平成22年12月29日(水) プティア

4 12月29日(水) プティア


起床(0515)クルナ・ホテル発(0800)昼食(1312~1350)プティア(1420~1605)ボグラ・ホテル着(1808)夕食(1930)

4-4 プティア(1420~1605)

 来た道をまた戻って、プティアに到着。
 プティアには17世紀前半にムガル帝国によって作られた町。池や林に囲まれて100年以上の歴史のある大小10のヒンズー寺院が散在している。下のグーグルの地図を眺めればわかるように、かなり計画的に作られた都市だ。
 バスを降りて広場に出ると正面に不思議な建物が目に入った。「ドルモンチョ」という物らしい。これは、19世紀に建立されたヒンズー教寺院で、アーチ型の窓が開いた正方形の箱をピラミッド上に積み重ねたような形をしている。今はマーケットになっていると説明を受けた。後で行ってみると、食べ物屋などがあった。



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4-4-1 プティア・ラズバリ(領主の館)

 同じように広場に面して建っている2階建てのこの館は、かなり痛んではいるが、大きさはそのまま残されているので、権力をうかがい知ることはできる。部屋数は全部で16だそうだ。
 1823年から1895年の間に造られた。1895年には、夫の後を継いでラニ(女王)になったラニ・ヘマンタ・クマリ・デビが、義母のマハラニ・サラット・シュンドリ・デビのために新しく造り替えた。それを示したプレートも英語で書かれて残されている。
 この建物は、今は国の物だが、以前は勝手に学校にしてしまっていたと言う。確かに今でも机とかが残されたままだった。しかしあまり納得いく説明ではない。廃墟に住民が住み着いてしまうと言うようなパターンを考えればよいのかもしれないが、学校って公立ではないのか?その学校は今は別の所に造られたとのこと。



bangla2646_29 1836.jpgゴールデンルームへの順路表示
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4-4-2 大ゴヴィンダ寺院

 王の館に付属している建物で、館の横にある門をくぐって中に入る。
 ゴヴィンダ寺院は2つあって、こちらが大ゴヴィンダ。後で小ゴヴィンダにも行くとのこと。
 ゴヴィンダとはクリシュナ神の別名で、ヴィシュヌ神を祀るヒンズー教寺院。1823~1895年にかけて建立されたパンチャ・ラトナ型(5つの尖塔)。中央部には主塔が立ち、その対角上の四方に小塔が立っている。カタナガール寺院をまねて造っているが、こちらは元々2階建ての建物。
 その形も面白いが、やはりなんといっても周りのレリーフが圧巻。「ラーマーヤナ」 や 「マハーバーラタ」 の説話、そして神々や動物のほかに 民衆の日常生活などが描かれている。テラコッタは1個ずつ作っているので、同じ物はないそうだ。
 寺院の中にはヒンズー教の神が祀ってある。靴を脱いで上がると見ることができる。中央の二神はシバとパールヴァティーか。
 ところでテラコッタはかなり盗まれたり壊されたりしてしまったということだ。確かに美しく芸術的文化的価値は高いモノだ。特にパキスタンとの戦争で、多くが壊されてしまったそうだ。双方ともイスラム教なので、ヒンズー教の偶像は破壊対象になったのだろか。
 今は門には鍵をかけて悪戯や盗みから守っているそうだ。



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4-4-3 沐浴場

 大ゴヴィンダ寺院を出て右に回ると大きな池があった。沐浴場だったそうだ。男女別になっていて、(貴族階級の)女性は小さく壁で仕切られたエリアで沐浴をしていた。今では広い方で地元の人が洗濯したり体を洗っていたりしていた。



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4-4-4 小アニク寺院

 かなり朽ち果てた建物(たぶん、これも王の館だった・・・最初の写真・奥に見えるのがアニク寺院)の横を抜けてこれまた崩れかかった小さな寺院。アニク寺院だという。ここもテラコッタのレリーフで覆われている。このテラコッタ、この辺りの寺院の中では一番小さい物だそうだ。小さいが綺麗で、細工も細かいとのことだ。
 このアニクという寺院も二つあり、こちらが小アニク、後で行くのが大アニクとなる。寺院の中にはヒンズー教の神がいたが、今は何もない。やはり盗まれたり1971年の独立戦争の時にパキスタンによる破壊のためだそうだ。
 このガイドさん、イスラム教徒のようだが、ヒンズー教の文化もバングラデシュの宝と認めているのか、かなり激しくパキスタンを非難していた。でも、こうした場合に気をつけなければいけないのは、何でも悪いのはパキスタンというパターン。



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4-4-5 ゴパーラ寺院、小ゴヴィンダ寺院と大アニク寺院

  門を入って右側からゴパーラ寺院、小ゴヴィンダ寺院、大アニク寺院と並んでいる。
 テラコッタには、ヒンズー教の話が主だが、ムガール帝国の物語もある。



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4-4-5-1 ゴパーラ寺院

 ゴパ-ラもクリシュナ神の別名。
 これはテラコッタとは無縁の建物で、細かな「いわれ」は分からなかった。比較的時代が新しいのかもしれない。上に登ることができて、そこから周りを見ることができた。



