2010年1月1日(金) ムサック・ミレット ムーズ砂丘 快晴 暑い
起床(0600)日の出(0805)朝食(0820)テント発(0935)昼食(1325~1430)宿泊地着(1613)夕食(1910~2000)就寝(2020)
9-1 朝
明け方になるとさすがに寒くなった。その寒さで目が覚めた。6時だった。まだ外は暗かったので、出ることもままならなかったが、二人とも起きたので、トイレを済ませることにした。一応、男性と女性の方向は決まっていたが、まだ誰も起きている様子はなかったので、二人で一緒に行った。外は寒かったが、思ったほどの冷え込みではなかった。風もないので、それほど気温は下がらなかったのかもしれない。
より大きな地図で アカクス を表示(黄色が今日の行程)
より大きな地図で アカクス を表示(一番右の赤が前日の宿泊場所)
9-1-1 初日の出
これもこのコースの売り物の一つだ。が、ご自由にということだ。まあ、サハラ砂漠の真ん中にいるのだから、添乗員がわざわざ連れて行くという必要もないわけだ。
そこで、身支度を調えて、日の出ポイントだと思うところを探してさまよい始めた。暗いうちから陽が出るまで待たねばならないので、完全防備。持っている物全てを着て寒さ対策をした。
まだ一つも足跡の付いていない砂丘を上って行く。砂には固いところと柔らかいところがある。見た目は同じなので全くわからない。固いところを踏んだときにはやったと思うが、柔らかいところは反対に足が埋もれてしまうので歩きにくいことこの上もない。
満月はまだ残っており、やがてそれが静かに西の空へ消えた。
そこでようやく場所を決めて座って日の出を待つことにした。他のテントにはまだ動きは見られない。初日の出にそれほど興味はないのか?
待つこと30分、8時5分、ようやく日が昇ってきた。noriは写真を撮りまくり、junは柏手を打って今年1年の幸せを祈った。それからnoriはあちこち動き回り、junはどっしり腰を下ろして、二人ともしばらくは、パチパチ。砂も赤みを帯びてきて、きれいの一言。
この頃になると他のテントにも動きが見え始めた。
9-1-2 朝食
荷物の片付けをしようと思ったが、8時20分頃朝食の準備が出来たというので、まずは朝食。
ここの会社のサービスなのだが、お雑煮が出てきた。あとはパンとジュース、お茶など代わり映えはしないが、だからといって不満でもない。温かいものを口に出来るだけで幸せだと思わなければ。
食事が終わってからテントの解体。これが結構大変だった。荷物は全部外へ出してから、まずテントを解体し、車に戻してから自分たちの荷物をきちんと整理した。
日の出をいつまでも見ていたせいで、時間が足りなくて結構大変だった。昨日の説明では日の出を見てから荷物の整理をしてそれから朝食、となっていたのだが、他の人が日の出など見ないで荷物の整理をしていたためもある。
9-2 砂漠地帯
・テント発(0935)・昼食(1325~1430)
今日は4号車。アリーさんという一番年上のドライバーだ。あまり腕は良くないという噂だ。
9-2-1 砂の海の中 (1015~1025)
周りは砂また砂。何もない。まるで砂の海のようだ。小さな砂丘の重なりが波のように見える。
車は結構のスピードで走るし、砂も入り込んでくるので、走行中はあまり写真を撮れない。しっかりと目に焼き付けるだけだ。
1時間ほど走ってストップ。何もないが、これが砂漠だと実感できる。この地点が丁度ワンカサ砂丘とムーズック砂丘の中間地点だそうだ。
9-2-2 モニュメントバレー? (1051~1125)
またしばらく走る。この辺りは砂丘ではなくむしろ土漠と言ってよい。すると遠くに岩が見えてきた。岩と言うほど小さくはないが山と言うには小さすぎる。やはりモニュメントバレーの岩といった方がわかりやすい。
そこで車を下りて、その岩に登ってみることになった。と言っても頂上まで行く時間はありませんから、適当なところまで、と添乗員さんが言ったのに、noriは一人でどんどん上って行ってしまった。後で聞くと、皆上まで行くものだと思ったそうだ。その後しょんぼり戻ってきた。
そこでお茶タイム。結構気温は上がってきたのだが、やはり温かい飲み物は有り難い。junはちゃっかりとドライバーさん達の仲間入りで一休み。
当然だが、止まればトイレも済ませる。この頃になるともう慣れたもので、何とか旨く場所を見つける。
9-2-3 ムサック・ミレット (1238~1315)
途中でドライバーさんの打ち合わせという名目で10分ほど休憩。実はただたばこを吸いたかっただけ?
