平成22年12月30日(木) マハスタン

5 12月30日(木) マハスタン

起床(0430)マハスタン(0820~1020)レンガ工場(1045~1107)昼食(1250~1340)カタナガ-ル寺院(1508~1553)ボグラ・ホテル着(1958)夕食(2010)

5-1 朝

起床(0430)朝食(0700)ボグラ・ホテル発(0800)

 夜中寒かった。何とかヒーターを入れようとしたのだが、駄目だったので、靴下を追加して,それでも寒かった。
 二人ともそんな感じでもそもそし始めたので、お茶、コーヒーを飲んで体を温めてから,少し荷作りなどをした。
 朝食は、まあ、このくらいあればいいかという程度。ただ、トーストがあるので有り難い。
 出発時、外へ出ると珍しく雲があった。



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5-2 道々

 ホテルを出て、マハスタンまではそれほど長い道のりではない。その道すがら、見付けた物は、またもや線路。列車が走っているのはこれまで見ないが、線路は何度もある。この赤い旗は、電車が来ないことを示しているのか、もう廃線になってしまったと言うことを表しているのかは分からない。が、線路は錆び付いてはいないように見える。
 また煉瓦工場も目に付いた。煉瓦工場は各地で目にすることができた。雨期は仕事ができないというので、今がかき入れ時。あちこちの煙突から煙が立ち上っていた。


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5-3 マハスタン(0820~1020)

 パハルプ-ルと同じ時代、パーラ朝を代表する仏教年遺跡。遺跡の発掘は19世紀後半から20世紀初頭にかけて行われた。そのころここは深いジャングルになっていた。
 ヒンズー教、仏教、イスラム教のものだが、主に残っているのは、8~11世紀の仏教遺跡。地図でわかるよう、かなりはっきり城壁の後を認めることができる。我々も東の門から北の門までの城壁を歩いた。


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5-3-1 廟とモスク

 バスはすぐに目的地に着いた。
 階段の途中に女性の墓や、女性用の身を清める水場(なのに、男性がいた。おかしいですねえ、もういい加減なんです。とはガイドさんの弁。)を見ながらモスクに着く。
 本来のはもっと小さく、それを覆うようにして大きくされたそうだ。ここも靴を脱ぐ。ただし女性は入り口までしか行けないので、junは面倒だといってやめた。モスクなのに、と思ったら、ヒンズー教の王を倒した人のお墓がある廟だとか。お墓に女性は近づけないのだ。この墓は大理石で作られている。周りにもいくつかの墓があった。弟子たちの物だという。
 その向かい側にあったのがモスクだった。入ることはできなかったが、覗くことはできた。
 その前にタマリンドウの実がなっていた。インドで大騒ぎしたのはこんな風に木に付いていたということを知った。
 ここでも多くの人々が集まってきた。ただ遠回しに見ているだけだった。


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5-3-2 城壁の中

 またバスに乗って少しだけ移動した。
コトラヤ川のほとりに造られた城壁は全長約4.5㎞。城壁の中は、1525m×1370mほどある。城壁の高さは6mくらいあった。マウリヤ時代の紀元前3世紀頃から造り始められたのではないかと推測されているが、レンガで造られた大部分の城壁は8世紀頃のもの。
 川がヒマラヤからの砂を運んでくるデルタ地帯で、現在ではそのほとんどが農地となっている。


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5-3-3 命の水

 これはヒンズー教徒とイスラム教徒の戦いに由来している井戸だ。
 「ヒンズー教徒はいくら殺してもこの井戸の水を飲むと生き返ってまた戦士として戦いに戻ってくる。これではたまらないとイスラムの王は、この井戸に牛の肉を投げ入れた。ヒンズー教徒にとって牛の肉は神聖な物だからだ。それ以降、ヒンズー教徒は井戸水を飲むことが叶わなくなり、敗れ去った。」という話だ。


