カダフィの国リビア

2009年12月31日(木) アカクス山中 快晴


起床(0530)朝食(0730)マジックロッジ発(0845)宿泊地着(1750)夕食(2000~2145)就寝(2200)


8-1 朝

libya_3037.jpg とうとう電気は一晩中復旧しなかった。電気がないと水が出ないと言うことだったが、夜中のトイレの分は何とかOKだった。
 5時半起床。朝、まだ電気は付かなかったが、水は大丈夫だった。かなりの水量が蛇口から流れ出ててきた。まだ暗くて何も出来ないが、懐中電灯の代わりに持って行った、ソーラー式庭灯が活躍して洗面だけは出来た。


libya_3039.jpg 朝食の時間の7時半にはまだ外は薄ボンヤリ程度の明るさだった。
 朝食は、パンと卵、ヨーグルト、ジュース程度の簡単なメニューで、ないよりはまし、という程度だった。


libya_3041.jpg 食事を終える頃ようやく外は明るくなったので、少し周りの写真を撮った。
 それから大急ぎで荷物の整理。テントの中は暗くて狭いので、テント前にある椅子に全部荷物を出してバッグ詰めをした。
 その荷物は、今日もロッジの人が運んでくれた。

                より大きな地図で アカクス を表示(赤が今日の行程)

                 より大きな地図で アカクス を表示(上の青い点が出発地)


8-2 砂漠地帯

libya_4020.jpg マジックロッジ8時45分発。今日は3号車。モハメドさんだ。この人、昨日見る限りでは隊列を崩して我が道を行く人だったので、この車には乗りたくないと話していた人だ。
 今日もそうだった。でも、運転技術は悪くない。しかも人なつこくて、すぐに我が家の名前を覚えてくれた。なかなかユーモアのある人と見た。


8-2-1 化石水 (0953~1015)

libya_3096.jpg しばらく土漠の中を走る。土漠の上の無数のタイヤ痕が、ここまで大勢の客を連れてきたことを物語る。我々もそのうちの中に入るのだ。
 その土漠の中に小さな小屋のような物が立っていた。車はそこへ向かった。


libya_3105.jpg そこには井戸があった。ポンプであげた水を貯める様な貯水槽がある。ガイドさんが,ポンプのバブルを開けてくれて水を出してくれた。この水は、化石水と言って、要するに化石と言うくらいだから200年も前の水だそうだ。それがこの砂漠の下にあるというのだ。それを必要に応じてこうして汲み上げて使っている。
 冷たくて綺麗で、勿論飲める。ということはnoriはすぐにそれにチャレンジすると言うことだ。
 ここでキッチンカーは、水を確保。


8-2-2 パンク (1050~1120)

libya_3141.jpg それからしばらく走ると、わが3号車のドライバーが、しきりに4号車へ合図を始めた。何事かと思ったら、4号車の後ろのタイヤがパンクしていると言うことだ。
 そこで先に行っている1,2号車は仕方ないとして後の3台が止まってその修理に当たった。砂漠でパンクはつきもの、と聞いていたのでそれほど驚きはしなかった。


libya_3164.jpg ドライバー達も手慣れたもので、話し合うとかしないのに、それぞれの分担を果たしていた。そのうちに1号車が様子を見に戻ってきた。
 程なく修理は終わって、2号車の待つ所へ行った。既にお茶の準備が出来ていて、11時40分まで、少しお茶タイムということで休憩。リビア産では残念ながら無かったが、デーツ(ナツメヤシ)のジャム入りクッキーというのを食べた。これはその後よく茶の時に出てきた。


8-2-3 象の鼻 (1215~1220)

libya_3187.jpg この辺りはワディ・タシュウェントと言ってアカクス山脈のワディの一つになる。
 大きな岩に穴が開いてトンネルのようになっている。アメリカのアーチーズを彷彿とさせるような岩だ。


8-2-4 岩絵 wh_logo.gif233

 岩絵と一言で済ませているが、その中には線刻画と言って、線のみで輪郭が描かれているもの、色を付けて平面的な絵として描かれているものがある。これらの年代差などを聞いたが、現地ガイドは気分次第という感じでまともな答えは返ってこなかった。

<1カ所目>(1225~1255)
libya_3306.jpg 気温は32度くらいまで上がってきた。日差しもかなり強くなってきたので、昨日買い込んだターバンが有り難い。


