろうが、360度の眺望はきくのだけれども、人間が目で見ても、格子は結構うっとおしい。それでもファインダー越しの風景は美しい。
 満足して塔を降りて、やや塔から下りて、城の反対側にやや進むと展望所があった。ところが、そこからの景色で十分に楽しめることがわかった。結果的にはあまり苦労は報われなかった。
 まぁ高いところが好きではある我々だが。

7.夕食
 さて更に今日の宿泊場所バンベルグ迄、走らなければならない。18時過ぎにカイザーブルク城を出発。ほぼ1時間をかけてバンベルグに到着した。
 辺りは暗闇に包まれ始める時間。小回りのきく小型バスであったが、レストランがカーナビに登録されていないこともあって、やや迷って運河沿いに到着。これはこれで幸いで、夕闇迫り、夕日にもはや屋根しか照らされていない運河風景を楽しむことが出来た。
 その場所からは存外近い場所にレストランはあった。地元民でかなり繁盛している店だ。やはりこうした店での食事は楽しい。
 メニューの最初は、レバー団子入りコンソメスープ。レバーのだめなjunはそれでもよく食べた。いわゆるレバー臭さがなかったからだ。駄目な人は添乗員氏を含め多かった。
 次はメイン。豚足の唐揚げ。豚足をあげるという趣向がどのようなものなのか楽しみだったが、ゼラチン質がかなり失われており、日本で食べるような食感は楽しめなかった。
 デザートはアイスデザート(森のベリー)。これはベリーのジャムがふんだんに使われ、おいしい一品だった飲み物は、黒ビール(2.5×2)ラガービール(2.5)・白ワイン(2.9)。黒ビールはこの地方独特のもの。ホップを焙煎してあるらしい。junは結構お気に入りだった。そいれで二杯飲んだ、黒ビールとラガービールは同じ値段だが容器の大きさが違う。黒ビールは高い。

8.ホテル Berliner Ring (バンベルク) ★★★ 34号室>35号室
 今日のホテルは旧市街からすこぶる遠い。おーい、何処へ連れて行くなぁ!って思わず叫びたくなるくらいの場所へ連れて行かれた。カーナビの声が短くなって終わりだなぁと思っていると、そこがホテル。今日から2連泊。
 ここでもトラブル。なんとベットがツインではあったが、片側はベッドメーキングされていなかった。隣が幸いにも添乗員さんの部屋で、そこは二人分メーキングされていたので交換をしてもらった。たぶん間違えたのだろう。
 部屋は暖房の効きがゆっくりで、またまた添乗員氏の手を煩わせてしまったが、それ以外は快適なビジネスホテルの風。シャワーのみは仕方がないが、インターネットには繋がらない。
 くたびれてしまったので、早々に寝た。