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5-3-4 ジャガイモ畑と王の館

 ジャガイモ畑の先に王の館の跡が残っていた。が、それはそう言われてようやく建物の跡らしいと分かる程度で、殆どジャガイモ畑に占領されている。
 城壁の中は国の所有で、本当なら家を建てたり畑を作ったりしてはいけないのだそうだが、今や近所の人たちが勝手に入り込んで住み込み耕作しているそうだ。確かに見渡す限りといってもいいくらい畑が広がっている。役人も厳しく取り締まることはないそうだが、皆一生懸命働いているし、遺跡といっても保存にそれほど力が入っているようでもないので、まあいいじゃないかという気になる。


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5-3-5 城壁を歩く

 城壁の上を歩いて行くことになった。今の高さは1mほどしかない。幅もそのくらい。倒れないように厚い煉瓦で補強してあるそうだ。万里の長城とまではいかないが結構長く続いているので、全部歩くと半日はかかるだろうという。
 城壁には門が4つほど造られていた。我々はそのうちの一つ東側に位置する門から入って北側に位置する門から出る様に歩いている。城壁が折れ曲がっているのは、地形をうまく利用しているからだそうだ。勿論敵が攻めにくくすることも考えられているとのこと。高さは往時は6メートルくらいあったという。(この辺の情報はnoriが無理矢理現地ガイドから聞き出したから正確さに欠けるかもしれない。)
 歩いても歩いても畑ばかりだった。ジャガイモやなす、カボチャなどがずっと続いていた。
 途中でキツツキなどの鳥を見た。
 最後の方でフランス隊が発掘した所があった。少し小高い所は王の家があったというが、あまり良くは分からない。
 我々の姿を見付けて土産物売りが出てきた。オーさすがに観光地、と思った。何人かが購入。帽子は50タカ、3段かごが150タカだった。



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5-3-6 博物館(0935~0953)

 入り口を入ると、よく手入れされた庭園がある。バラの花などがきれいに咲いていた。イギリス式庭園とでもいえるか。その間の小道に設置されたいくつかのゲ-トをくぐって博物館の前に来ると、首のない仏像がおかれていた。
 中には、この遺跡の地図や、遺跡から発掘されたテラコッタや金製の装飾品、コインなどを始めとする数々の古美術品が展示されている。
 地図では、城壁の様子や仏教遺跡が転々と造られていた様子が良く分かるようになっていた。
 紀元前4世紀~紀元後1世紀頃のテラコッタや石器などもあるが、8~12世紀のブッダやヒンズーの神々のレリ-フやブロンズ像などが見物で、他にも宝石や象牙で作ったビ-ズなどの装飾品もある。
 入って左側が6~13世紀の仏教遣跡、テラコッタ、金・鋼製の装飾品・コイン、右側はヒンズー教遺跡でヒンズーの神々の彫刻などがある。
 撮影禁止のため中の写真はない。


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5-3-7 ゴヴィンダ寺院跡

 博物館入口の向かい側にある寺院の遺構。15世紀頃まで使われていた寺院。現在は崩壊が進み、ほとんど土台しかないような状態だ。
 仏教時代とヒンズ-教時代のもので、赤レンガを積んで建てられた当時の様子をうかがい知ることができる。奥の方が仏教遺跡だというが、どちらも草に覆われてしまっていた。ただ、仏教の方が古くて煉瓦が薄くて小さいそうだ。
 その向こうにはまたジャガイモ畑が広がっている。総出で取り入れをしている様子が見て取れた。本当によく働く人たちだ。


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5-4 働く人たち

 何度も書いたようにこの国の人たちは本当によく働いている。バスで走っていてもそんな人たちをよく目にする。次の見学地までほんの20分ちょっとだったが、その間こんなにもたくさんの働く人を目にした。
耕作する人、野菜を売る人、新聞を売る人、バナナ売りなどがいた。その中から、ガイドさんがバナナを買ってくれてみんなで食べた。小さめだが甘みは十分にあった


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表紙

2010年12月26日(日) バングラデシュへ

12月27日(月)
 シュンドルボンの森へ

12月28日(火)
 シュンドルボンとバーゲルハット

12月29日(水) プティア

12月30日(木) マハスタンとカタナガ-ル寺院

12月31日(金) パハルプ-ル

2011年1月1日(土) ソナルガオンとダッカ観光

1月2日(日) ダッカ観光

1月3日(月) 帰国

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