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libya_3286.jpglibya_3315.jpglibya_3282.jpg
libya_3302.jpglibya_3292.jpglibya_3276.jpg
 ここで見た物は、5千年前のものだろうというキリン(上左)、ラクダ(上中)、牛(上右)や馬、狐(中左)などの動物と、人の様子が描かれている。踊る人(中中)、井戸端会議のように集まっている人(中右)、狩りをしている人など(下左)、その時代の様子がわかる。ナツメヤシもあった。更には化石のように岩にくっついている蜂の巣(下中)。つまり、昔、この辺りにはその様な動物や植物があったということを示している。また、ガラマンテス人が書いたと思われる文字もある(下右)。
libya_3318.jpg これらはこの岩屋に住んでいた人の住居の装飾ではなかったかと言うことだ。確かにこの大きな岩の麺や亀裂のようになった所にそれらは見られた。


<2カ所目>(1318~1330)
libya_3352.jpg このアカクス山中には,今でもテント生活をしているトアレグ族が9家族いるのだという。彼らは義務教育も免除されて昔ながらの生活をしている。その彼らが、何処にどんな岩絵があるのかを案内してこれだけのものが発見されたのだそうだ。
 ということで、次に見たのは、ナツメヤシの葉の柵でしっかりと守られた所。というのも、かなり盗掘が多くて、そのために岩絵を守るために人が近づけないようにしているからだ。かつて、ヨーロッパ人が、岩ごと剥がして持って行くという荒っぽいことをかなり行ったからだそうだ。このことは広大な砂漠の中なので、今でも起こりうるそうだ。トアレグ族の人たちは「昔はもっと沢山あったのに」と嘆いているそうだ。
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libya_3379.jpg 岩に近づけないのでかなり見づらいが、ここには戦いの様子(左)や結婚式の準備の様子(中),キリン(右)などが描かれている。わかりにくいと言うことで、ここには解説図があったが、その全てを見つけることは出来なかったが、多分、どこかにこの様なものがあるのだろう。


<3カ所目>(1335~1345)
libya_3409.jpglibya_3468.jpglibya_3420.jpg
 ここにあるのは5千年くらい前のものだそうだ。やはりここにもラクダや牛、人が描かれている。また、色を付けるためのパレットのようなものもある。この頃の色は、自然の鉱物から取り出したのだそうだ。ここで初めて黄色を見た。
libya_3408.jpg この中で特に目を引くのは、大きく手を広げたような人の姿。飛ぼうと試みたのか、飛びたいという夢を描いたのか、様々な説があるそうだが、人はやはり空へのあこがれはずうっと昔から持っていたのだ。他に、船の線刻画もあります、ということで写真を撮ったつもりだが、どれなのかよくわからない。
 文字もあった。一体何を伝えたいのだろう。


<4カ所目>(1354~1404)
libya_3507.jpg ここは少し高い所にある。足元にかなり注意を払いながら岩山を上がっていくと、かなりはっきりしたゾウの線刻画が何種類かあった。7千年から1万年前のものだそうだ。ということはその頃、この辺りにはゾウもいたと言うことになる。牙や耳、しっぽなど、それとよくわかる。昔から上手な人は上手だったのだ。


libya_3516.jpg ちなみに我が家の二人と比べるとその大きさがわかる。力強い線だ。


<5カ所目>(1407~1418)
libya_3548.jpg ここには、いろいろな動物が描かれていた。


libya_3541.jpglibya_3560.jpglibya_3580.jpg
動物だけではなく、狩りをする人などそれと関わっている人も多くいる。ここにもまた翼のある人がいた。赤や白、黄色など,色もはっきりと残されている。
libya_3558.jpg こういうものを描いていたということにも驚かされたが、これだけのものが残されていたことの方にこそ驚きと感動を覚えた。
 そこから歩いてキッチンカーが待っている所まで歩いた。


8-2-5 昼食 (1420~1532)

libya_3604.jpg ようやく昼食だ。上手に日陰を探してキッチンカーはテーブルを設置する。
 豆サラダ。数種類の豆とトマト、キュウリなどの野菜が並ぶ。食材的には昨日とほぼ同じなのだが、盛りつけを工夫して目新しく食欲をそそるようにしてくれている。それとパンが付く。勿論温かいお茶もある。それだけあれば十分だ。


libya_3611.jpglibya_3607.jpg ここでこの間買ったペコちゃんが描かれている菓子を食べた。単なるカステラ系のお菓子だった。


8-2-6 ティンヘリガ (1541~1552)

libya_3628.jpglibya_3622.jpg これは単純に開いた穴ではなく、3本の岩(支柱)に支えられている。まさにダブルウインドゥそのものだ。その穴を通り抜けることも出来た。


