平成22年12月28日(火) バーゲルハット

3b 12月28日(火) バーゲルハット


アザーン(0530)起床(0540)小舟クルーズ(0655~0800)ハルバリアから上陸散策(0942~1045)小舟クルーズ(1045~1115)昼食(1200~)モングラ港着(1347)モングラ港発(1355)バーゲルハット(1450~1702)クルナ・ホテル着(1755)

3-9 道々

モングラ港発(1355)

 この辺りを走っていると、人々がうまくみずと折り合いをつけながら生活しているように思う。
 とにかく右も左も水ばかり。そこを水田にしたり、魚の養殖をしたり、もちろん生活の水としても活用している。
 ホテイアオイも群生していたが、それすら無駄にせず利用しているのだとか。



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 バングラデシュを代表する15世紀のモスジット群があり、我が家にとっては254個めの世界遺産訪問地となる。なお、モスジットとはベンガル語で、モスクと同意語だそうだ。後に行ったダッカのスターモスクのところで現地ガイドに質問すると、地元の人にはモスクでは一般的には通じないそうだ。
 バ-ゲルハットは、カーン・ジャハーン・アリがスルタンの命により15世紀中頃に築いた町で、マングローブの森を切り開いてまず池を作り、それからモスジットを建設したという。最盛期には、360もあったというが現在はわずかしか残っていない。
まずはじめに、シャット・ゴンブズ・モスジットへ向かう。



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3-10-1 博物館(1455~)

 門をくぐると外の喧噪の世界とは別天地のような、手入れされた広い敷地の中に入る。
トイレを借りたりもするので、まず右側にある博物館へ。古いモスジットから発掘された物が展示されている。
入るとすぐに大きなワニが待っていた。体長3mもあろうかという大きな物で、池で捕獲された物だそうだ。
 ここは写真撮影ができないので、説明のみ。ガイドブックもなかった。

3-10-1-1 第一室

 主に17世紀から18世紀のもの。土器(壺、酒器のようなもの)、埴輪のようなもの(形が日本のそれとよく似ている)、皿、石器、煉瓦、オスマン帝国のコイン等が展示されていた。

3-10-1-2 第二室

 主に15世紀から16世紀のもの。土器、子犬や球などの子供のおもちゃ、皿、壺、オイルランプ、煉瓦、モスクの装飾だったテラコッタの破片等が展示。
 ただ並べてあるというだけの物で、どこにどういう歴史的な価値があるのかなどは良く分からない。ガイドさんも皿ですね、テラコッタもありますね、という見れば分かる程度の解説だった。申し訳ないが、撮影禁止にするほどの所ではなかったように思う。



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3-10-2 60のモスク(1508~1540)

 1459年にカーン・ジャハーン・アリによって建てられたバングラデシュ最大級のモスジッド。アリは、ヒンズー教が盛んだったこの地に来てイスラム教を広めた。
 「シャット・ゴンブズ」とは「60のドーム」という意味だが、実際には11×7列で77(小さなドームが60とそれよりやや大きなドームが17)、四隅の塔のドーム(ガイドさんは違うというが、添乗員さんはこれはミナレットだという)を入れると81のドームがある。
 これはあらかじめnoriがグーグルの地図を印刷していたので良く分かった。同じものを右にも掲げておいた。だから60のドームを(最低)60持っていると言うことは正しくても、日本語ウィキペディアの『その名のとおり、屋根には60のドームが並んでいる』は誤り。英語ページの方が正確に書いている。
 以前は「カンバス=柱」という名前だったのが、「ゴンブス=丸い屋根」というように変わっていったのだとか。だから60という数があるのは中の柱の数なのだそうだ。
 屋根はベンガルの伝統的な木と竹の民家を模した浅い弓型。雨の多い地域で、雨がすぐ四方に流れるように四隅の垂れ下がった曲面になっている



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3-10-2-1 内部

 靴を脱いで中に入る。モスクなので勿論女性はスカーフで髪を隠す。
 東側には11、南北には7のアーチの開口部があるが、内部は薄暗い。柱が林立していて、メスキータほどではないが、イスラム、という感じがした。この柱が60本あるというのだ。数えては見なかったが、優にそのくらいはあると思われる。これらの柱はインドから運ばれた砂岩でできているが、痛みが激しいので1本だけオリジナルの物を残して、後は修復されてコンクリートで固められた。
 内部にはミフラブが10基ある。アーチが11なのにミフラブが10しかないのは、中央より一つ右のスパンの一つはアリ専用の出入り口となっていたためだ。このモスクの奥には沐浴のための大きな池もある。
 その前で、イマーム(礼拝の導師)が、コーランの一部を披露してくれた。この人、我々の帰り際にもまたアザーンを聞かせてくれたが、とてもいい声だった。音響も素晴らしい。
 祈りの時計がここにもあった。1日五回の祈りの時刻を表示している物だが、金曜日だけ時刻が一回の祈りの時間が変わるので、6つあるという。



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3-10-2-2 周り

 その後外周を見て回った。
 裏の西の池には睡蓮が綺麗に咲いていた。白いのが国の花だとか。が、ここでは赤いのしか見られなかった。
 それから建物の横を戻った。ガイドさんたちは急ぎ足で行ってしまうので、とにかく写真を撮るのが精一杯だった。こちらもそれなりの装飾があるのにもったいない。
 帰りがけに世界遺産マークを見付けた。



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3-10-3 カーン・ジャハーン・アリ廟とモスク(1600~1610)

