カダフィーの国リビア

2010年1月2日(土) ワディ・マンタンドゥーシュ マクヌーサ小麦畑 快晴・猛暑

起床(0620)朝食(0750)テント発(0900)ワディ・マンタンドゥーシュ(1005~1138)マクヌーサ小麦畑(1525~1535)タルキバキャンプ着(1625)夕食(1930)就寝(2100)


10-1 朝

libya_4272.jpg 明け方、また寒くて目を覚ました。6時20分だった。そこで、また二人でトイレをしに行く。昨日よりも砂に埋まることが多くて歩きにくい。
 風も収まっていた。
 今日は荷作りを早くしなければ、と、食事前から片付けを始めた。


libya_4268.jpg 7時50分から始まった朝食はパンと乾き物といつもと同じだが、インスタント味噌汁が出た。有り難い。
 出発時刻前には、かなり余裕を持って荷作りが終わった。


10-2 砂漠地帯

libya_4686.jpg テントをたたんで9時に出発。
 今日は5号車。若い方のモハメドさん。3号車のベテランさんの真似をしたがるという評判だ。運転の腕もまだまだ。

                より大きな地図で アカクス を表示(黄緑が今日の行程)


10-2-1 礫漠地帯走行

libya_4281.jpg 走り出してすぐに、昨日の「コロシント瓜」が、左右にゴロゴロしているのが見えた。この辺りがその一帯なのかもしれない。もう飽きた、というほどそれは続いた。


libya_4303.jpg 30分ほど走って一休み。たばこタイムには早すぎるんじゃないの?と思っていたが、その後のコースを見て納得。しばらく礫漠地帯を走るからだ。ここの石は尖っていて、中にはその先が上を向いているのもある。下手にそれを踏むとパンクの恐れがあるのは素人目にも明らかだ。一応先陣の付けた道があるのだが、何故かクニャクニャ道。そこから外れないように、運転もこれまでになく慎重だ。
 そんな道を20分ほど走って目的地に着いた。

10-2-2 ワディ・マンタンドゥーシュ (1005~1138)


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libya_4312.jpg ワディの岩壁に出来た7千年から1万年前のものと思われる線刻画の宝庫。
 この辺りには交易市場があったらしい。そこではダチョウの卵などがやりとりされていたとか。当時、ダチョウは肉だけではなく卵も食として重宝された生き物だったそうだ。その殻も容器として利用された。


libya_4623.jpg ワディにしては珍しく水たまりがあったが、これは1ヶ月前に10年ぶりに降った大雨のせいだとか。木も青々とし、花も咲いていた。


libya_4408.jpglibya_4455.jpglibya_4598.jpg
libya_4604.jpg ここも足元が悪い。岩がゴロゴロしている山だ。やはり昔は洞窟があって、そこに人は住み、線刻画を描いたのだろうということだ。


libya_4334.jpglibya_4381.jpglibya_4344.jpg
libya_4391.jpglibya_4352.jpglibya_4355.jpg
libya_4353.jpglibya_4538.jpglibya_4390.jpg
libya_4403.jpglibya_4416.jpglibya_4430.jpg
 ダチョウ(1段目左・中)や、キリン(1段目右・2段目左)、水牛(2段目中・右)、羊(3段目左)、ゾウ(3段目中)、サイ(3段目右)、ロバ(4段目左)、オオカミ(4段目中)、鹿(4段目右)などがいた。ラクダは見られない。時代が違うのだろう。
libya_4584.jpglibya_4443.jpglibya_4450.jpg
 他に、ジャマヒリヤ博物館で見た足のあるワニ(左)、太陽を描いたシンボル(中)、狩りをする人(右)などがある。
libya_4600.jpglibya_4597.jpg 面白いのは、猿と象、という図柄があって、同じ大きさに描かれていたりする。それとカエル。どうしてもトカゲにしか見えないので、そう言ったが、これは蛙だとガイドさんは譲らなかった。
libya_4490.jpg そして一番有名なのが、ネコパンチの彫り物。これは線だけではなく、平面を削るように描かれている。山の一番上に見られる。その右にも同じように削られた猫がいた。
 この様にいろいろな動物が描かれていた。すぐに動き出しそうに思えるほど上手なもの、落書きでは?と思えるようなもの、様々だった。でも、この絵のお陰で、当時どのような動物がいたのかということがわかる。貴重なものだ。


libya_4456.jpg これらの線刻画が山全体に分布しているので、見るのも大変だったが、説明に付いていくのも大変だった。崩れたと言うこともあって、逆さまになっているのもあったりする。
 その後、他の観光客がいないのを見計らって岩陰でトイレ。世界遺産の中で申し訳ない。
 土産物屋まで戻って、20分ほど休憩。お茶を入れてくれたので、有り難くいただく。


10-2-3 バルドゥーシュ・プロジェクト地帯 (1325)

libya_4639.jpg それからはまた礫漠地帯を戻って砂丘に入る。砂丘になると、このランクルの威力がわかる。歩いても足が埋まってしまうような柔らかい砂の上をビュンビュン飛ばせるのだからすごい。カメラなど、一寸の砂で駄目になってしまうのに。


libya_4662.jpg しばらく走ると、砂の中に緑が見えてきた。
 バルドゥーシュ・プロジェクト地帯といって、カダフィ大佐の指揮の下に行われている砂漠の耕作だ。植林地の中はやはり小麦畑らしい。後で行くマクヌーサ小麦畑と同じように、地下の化石水を利用している。この水はあと100年は大丈夫なくらいの量があるそうだ。ということは終わりも来ると言うことだ。それまでに、新技術が造られればいいのだが。


libya_4692.jpg その水を汲み上げたり撒いたりするために必要な電気をここまで引いてきている。鉄塔や変電所などの施設も見られた。
 恐るべし、カダフィー大佐。