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4-4-5-2 小ゴヴィンダ寺院

 エク・バングラ・スタイル(緩やかなカ-ブを描いた尖塔がひとつだけの屋根をもつ建築)の建物。往時は金の装飾があったが、すべて盗まれて今は何も残っていないそうだ。全体はたぶんテラコッタで覆われていたのであろうが、正面は体面が保たれているモノの、左右の壁は漆喰になっている。盗まれた痕跡だろうか、やけに目にしみた。



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4-4-5-3 大アニク寺院

 その奥にある3つの屋根がつながった赤茶色の建物が大アニク寺院。こちらはジョル・バングラ・スタイル。3棟の中でひときわ存在感のある建物。
 やはりかなりの部分が欠落している。これらはすべてパキスタンのせいだとガイドさんは言った。まぁそれはともかく、まだまだその存在価値がある程度にはテラコッタは残っている。



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4-4-6 王の兄弟の館跡

 かなり痛みが激しく崩れている。ヒンズー教徒だった王の一族は、パキスタンとの戦争の時インドへ逃げ去った。そのまま放棄されているので荒れ放題で、いつ崩れてもおかしくないですね、と言うことだが、インドに逃げ延びた親族が今でも時折訪れるとのことだ。我々も中にはこわごわ入った。



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4-4-7 戻り道

 また広場の方へ戻っていく。途中池に映った寺院群が綺麗なので、写真を一枚。いくつかの寺院が見えた。
 バイクが置いてあったが、結構みんないいのに乗っている。
 その脇では、昔ながらの方法で木を切っている人がいた。
 広場に戻ると牛がいたのでちょっと挨拶。
 棒のような物はその牛の糞を燃料にするために乾かして売っているもの。これはバングラの各地で見ることができた。



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4-4-8 シバ寺院

 1823年にラニ・ブハン・モヒニ・デビによって建てられた。高い台座の上に、主な塔が一つと1階の屋根の上にそびえ立つ4つの小さい塔によって構成されている。
 これは、白い北インド式の塔をもつ北インドの様式。北インドのスタイルを守り、周りはテラコッタの代わりにプラスター(塗り壁)で仕上げられており、これまでのテラコッタ寺院のような凝ったレリーフはない。
 中には黒い玄武石でできた大きなシバリンガムが本尊として祀られている。また他にもヴィシュヌなどの像が彫られているが、すべて顔を中心に破壊されている。これもイスラム勢力のせいだそうだ。
 が、周りの柱などの装飾は綺麗に残されていた。
ここは、特に未婚の男女のお参りが多いとか。
 シヴァ寺院の隣にあるのはロッド寺院。バスへ戻るときに池を挟んでこの二つを見ることができた。



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4-5 道々

 疲れて眠っていることが多かったが、それでもバングラらしい風景は見逃さなかった。
 一杯一杯に荷物や人を運んでいる様子、線路を道にしている人たち、デルタ地帯に落ちる陽などなど・・・。



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4-6 ボグラ・ホテル着(1808) ナージ・ガーデン 118号室

 ガソリンスタンドでトイレ休憩を済ませて5分もしないうちにホテルへ着いた。暗くなってからの到着だったので、勘違いしたか?どうも道を習熟していない感じがした。添乗員の言によれば、運転手が道を知らないのでガイドがナビしていると言うことだが、そのガイド自身もかなり怪しい。
 設備は、シングルベッド3つ シャワーのみ 冷蔵庫 TV。蚊が多いので、蚊取り線香を二個焚いておいた。が、結構しぶとい蚊だった。
 部屋に入ってほっとしていると次から次に係員が来て、うるさいくらいつきまとう。ベッドを直したり、電気を付けたり、蚊のフマキラーをまこうかと言ってきたり、要するにチップ狙いなのだろうが、断っても断っても何か用事を見付けて部屋に入ろうとする。
 どの部屋もそうだったようで、粘り負けした人は結局チップをあげたと言うことだ。
 ホテルマンの質はいまひとつだった。
 が、ここに連泊するのだ。




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4-7 夕食(1930)

 今日もベンガル中華。ビールがあったので飲んだ。120タカ。と言っても、原則禁止の国なので、添乗員さんが闇市場のようなところかホテル併設のバーかで仕入れてきたようだ。新聞紙に包まれて、外からは見えないようになって、持ってきた。
 まったく飲んべというものはどうしようもないものだ。



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表紙

2010年12月26日(日) バングラデシュへ

12月27日(月)
 シュンドルボンの森へ

12月28日(火)
 シュンドルボンとバーゲルハット

12月29日(水) プティア

12月30日(木) マハスタンとカタナガ-ル寺院

12月31日(金) パハルプ-ル

2011年1月1日(土) ソナルガオンとダッカ観光

1月2日(日) ダッカ観光

1月3日(月) 帰国

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