 そこから5分ほどバスで移動した。そこには、目的地の廟まで参道のような道が続いていた。両側に店が並び、活気があった。週2回マーケットが開かれるということで、ちょうどその日だったようだ。
 バングラデシュ全土から多くの巡礼者が訪れているというだけに、人が多くてはぐれないように歩くのも大変だったが、noriはしっかりと椰子の砂糖を試食。サトウキビとは違うでしょ、とガイドさんに言われたが、サトウキビ自体良く分かっていないので・・・。(サトウキビジュースは青臭く甘い飲み物だ。)



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3-10-3-1 カーン・ジャハーン・アリ廟

 シングルドームの屋根と四隅に塔が付いた壁のある建物で、隣に同時期に造られたモスジッドもある。
 廟の中央にあるカーン・ジャハーン・アリの墓には常に布がかけられているが、中に入ってこれを見ることができるの男性だけ。せっかく裸足になっても女性は入り口までしか行くことができない。モスクはいいがお墓は絶対に駄目なのだそうだ。
 イスラム教なので土葬してあるが、下には石を引いて高くしてあるのだそうだ。
15世紀中頃にシュンドルボンの一角に入植し、町を築いた武将は今や、聖人となった。



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3-10-3-2 モスク

 隣接するモスクには、女性も入ることができるというので、そちらへ向かった。廟とそのモスクの間にアリの一番弟子といえる人の墓がある。アブダフェという名だったかな。
 モスクの名前はイチゾンモスクと聞こえた。が、このガイドさん、日本語で話してくれるのだが、どうも発音に怪しいところがあって聞き取れないことがある。わざわざ確かめるほどではないかと、殆ど聞き返すこともしなかったので、確実性には乏しい。
 丸屋根が一つのモスクで、中はタイルが綺麗に貼られていたが、これは後でほどこしたものだそうだ。
前の池にワニがいるという。5,6匹いるのだとか、何となく見えたような気がした。



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3-10-4 ナイン・ドーム・モスジットへ(1618~1625)

 しばらく田舎道を歩いて次のモスジットへ向かう。狭い道を自転車や荷車がどんどんやってくるので歩くのは要注意だ。
 小学校があったが、今日は休みとのこと。覗いてみると机と椅子が並べてあった。木になったフルーツ(ジャックフルーツ)や幼羊などを見た。この時期あちこちで生まれたての羊を見かけた。



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3-10-4-1 ナイン・ドーム・モスジット

 このナイン・ドーム・モスジットはその名の通り3×3の9つのドームをもったモスジッド。高さは15.24m。西側(ミフラーブのある側)以外の3面の壁面それぞれに入口が、建物の四隅に8層に分かれた塔がある。西側の中央入口はテラコッタによる浮き彫りで飾られている。
 朽ち果てたとまではいかないが、かなり痛みが激しい。地震でも来れば倒れてしまうでしょう、と話していたが、保存の手はここまでは行き届かないと見える。庭は子供たちの遊び場になっていた。
中に入ると、柱は着色された色が残っており綺麗だった。この柱は石で造られている。この石をインドから運んできたときに、アリがモスクに使えるかどうか指で押して確かめたところ、と言われるところが、皆がそこを擦るのでどんどん大きくなっていくそうだ。
 ここにもイマームらしき人がいた。盛んに写真を撮れというので期待に応えた。



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3-10-4-2 ワニ

 帰る途中、ワニ、ワニと言っている人がいた。ガイドさんが、ワニを見ますか?というので、見なついていった。
 その人たちはワニに餌をあげている様子を見せることを商売にしているらしい。ガイドさんは5$せしめられていた。それにしても手に持った餌を直接ワニに食べさせているのには驚いた。



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3-10-4-3 交流

 廟に戻ってトイレに行った人を待っていると、現地の人たちに囲まれて、盛んに写真を撮れという。こちらの人は、写真を撮られることを非常に嬉しがる。デジカメの画面を見せるとこれまた大喜びをする。
 ということで、要求されるままに一緒に写真を撮った。



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3-11 道々

 そろそろ夕日が落ちてきた。が、町はまだ活動をやめる様子はなく、活動し続けている。



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3-11-1 カン・ジャハン・アリ・ブリッジ(1730)

 2005年に完成したばかりのルプシャ川に架かるカン・ジャハン大橋(日本のODAの協力で完成した)。以前は、バスもフェリーで対岸に渡っていた。橋を渡る料金はフェリーで渡っていたときの料金と同じ。人や力者は無料。そのせいか、ちょうど橋の中央辺りに人だかりができていた。この人たちは見物客ではないかな。
 モングラ港とつながったことで人や物の流れが活発になり発展が期待されるとのことだ。



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3-12 クルナ・ホテル着(1755)
 キャッスル・サラーム 407号室

 すっかり日が落ちて暗くなった中、ようやくホテルに到着。
 ウエルカムドリンク(オレンジジュース)で出迎えられる。スーツケースとも久しぶりの対面となる。
 部屋の設備は、ダブルベッド2つ、バスタブ、櫛、歯ブラシ(歯磨き粉はない)、冷蔵庫、TVなど一通りの物がある。



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3-13 夕食(1930)

 ホテルのレストランで、ベンガル料理と称する物。インドと同じような物を予想していたのだが、インド風のカレーよりはスープっぽいものとか煮込み料理のようなものが出た。



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3-14 就寝

 部屋に戻ってからはいつものように入浴や荷物の整理をしてやすむ。



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表紙

2010年12月26日(日) バングラデシュへ

12月27日(月)
 シュンドルボンの森へ

12月28日(火)
 シュンドルボンとバーゲルハット

12月29日(水) プティア

12月30日(木) マハスタンとカタナガ-ル寺院

12月31日(金) パハルプ-ル

2011年1月1日(土) ソナルガオンとダッカ観光

1月2日(日) ダッカ観光

1月3日(月) 帰国

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