カダフィの国リビア

2009年12月29日(火) ベンガジからセブハへ(経由地トリポリ観光)  快晴


起床(0400)朝食(0515)ベンガジホテル発(0535)ベンガジ空港着(0555)搭乗(0640)離陸(0706)トリポリ空港着(0809)トリポリ空港発(0845)市内巡り(0928~ 昼食(1220~1345)~1545)トリポリ空港着(1616)夕食(1730~)搭乗(2035)離陸(2143)セブハ空港着(2236)セブハ空港発(2313)セブハホテル着(2323)


6-1 朝

libya_2386.jpg 朝早いのはあまり苦にはならないが、睡眠時間が少ないのは応えるようになってきた。それでも、モーニングコールを待つことなく4時には目覚めた。
 5時から食事は簡単なものを用意してくれるということだったのだが、まだ出来ていなかったので、ひとまず部屋に戻ってチェックアウトの準備をした。それからパンとコーヒーだけという簡単な食事(0515)。それも添乗員さんがみんなの分を取り分けてという感じ。我が家はあまり時間がないので、パンは包んで持って行くことにした。(でも結局こう言うのって食べないことが多い。今回もそうだった。)
libya_2393.jpg 外はまだ暗い。そんな中の出発であった。



6-2 トリポリへ LN601 36D・37D

ベンガジホテル発(0535)・ベンガジ空港着(0555)・搭乗(0640)・離陸(0706)

libya_2396.jpg 空港へ着くとまずはいつものようにX線検査を受ける。荷物を預けて待合室へ行こうとすると、入る前に女性だけ別室へ通されてボディチェックされた。いわゆる関所のお障りおばさんだ。何故か理由はわからないが、みんなで女性は隠すところが多いからなあ、と話し合った。それでようやく男性と合流。
 今回も自由席かと思っていたら、座席は指定されていた。同じ路線で何故違うのかわからない。しかも、トリポリの方が、ここよりも大きい空港のような気がするのだが,機械化されていない。
libya_2398.jpg 飛行機は2-4-2と来るときよりも大きい。座席は同じD席ということで前後に分かれた。飛行機に乗るときに,自分のスーツケースは自分で確かめなければならないらしいが、そこはツアーのいいところで、全てお任せ。


libya_2399.jpg 7時発の予定だが、6分には離陸しているのだから、定刻だろう。面白かったのは、天井からのテレビはアテンダントが手で下ろしていたことと、壊れているのかシートベルトサインが付かないこと。この飛行機大丈夫かなあと少し不安になったが、乗ったらもう仕方がないと腹をくくった。すぐにキャンディーと飲み物のサービスがあったので、コーヒーとグレープジュースをもらう。



6-3 トリポリ

libya_2402.jpg 8時10分着予定だから,その通りに到着した。スーツケースはターンテーブルで受け取る。


libya_2404.jpg 乗り継ぎまで12時間もあるので、14日目に観光する予定になっているトリポリ市内を今日観光してしまうことになった。ということで、バスを手配してもらって乗り込む。バスまで荷物を運ばなければならず、手足にダメージのあるnoriは一苦労だった。だからこの間の写真はない。


libya_2407.jpglibya_2412.jpg 逆さまボトル型ビル「ダテルマット」やカダフィ大佐の看板を見ると、戻ってきたという懐かしさを感じた。リビアが中心になった世界地図もこの国ならではのものだ。

             より大きな地図で トリポリ市内 を表示


6-3-1 アウレリウス門 (0930~)

libya_2416.jpg 我々が泊まったホテルではない政府系のホテルなどを見ながら(この時にはここに後日泊まることになるとも予想せずに)市内を抜け、海岸沿いに走って、停まった。そこには小さなモスクがあった。Sidi Abdul Wahab Mosque という名が付いたモスクで、1684年に作られた、最古のモスクでなおかつ現在も使われている。ミナレットも小型だ。


libya_2419.jpg そのモスクの前にあるのが、アウレリウス門。旧市街といえばこの門から。ここが現在のトリポリがローマ都市オエアと呼ばれていた時代(163~533年)のものは他に残っていないのだが、唯一この門だけが残っている。
 これは、皇帝ルキウス・ウェルスが、164年にパルティア王を破ったときの勝利の記念として、165年に建てた凱旋門だ。が、共同皇帝だったローマの五賢帝の一人、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの方の名前が付いている。


libya_2442.jpg 第二次大戦の戦禍にも遭わず残ったが、風化が激しい。東西南北を向いた門の四面にはレリーフがあったが、今ではよくわからない。カルド(南北)は港まで延び、街の玄関の役割を果たしていた。デクマヌス(東西)はサブラタやレプティス・マグナとつながっていた。 