10-3 昼食

libya_4680.jpg 今日も日陰で昼食。この頃になると座る場所が殆ど固定されてきている。うるさい一人組と静かな夫婦者ではっきりと分かれてきた。
 メニューは、豆とかチーズとかいつもと同じだが、チーズを溶かしてあってピザのような味わいで食べられた。
 本当によく工夫してくれている。

10-4 マクヌーサ小麦畑 (1525~1535)


大きな地図で見る

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libya_4714.jpg あまり緑のないところで停車。ここが小麦畑だという。
 1980年代から始められたカダフィー大佐の大人工河川計画による。地下から水を汲み上げているわけだが、80m位では塩分が多すぎるので、300mも掘り下げているそうだ。土地自体の塩分量は少ないので、所々で目にしたように塩が地表に吹き出してくる心配はないと言うことだ。
 この畑の小麦の収穫は6月頃。もうすぐ、といっても春まで待たねばならないが、芽を出して一面緑になるそうだ。水撒きは巨大なスプリンクラーにお任せで、1日3~5時間ほど、芽が出ると5~7時間ほど水を撒く。
 このお陰で、小麦は輸入しなくて済むようになったばかりでなく、輸出にまで回せるほど収穫できるとのこと。これは大きな事だ。
 ところで上下二つの地図だが、下がマクヌーサ小麦畑付近。マクヌーサは発芽前で荒涼とした感じはあるが、では上は?これはアメリカ合衆国の姿。導入している機械が同じ形式のものなので同形にはなるが、あまりにもその姿は酷似している。


10-5 エッ、ガソリンが? (1540)

libya_4726.jpg がたがた道を抜けてやっと舗装道路に出た。すぐの所にガソリンスタンドがあったので、補給しようと立ち寄ったのだが、何と売り切れと言うことだ。ようやく砂漠地帯を抜けてきたというのに、こんな事ってあるのか? 
 3号車のドライバーさん、ふてくされて座っちゃった。


libya_4729.jpg 渋々出かけたが、途中まだ建設中の道路があり、砂利のガタガタ道だった。時折、ナツメヤシの葉で組み立てた様な掘っ立て小屋を見かけた。あばら屋という表現がぴったりのような小屋だが、人が生活していた。遊牧の人なのか本当に貧しい人なのかわからない。


libya_4732.jpg 舗装路に出たときはホッとした。緑もボチボチと目に入るようになった。そんなとき、ラクダが道を横断していた。悠々たるものだ。車も慣れたもので、脅かすことなく横断するのを待つ。この辺り、ラクダを飼っているようで、左右に見られた。



10-6 宿泊 タルキバキャンプ 4号室

libya_4781.jpg 16時25分、ようやく今日の宿泊地 タルキバキャンプに着いた。よく走った。今夜はテントではなく一応キャンプ地と言うことで既設の施設を使う。
 とんがり屋根のロッジが円形に並んでいる。我が家はナンバー4の小屋。電気は付いているが、トイレとシャワーは共同になる。


libya_4776.JPG 小屋に入ると小さめのベッドが二つ並んでいたが、何となく埃っぽい。というより砂丘の真ん中に造られているのだから、砂っぽいと言うべきか。すぐに枕を外の日向に出して日干しした。ハエも多くて参った。しばらくはハエと格闘した。
 荷物を運び入れてからすぐにシャワーを浴びに行った。自由に入って良いと言うことなので、早めに行動。まだ、誰も来ていなかった。流しが4つほど並んでいる洗面所の両側に4つずつトイレ兼シャワー室がある。その一つに交代で入った。
 お湯の量はたっぷり、温度も十分だった。久しぶりに汗を流して、すっきりした。ただ、荷物を少なくするために洗面道具を置いてきてしまったので石けんが無く、洗うことが出来なかった。あとで見つけたのだが、石けんが置いてある室もあった。


10-7 夕食

libya_4795.jpg 19時30分から夕食。ここは自炊なのだ。キッチンカーの人々が作ってくれた。そのせいか、キャンピングカーもたくさん止まっていた。
本日のメニューは、チキンのスープ、タジン(リビアの煮込み料理)、パン、デザート、茶。美味しかった。


libya_4793.jpg 我が家は全て食べ終わったので部屋に戻ったが、若い人達は残っておしゃべりをしていたそうだ。そこへ、イタリア人のグループがやってきて、宴会を始めたとか。何とワインを持ち込んでどんちゃん騒ぎだったらしい。酒類の持ち込みは禁止されているはずなのに、この人達はキャンピングカーでフェリーで来たらしい。それで旨くかいくぐったようだ。でも、飲んだあとのボトルは2本、その場に残したままで、あとはどうなるのだろう。これは翌朝にもまだそこに置かれたままだった。


10-8 部屋にて

libya_4805.jpglibya_4803.jpg ここは電気がちゃんと付いていた。停電の心配もなさそうだ。ただ、我が家の門灯は故障中で付かない。
 寝るだけだが、布団があまり清潔そうでないので、寝袋を使うことにした。21時就寝。