そんなことをしながら着いたところはムサック・ミレット。本日唯一の観光場所だ。
大きな岩がゴロゴロしている所を上って行く。元々は大きな1枚岩だったのがバラバラに割れてしまった、そんな感じの所なので、足元が不安定だ。一歩一歩気をつけながら歩かなければならない。その岩だが、叩くと金属音のいい音が出る。
ここには、8千年から1万年前のものと思われる線刻画がある。かなり深くしっかりと刻まれている。キリンや山猫、ガゼル(鹿の一種)。他にも牛やダチョウなどもいるという説明だったが、写真と旨く結びつけられない。
何しろ、ガイドさんは慣れているからさっさと歩いて行ってしまうが、こちらは足元に気をつけながら、写真を撮りながら、junはその上に記録を取りながらなので、とても説明を全部受け止めることが出来なかった。しかも、線刻画はこの様なところにもあったのだから。
それからそこを下りて、洞窟のあるところへ行った。ここは多分住居跡ではないかと言うことだ。ここにも線刻画があった。風化していてはっきりしないが、人やゾウ、牛などが描かれている。
元々この地帯はこうした洞窟などがあり、やがて崩落して現在のようになったのではないかとガイドさんは言った。
そこからグルリと巻くように歩いてキッチンカーの待つところへいった。もう暑くてたまらん。
9-3 昼食 (1325~1430)
今日のメニューも相変わらずのものだが、そこに工夫がなされる。
皆が揃うまで、それは我々の目に触れないようにアルミホイルで隠されている。いっせーのせ、でそれを取ると皆嬌声を上げる。それが楽しいようでそう言う方法をとるのだが、今回のはひと味違って大歓声が上がった。それがこれ。
トマトでハートマークを作り、チーズで2010という文字。今日は1月1日。2010年の始まりの日だ。イスラム歴では、関係のない1月1日だが、我々のために祝い飾りをしてくれたのだ。
1本しかない大きな木下にテーブルを並べた食事、美味しくいただきました。
9-4 砂漠の薬
またしばらくはひたすら走るのみ。
地表の様子が少し変わって来た。礫漠という所だろうか。小さな石が広がっている。土漠よりも粒が大きい。砂漠にもいろいろな顔がある。
そんな所を抜けてまた土漠地帯になると、また車が止まった。トイレタイムかと思っていると、丸い実を見せてくれるためだった。「コロシント瓜」というのだそうだ。これは地べたに這いずるように出来ている。握り拳くらいの大きさがある。
割ってみるとこんな感じ。これが薬だという。下剤つまりは便秘薬の材料となる。とても苦くて口に出来る代物ではないということだ。動物専用かと思っていたが、ガダメスの博物館で、昔からの薬のリストに入って展示されていたので、人も使っていたのかもしれない。
やがて砂丘地帯に入り、今夜の宿泊地を探した。
ところで4号車のアリーさん、ギアの入れ方が下手で、この砂丘を走るのには苦労した。上り始めると途中でエンストということが何度か有り、それなりの恐怖を味わった。砂丘を登っていて途中で止まってしまし、ズルズルと後退するのはかなりの恐怖だ。
9-5 宿泊地到着
16時13分、危なっかしいアリーの運転にやきもきしながら、なかなか最後の砂丘も登り切れず、大回りして結局一番最後に宿泊地到着。
9-5-1 テント張り
今夜もテント泊。砂丘のまっただ中だ。
このテント張りの時、一騒ぎ。昨日も我が家のテントは出入り口のファスナーが壊れていたのだが、それなりに工夫をして使用した。今日のは別のを選んだのだが、それも同じように壊れている。というより2重になっているファスナーが両方とも壊れていた。そこでガムテープを出して何とか貼り付けようとしているときに、他のテントの人が、ファスナーが壊れているから取り替えてくれと騒ぎ出した。noriが見に行くとその人のは、2つのうち1つしか壊れていない、つまり昨日の我が家と同じ状態だったのだ。にも関わらずなので、それならうちのも、と要求した。結果、予備が一つしかないので、予備はあちらに、我が家は添乗員さんのと代えてもらった。
別に代えてもらわなくても良かったのだが、こうしたところで完璧を求めるな、それなりに我慢をするとか改善の工夫をするとか自分で出来ることをまずせよ、ということを言いたかったのだ。
とにかくこの人、こういう条件のところに来ていながら、何でも人にやってもらって当たり前、という考えの人で、これまでに何度もイライラしていた。それならもっと都会へ行くツアーに参加すればいいのに。一人参加者ってもっと自立しているかと思うのだが。
とにかくそんな事もあったが、設置場所を決めてテントを張る。
今日は風がものすごく強くて、崩れかかっているテントも見られた。先日の日本での富士山でテントが飛ばされて亡くなったという事故を思い出した。
日が落ちた。まだ食事の準備が出来ないので、テントの中でゲームをしたり記録を付けたりしていた。
9-5-2 夕食
19時10分、ようやく夕食。月が出てないので、暗い中での食事だ。それだけ今日の場所は周りの砂丘が高いと言うことだろう。
メニューは、リビアスープ、バカバッカ(リビアのパスタ、短いマカロニ)、添乗員さんが造ったキュウリの浅漬け、デザートなど。
その頃にようやく月が出てきた。夕食は20時に終わった。
9-5-3 就寝
少したき火にあたってから、食事後はすぐにテントに入る。狭い空間で寝るしかやることがないので、寝袋に入って横になった。
テント生活も2泊目ともなると慣れてきて、そう不快ではない。
今夜も暑い。風が吹いても気温はそれほど下がらなかったようだ。20時20分就寝。