6-3-2 グルジモスク (0941~0955)

libya_2460.jpg アウレリウス門の向こうにそびえるミナレットが、このモスク。1864年、オスマントルコ時代に建立。現在も使用されている現役のモスク。特別に中に入れてもらう。


libya_2471.jpglibya_2467.jpg 一歩足を踏み入れると上から下まで全てが美しい。トルコ様式のタイル張りが全体を美しく飾っている。ドームが16もあり、こちらは簡素だが、生命の木というデザインになっているそうだ。
libya_2477.jpg 女性は天井が木造になっている2階を使う。


libya_2474.jpg アザーンはテープを使わず必ず生声で行う。リビアでは録音で行うことはない。


libya_2476.jpg そんな中に電光掲示板があって、日の出の時間と5回のお祈りの時間が示されている。新しくするところはこうして取り入れているのだ



6-3-3 トリポリ旧市街散策

昔の建物(学校・銀行・役所など)・ギリシャ正教会・マリアム教会・海の門・サウナ・銅細工通り・時計塔・スーク・スーパー

 更に旧市街地を奥深く歩いて行くことになった。旧市街地は半分ほどはもう空き家になってしまっているのだそうだ。特に、商店だった1階部分は殆どと言っていいくらい空き家らしい。ただ、最近そういう所にアフリカから出稼ぎにきている人達が住みつき始めているらしい。怪我をしているnoriには酷な時間だった。
<サンタ・マリア教会>
libya_2492.jpglibya_2497.jpg イタリア占領中に建てられ革命後は絵画展示場に転用されていた。その後、リビアに住む外国人用のキリスト教会として復活した。中は質素で、イコンが1枚と祭壇正面に十字架があるだけ。壁とかの飾りも一切無い。プロテスタント教会かもしれませんということだ。(でもイタリアはカトリックの国なんだけど・・・)
<海の門>
libya_2501.jpglibya_2499.jpg オスマントルコ時代の門。6時から18時まで開いていた。1984年ムアンマル門と改名された。ドアに「緑の書」の一節が刻まれているそうだ。というわけで、今はカダフィ門なんだって。
<サウナ>
libya_2515.jpg 女性の番ということで、女性のみ中に入ることが許された。サウナなのだが、洗い女の人がいて、上半身裸で,平気で歩いているばかりでなくその姿で我々に解説までしてくれた。
 中に入っている人もいたが、特に嫌がるとか慌てるとかもなく落ち着いたものだった。
 当然カメラは×。


<4本柱の交差点>
libya_2523.jpg 十字路の四隅に立てられている柱は、ローマ時代のものをリサイクルで使っている。


<銅職人街>
libya_2538.jpglibya_2542.jpglibya_2543.jpg
libya_2540.jpg 全て手作りで、たたき出すように金槌で叩いて形を作っている。アンティークや銅細工、銀細工の食器やポット、アクセサリー、モスクの飾りなどがたくさん並んでいた。特にモスクのてっぺんに付ける月の形の作り方が見られて面白かった。


<スーク>
libya_2551.jpg これまで行ってきた中東や北アフリカの諸国のスークというとゴチャゴチャしているのだが、ここのスークは整然としていて、普通だ。みやげ物屋や金銀細工店、かばん屋、結婚式用品店などがあった。


libya_2553.jpg そこの先にようやくいつものスークがあった。緑の広場のすぐ近くで、狭い通路にはあふれんばかりの商品が並べられていた。ただ、違うところといえば、あまり売ろうという押しつけがましさがないのだ。声をかけることもないので、ゆっくりと自由に選ぶことが出来る。そこで、土産物をゲット。


<メハリスーパー>
libya_2563.jpg まだまだ時間があるので、次は、トリポリの大きなスーパーマーケットへ行った。フロアの広さも十分にあり、却って日本のよりも広いくらいだ。品数も豊富で、欲しいものは何でも手に入る。が、その殆どは輸入品だ。やはりリビアは金持ちの国のようだ。


libya_2566.jpg そこで何かお土産をと思ったのだ、こうも外国のものばかりでは意味がないのでやめにした。代わりに正真正銘のリビアのお菓子があったので、試しに購入し、みんなで分けて食べた。どうということのない普通の味だ。



6-3-4 昼食(1220~1345)

libya_2572.jpglibya_2576.jpglibya_2581.jpg

 地元のレストランということで、メニューは、スープ、サラダ以外は選択となった。noriはラムレシタ(レシタとは麺)、junはチキンパスタ。肉がボーンと入っていた。最後は紅茶で〆。



6-3-5 ジャンスー博物館(1437~1448)

libya_2587.jpg まだ時間がありますので、小さいですが博物館へ行きましょうと言うことで、混雑する市内を抜けて行った。ようやく着いたのだが、何と開いていなかった。


libya_2591.jpg 中には電気が付いている様子なのだが、鍵がかかっていて、係員もいない。リビアではよくあることです、という言葉をむなしく聞きながら周囲を一回りして、発掘している穴を見た。墓地だそうだ。


libya_2597.jpg 多分その埋葬品などを展示しているのだろう。あきらめきれないnoriは少しの隙間から覗いていた。



6-3-6 魚市場(1513~1545)

libya_2610.jpg 仕方がないのでまた市内へ戻ってきた。向かった先は魚市場。昨日から気になっていた白いテントがそれに当たる。ここは2年前に作られたばかりだそうで、この時間ではもう魚はないかと思っていたのだが、結構な量が並んでいた。


