平成23年1月1日(土) ソナルガオン

7 1月1日(土) ソナルガオンとパナム・ナガ-ル

起床(0525)ダッカ・ホテル発(0800)ソナルガオン(0902~0925)パナムナガ-ル(0930~1000)博物館(1005~1100)昼食(1234~1325)ラルバ城塞(1344~1435)民芸品店(1512~1600)ス-パ-マ-ケット(1612~1640)ダッカ・ホテル着 

7-1 朝

起床(0525)朝食(0630)ダッカ・ホテル発(0800)

 朝から則の調子がよくない。戻したり下痢症状だったりしたので、朝食は紅茶のみとするつもりでレストランへ行った。
 すると、正月ということで、添乗員さんが雑煮とかかまぼことか黒豆とか、おせちらしき物を用意していてくれたので、有り難かった。junは全て食したが、noriは食べられそうなものだけを口にした。
 今日はこのホテルに連泊なので、休んでいることもできる。そこで、行くかどうか相談したが、noriが大丈夫とのことで出かけることにした。
 今日からマイクロバスになる。一番先に乗る組だったので、一人席を確保。ただ、一番前は空けて下さい、と言われたので、素直にそれに従ったら、後から乗り込んできた人がガイドさんを動かして自分が座ってしまった。押しの強さに負けたと言うことなのだろうが、こうしたことはきちんとしないと、不満が残る。



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7-2 道々

 ダッカの町は昨日ほど騒然とはしていなかった。まだ人が動き出す準備の段階らしい。新聞少年も働き始めていた。停車している車に近寄って売っているのだが、かなり危ない。そんなことを思って眺めていたら、我々の方にも売りに来た。が、読めない。ごめん。それにしてもめちゃ明るい表情だ。
 市場も準備中。物を運んでいる人たちの姿が多かった。が、さすがにそこは賑わっていた。頭の上にブリキ缶のような物を担いでいるがあの中は魚だそうだ。氷も入っているとか。
 そんな時間なのに、バドミントンで遊んでいる子供たちがいた。バングラの子供たち、クリケットにバレーボール、そしてこのバドミントンでよく遊んでいた。



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7-3 ソナルガオン(0902~0925)

 ダッカから30kmほどだというが結構時間がかかった。
 村の道はやはり狭い。自転車がくると待ってもらう。
 ソナルガオンは、ヒンディー語で「黄金の都」という意味をもつ。12世紀ベンガル地方を支配していたヒンズー王朝であるセーナ朝やデーヴァ朝の下で発展した町で、14世紀には、水運の良いために、当時のベンガルの首都ガウルと並んで東の貿易都市となった。



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7-3-1 ゴアルディ・モスク

 スルタンの時代1493年から1519年にかけて建てられた煉瓦のシングルドームモスジット。前ムガ-ル様式の建築を残す貴重な物。何度も改修されたそうだが、今は屋根はボロボロ保存状態もよくない。全く放棄されているように見える。
 西の壁の一部やミフラーブの一部の装飾にオリジナルの部分が残されている。外壁には唐草模様の装飾が見られ、これが珍しいと言える。
 これを見るためにわざわざこんな辺鄙な所まで来たのか、とややがっかりのモスジットだった。



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7-3-2 神学校(マドラサ)

 そのとなりに少年たちにコ-ランを教えている神学校があった。
 貧しい家庭の子がここで生活をしながらコーランを学んでいるのだそうだ。その費用は,国からの補助と寄付で賄われているという。
 一生懸命体をゆすりながらコ-ランに向かっている。カメラを向けるとそっと手を挙げて手を振る姿が何とも可愛らしい。



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7-3-3 モスジット

 1705年に造られたモスク。モスジットというのはモスクのことで、ベンガル語の表現だそうだ。
 ここにはやはり作った人の墓があり、前には池がある。池が造られてモスクができるということをまた聞かされた。かように池は大事な物らしい。ちょうど体を洗っている人がいた。
 そこへ宣伝カーがやってきた。この車も綺麗に装飾されている。これがバングラデシュの特徴だ。



