5 12月30日(木) マハスタン
起床(0430)マハスタン(0820~1020)レンガ工場(1045~1107)昼食(1250~1340)カタナガ-ル寺院(1508~1553)ボグラ・ホテル着(1958)夕食(2010)
5-3 マハスタン(0820~1020)
パハルプ-ルと同じ時代、パーラ朝を代表する仏教年遺跡。遺跡の発掘は19世紀後半から20世紀初頭にかけて行われた。そのころここは深いジャングルになっていた。
ヒンズー教、仏教、イスラム教のものだが、主に残っているのは、8~11世紀の仏教遺跡。地図でわかるよう、かなりはっきり城壁の後を認めることができる。我々も東の門から北の門までの城壁を歩いた。
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5-3-1 廟とモスク
バスはすぐに目的地に着いた。
階段の途中に女性の墓や、女性用の身を清める水場(なのに、男性がいた。おかしいですねえ、もういい加減なんです。とはガイドさんの弁。)を見ながらモスクに着く。
本来のはもっと小さく、それを覆うようにして大きくされたそうだ。ここも靴を脱ぐ。ただし女性は入り口までしか行けないので、junは面倒だといってやめた。モスクなのに、と思ったら、ヒンズー教の王を倒した人のお墓がある廟だとか。お墓に女性は近づけないのだ。この墓は大理石で作られている。周りにもいくつかの墓があった。弟子たちの物だという。
その向かい側にあったのがモスクだった。入ることはできなかったが、覗くことはできた。
その前にタマリンドウの実がなっていた。インドで大騒ぎしたのはこんな風に木に付いていたということを知った。
ここでも多くの人々が集まってきた。ただ遠回しに見ているだけだった。
5-3-5 城壁を歩く
城壁の上を歩いて行くことになった。今の高さは1mほどしかない。幅もそのくらい。倒れないように厚い煉瓦で補強してあるそうだ。万里の長城とまではいかないが結構長く続いているので、全部歩くと半日はかかるだろうという。
城壁には門が4つほど造られていた。我々はそのうちの一つ東側に位置する門から入って北側に位置する門から出る様に歩いている。城壁が折れ曲がっているのは、地形をうまく利用しているからだそうだ。勿論敵が攻めにくくすることも考えられているとのこと。高さは往時は6メートルくらいあったという。(この辺の情報はnoriが無理矢理現地ガイドから聞き出したから正確さに欠けるかもしれない。)
歩いても歩いても畑ばかりだった。ジャガイモやなす、カボチャなどがずっと続いていた。
途中でキツツキなどの鳥を見た。
最後の方でフランス隊が発掘した所があった。少し小高い所は王の家があったというが、あまり良くは分からない。
我々の姿を見付けて土産物売りが出てきた。オーさすがに観光地、と思った。何人かが購入。帽子は50タカ、3段かごが150タカだった。
5-3-6 博物館(0935~0953)
入り口を入ると、よく手入れされた庭園がある。バラの花などがきれいに咲いていた。イギリス式庭園とでもいえるか。その間の小道に設置されたいくつかのゲ-トをくぐって博物館の前に来ると、首のない仏像がおかれていた。
中には、この遺跡の地図や、遺跡から発掘されたテラコッタや金製の装飾品、コインなどを始めとする数々の古美術品が展示されている。
地図では、城壁の様子や仏教遺跡が転々と造られていた様子が良く分かるようになっていた。
紀元前4世紀~紀元後1世紀頃のテラコッタや石器などもあるが、8~12世紀のブッダやヒンズーの神々のレリ-フやブロンズ像などが見物で、他にも宝石や象牙で作ったビ-ズなどの装飾品もある。
入って左側が6~13世紀の仏教遣跡、テラコッタ、金・鋼製の装飾品・コイン、右側はヒンズー教遺跡でヒンズーの神々の彫刻などがある。
撮影禁止のため中の写真はない。