libya_2615.jpg マグロもあって、ここではどういう食べ方をするのだろうと興味がわいた。


libya_2620.jpg 隣には買った魚を処理してくれる所がある。鱗をはがすのは包丁だが、腹を割いたりはらわたを取ったりのには何とはさみを使っていた。その手際の良さには驚いた。
 その後は袋に入れて客に渡す。ただ、日本のようにサービスでやっているのではなくきちんと料金がかかる。


libya_2629.jpg そろそろ終いのようで後始末をしている人もいたが、その徹底したやり方は,日本と同じ。何度も何度も洗剤でこすり清潔にしていた。


libya_2641.jpg 床をデッキブラシで擦る様など日本で魚屋をやっている兄さんと全く同じだ。とにかく使う水の量は半端じゃないくらい、綺麗にすることにこだわっている感じだった。これを見て、リビア人の清潔度に安心した。明日からの砂漠の生活も大丈夫だと思った。


libya_2632.jpg 帰ろうとしたら、市場長がやってきて監視カメラなどの保安設備を見せてくれた。最後は記念撮影。いずれ、カダフィさんの横に我々の写真が飾られるかもしれない。このページの冒頭のビルボード部分中央に移っているのが、その所長だ。



6-4 トリポリ空港にて

libya_2645.jpg もう他に行く所もないので、空港へ向かった。・トリポリ空港着16時16分。待つのは前回と同じ所。2回目になるのでもう慣れたものだ。少し待ってから夕食(1730~)。メニューはこの前と変わっていない。食べるものも殆ど同じだ。


IMGP8894.JPG 現地ガイドさんがここでこれまでみんなが書きためていた絵はがきを集めに来た。我が家も書きためていたものがあるので渡した。実は我が家はポストカード印刷機を持ってきており、現地から絵はがきを印刷して日本の自宅に送るのも旅行の通例というか、趣味にしている。この時出した絵はがきは翌年1月21日に無事我が家に到着した。写真はそのうちの1枚(レプティスマグナ遺跡)。



6-5 セブハへ LN658 自由席 6CD

libya_2644.jpg 今日も飛行機の出発が、7時だとか8時たとかなかなか確定しなかった。当初の予定はLN659便20時発だ。最終的にはやはり8時だというので、少し早目に待合へ行くことにした。そこに同じ会社の別コースで、今日向かう先は一緒というグループがいた。その人達にエレベーターを占領されてしまって、仕方なく我がグループは4階から歩いて階段を下りることになった。が、杖をついているnoriにはきついので次のを待たせてもらうことになった。お陰で、下に降りたときには、先のグループは既にそこにいなかった。しかし、我々は知っていたのだ。早めに行ってもバスに乗るとき、奥の方になってしまうことを。
 その通り、我々は先に乗り込んで、前の方の席をゲットすることが出来た。例のグループはかなり後から乗り込んできた。
 ところで、出発時刻は予定通りなのだが、便名が違っている。何とも不可思議だ。そのせいか、その後大騒動があった。またオーバーブッキングだ。誰か降りる人はいないかということでもめたのだ。折角乗り込んだのに降りたくはない、と思うのは誰しものこと。すったもんだでようやく決着が付いたのは、我々が乗り込んでから1時間もたってのことだ。すんなり飛んでいればもうセブハに着いているのにと思っても致し方ない。ずっと我慢だ。と言うわけで、20時35分に搭乗したのに、離陸は21時43分だった。
 が、翌日になって別のことを耳にした。この便に乗ることになっていたイタリアの団体が全員乗れなくて、バスで10時間もかけてセブハに移動となったそうだ。
 何とかならぬか、リビア航空。
 サービスは同じくキャンディーと飲み物だ。



6-6 セブハ

libya_2647.jpg 22時36分、ようやくセブハ空港に着いた。もう外は真っ暗。すぐにでも出発したかったのに、なかなか荷物が出て来なくてイライラした。


libya_2652.jpg 空港発23時13分。セブハ城がライトアップで我々を歓迎してくれた。
 今日はずいぶんと無駄な時間を過ごしたものだ。



6-7 ホテル セブハ フェザン  425号室

libya_2653.jpg ただ、ホテルが空港から近かったのが良かった。10分後の23時23分にホテル着。それほど大きいホテルでもないので、すぐ部屋にも入れた。
 砂漠の入口の街のホテルだからあまり期待はしていなかったのだが、一応ホテルの設備は整っていた。ただ、部屋は一寸狭い。シャワールームも狭くて、シャワースペースは外国の大男には狭すぎるのではないかと思った。お湯は部屋付きのタンクからという方式なのだが、ぬるくてシャワーを浴びるには冷たすぎた。
libya_2656.jpg しかも、エアコンが付かなくて寒いので、今日はシャワー無しにして明日からの荷物の整理をした。大きな荷物はこのホテルに置いて、4泊5日の砂漠生活に必要なものだけ持って行くようにしなければならない。大まかなところは昨日のうちにやっておいたので、あまり時間をかけずに出来た。それでもベッドに落ち着いたのは日付が変わってからだった。24時10分就寝。