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7-4 パナム・ナガ-ル(0930~1000)

 20世紀初頭から、1947年まで裕福なヒンズーの商人たちが住んでいたが、パキスタンとして独立する際に彼らはここを捨ててインドへ逃げ去った。1本の狭い道の両側に建てられた50軒あまりの建物がそのまま廃屋となって立ち並んでいる。管理や保存が行われなかったため、かなり傷んでいるが、そこに今は、勝手に人が住み着いている。
 バスで一番奥まで行って歩いて戻りながら道の両側に立ち並ぶ廃屋を見る。彩色された色がかすかに残っている家もある。バルコニーがある家もあり、かなりこった作りも見られる。これらが復元されて豪邸が息を吹き返したら、全く違った世界が広がるのだろうと想像を膨らませた。が、この朽ちた感じが風情があっていいのかも知れない。ここが明治村の様になってしまったら、観光客は来なくなるかも。
 そんなことを思いながら歩いていると、子供たちがぞろぞろと付いてくる。飴などをあげる人がいるものだから、なかなか離れようとしない。どんどんその数が増えてくるようだ。ガイドさんはやめて下さい、というのだが、何なのだろう。優越感?
 また、ちょうど通学時間帯なのか、制服を着た学生が大勢歩いていた。いや、中にはリキシャで行く人もいた。学生なら歩け!などと訳の分からないことを叫んだのはjun。だが、女生徒しか目に付かなかった。女学校なのか?
 そんな中で、住み着いている人の1軒の家を見せてもらったりもした。というより、勝手に入り込んだ。



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7-5 民族博物館(1005~1100)

 1901年に建てられた「ジョミンダール・バリ(領主の館)」を改築したもので、今は博物館となっている。イギリス植民地時代の建築で、入り口の門の装飾が素晴らしい。植物模様の浮き彫りやらせんの縞模様などの細かい装飾が施されている。
 中庭がいくつもあって、それを取り囲む回廊にも細かい装飾がされている。周りに小部屋がある。



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7-5-1 展示品

 回廊の一部に,生活の様子を表す蝋人形のような物があった。
 建物の中には、生活用品や農具・工具・装飾品などが展示されている。珍しく撮影が禁止されていなかった。



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7-5-2  別棟

 別棟は新しく建てられたもので、王の家からの発掘品や刺繍などの工芸品が展示されている。
 あまり関心はなかったが、写真が撮れるので、一応記念にと撮っておいた。その程度のことで、我が家は二人共疲れて椅子に座り込んでいた。
 帰り際に、民族楽器を販売していたので、これも写真だけ撮らせてもらった。



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7-6 道々

 町中で市場の開かれているところは人も車(リキシャや荷車、トラック、バス)が多く、渋滞しており、抜けるのに時間がかかる。この市は結構近い距離で開かれている。どこも賑わっている。流通が活発だ。
 ダッカに近づくにつれて交通渋滞は益々ひどくなる。交通整理されている交差点ではリキシャもきちんと止まって待っている。車も当然止まっているが、そこで初めて物乞いを見た。朝の新聞売りのように車の窓をたたいて手を差し出している。大都会になるとこういう人もやはりいるようだ。
 他にさすが大都会と思ったのは、歩道橋が設置されていたこと。確かにこの町にはこれが必要だ。
 また、2階建てバスが走っていたこと。なるほどこれならいくらか混雑を防げるかも知れない。が、今のところ焼け石に水状態だ。ちなみにこの二階建てバス、イギリスの中古を輸入しているのかと思って現地ガイドに聞いてみると、なんとインドの会社で造っているものなのだとか。そういえばいかにも真新しい車両もこの後、何台も目にした。



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表紙

2010年12月26日(日) バングラデシュへ

12月27日(月)
 シュンドルボンの森へ

12月28日(火)
 シュンドルボンとバーゲルハット

12月29日(水) プティア

12月30日(木) マハスタンとカタナガ-ル寺院

12月31日(金) パハルプ-ル

2011年1月1日(土) ソナルガオンとダッカ観光

1月2日(日) ダッカ観光

1月3日(月) 帰国

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