8-2-7 水場 (1614~1635)

libya_3657.jpg ティルワウト。添乗員さんのリポートにこう書いてあったのだが、この地の名前なのか、水汲み場のことなのかわからない。やはり化石水だ。
 イタリア人の団体はここで水着になって水を浴びていた。あまりにも暑いので、その気持ちがわからないではないが、そんな無駄使いをしてもいいの? 化石水といっても永遠にあるわけではなく、地下に貯まっているのを使っているわけで、砂漠にとっては命の水だろうに。
libya_3664.jpg 我々は日陰でぐったり。キッチンカーは、ここで生活水を補給。
 木陰にお土産屋さんがいたが、あまり売る気も感じられない。今日の分はもう売り上げたのかもしれない。


libya_3673.jpg そこからまた隊列を造って砂漠を走る。
 ワンカサ砂丘に入り、砂の丘も見られるようになった。そうすると、3号車のドライバーは、面白がってその一番高い所を目指して上って行く。怖いが楽しい。キャーキャー言うと喜んでそうする。


libya_3691.jpg そうこうするうちに、日本時間で2010年1月1日午前0時を迎えた。車内でささやかに祝った。運転手のモハメドも、何となく意味は理解してくれたらしい。

8-2-8 砂集め(1722~1741)

libya_3742.jpg そうこうしていると、砂漠の真ん中で車は止まった。見渡す限り何もない所なのに、と思いながら車を降りると、砂を見てください、ということだ。
 何事かと思ったら、「砂にはいろいろな色がありますが、ここでは何種類かを集める事が出来ますので、皆さん集めてみましょう。」と言うことだった。そこで、潮干狩りならぬ、砂集め。表面は同じようでも少し彫ってみると違った色の砂が出てくる。
libya_3743.jpg 表面の赤から始まり、灰色や黄色、白、茶などが集められた。それから、皆で日本の新年を祝った。 それから、そろそろ宿泊地を探そうと言うことになった。

8-3 宿泊地

 適当な地が見つかったらしく、今日はここでテントを張ります、という場所へ着いた。17時50分だった。
 砂丘のど真ん中だ。砂の丘に囲まれた低地が今夜の宿泊地だ。


8-3-1 テント設営

libya_3762.jpglibya_3759.jpg テントは、一人用も二人用も同じ大きさのものを使うということだ。始めにテントの張り方を教えてもらった。運転手さん達が手伝いますから大丈夫ですよ、と言う話だったが、そういうことはなかった。彼らも疲れているから仕方ないのかもしれない。自力で頑張るしかない。
libya_3775.jpg それぞれ好きな場所へテントを設営した。ようやくできあがると,下にマットを敷いた。細長いマット2枚で丁度テントの床面一杯になる。狭くて、二人が横になったら荷物を置く場所も無くなる。仕方ないので、枕にしたり、足の部分に積み重ねたりして何とか寝るところだけは確保した。これでほんとに2人用テントなのだろうか。これなら、一人用のを二張り貸して欲しかった。


libya_3771.jpg その頃には日も落ち、満月が出始めてきた。昼間の気温が下がりきっていないので、セーター1枚で十分過ごせた。と言うより、これでも汗をかくくらいだった。
 写真に写っているのはハイメン。警察官。彼は酒を持っていて、noriに勧めた。本人曰く、ウイスキーと言うことだったが、透明な液体でアルコール度数は低かった。


libya_3799.jpg 日がすっかり落ちて暗くなるとそれこそ何も出来ないので、持って行ったゲームをしたり記録を付けたりして夕食を待った。

8-3-2 夕食

libya_3809.jpg 夕食は20時から。メニューは、スープ、年こそソバならぬ年越しスパゲッティーミートソース味。美味しかった。


libya_3842.jpglibya_3820.jpg 食事のあと、年越しにしては寂しいねえ、花火でもないの?と言っていたら、ドライバーさんが砂丘で何かをしていて突然それに火を点けた。なんと、火文字だ。2010という文字とハートが浮き上がってきた。足で砂を掘り、そこにガソリンを撒いて火を点けるという大胆な方法だが、それだけに火の付きはよく勢いがあった。なかなかやるなあと拍手大喝采だった。 
 こうしてみんなで年越しを祝った。空には星が綺麗だった。21時45分解散。


8-3-3 テント生活

libya_3849.jpg その後はテントで就寝。添乗員さんが余興のために持ってきていたライトをいただいてテントの天井に吊すと、これがなかなかいい照明になった。
 このために新たに購入した寝袋を広げて中に入った。
 今回のは全期用で両手足が別になっているタイプのもの。その中でも軽いものを選んだ。横になっても手が自由に出来るので何かと都合がよい。そこで寝付くまでDSのゲームをしたりした。
 まだ暑くて暑くて寝苦しかった。
 トイレはテントから離れたところまで行かなくてはならないのが不便。砂の上を歩いて行くので大変だ。何とか起きないようにしたいと思って、眠りについた。22時就寝。