平成23年1月2日(日) ダッカ市内観光3(ダケスワリ寺院ほか)

8 1月2日(日) ダッカ市内観光3(ダケスワリ寺院ほか)

起床(0550)ダッカ・ホテル発(0830)スタ-モスジット()リキシャ体験(0922~0942)ショトルガット(1005~)ピンクパレス(1015~1050)ダケスワリ寺院(1148~1202)昼食(1220~1325)ニュ-マ-ケット(1335~)国会議事堂(1440~1447)ダッカ・ホテル着(1515)ダッカ・ホテル発(1800)夕食(1900~2030)ダッカ・空港着(2057)

8-6 ダケスワリ寺院(1148~1202)

 ダケスワリ寺院は、12世紀セーナ朝の王ボラル・センによって建てられた。バングラデシュの首都であるダッカの名前は、このダケスワリ寺院に由来しているとも言われている。
 現在のものは、18世紀以降のもの。本尊は女神ドゥルガー。バングラデシュに住むヒンズー教徒の聖地、総本山ともいえる寺院。
 門の正面にシヴァ神に捧げられた4つのとがった帽子を並べたような屋根をもつ堂があり、シバリンガを祭っている。シバリンガはそれぞれ形が違うそうだが、よくわからなかった。
 その隣にあるのがドゥルガーの建物。新しい感じがする建物だ。
 ガイドさんによる伝説の一つを紹介すると、「昔、この辺りは木に覆われた森だったが、ある晩王ボラル・センが夢で告げられた所を掘ってみるとドゥルガー神が見つかったので、ここに寺を造った。そこで太鼓を打ち鳴らし、それが聞こえる範囲をダッカの町とした。」というものだ。
 こちらが本尊で主要なものだ。ドゥルガーを祀っている所の前で熱心にお祈りをしている人がいた。その前にはやや広めの場所があり、そこには太鼓もあり、時折子供がたたいて見せた。
 その広間を挟んで犠牲の庭もあった。
 毎年9~10月に行われるナヴァラート祭り(別名、ドゥルガー・プジャ)はヒンズー教徒にとって最大の祭りといわれれ、ドゥルガーへの生け贄が数多く捧げられる。その生け贄の庭だ。蝋燭と線香はそちらへ向かって捧げるようになっており、我々がいるときには次々に蝋燭を捧げる人がいて、絶えることはなかった。
 ぐるりと回るとお堂のようなものがあり、ドゥルガ-の像が飾られていた。ドゥルガーを挟んで4体の子供たちがいた。それぞれが自分の乗り物に乗っている。
 5日間行われるプジャの最終日、夕刻になると、信者達がこのドゥルガーの像をブリゴンガ川まで運び水中に沈める。そして次にまた新しいのを作って、一年間飾っておくのだとか。全く同じものではなく、デザインが少し違っていたりするそうだ。



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8-7 昼食(1220~1325)

 きょうもまたベンガル料理、デザ-トはアイスクリ-ム。



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8-8 ニュ-マ-ケット(1335~)

 予定外のところだが、時間があるというので、急遽立ち寄ることになった。
古いものと区別するためにニュ-マ-ケットというが、もうすでにかなり古いそうだ。
日用品から食料品など、必要なものは全てここで揃うということで、確かに何でもあった。
それだけに人も多く、持ち物に注意するように言われた。ガイドさんとはぐれないようについて行くのも大変だった。
 建物の外にも店が並んでいた。
 衣類や装飾品があった。早速そこで買い物をする人がいたので、しばらく待つことになった。一人ひとりの買い物にガイドさんがつきあうので、なかなか進まない。しかも現地通貨のタカしか使えないので、その都度両替をしたり貸してあげたり大変だ。
 入り口でキティちゃんを見つけた。こんな所にも進出してきているのだなと思ったが、果たしてそれが本物かどうかは疑わしい。
 野菜や果物も並んでいたが、その種類の豊富さには正直驚いた。
 魚売り場には川の魚が並んでいた。皆口をパクパクさせていてイキがいい。
 肉売り場で驚いたのは、山羊の肉売り場の後ろに生きた山羊がつながれていたこと。これから、と殺されるのかと思って、直視できなかった。
 鶏も生きたままで直径1.5m位の竹カゴに入れられて並んでいた。これをこのまま買っていって家でさばくのだそうだ。まあ、イキがいいのが食べられるだろうが、ちょっと・・・。とは言っても、junの子供の頃は、祝いの席というと庭でしめていたのだ。
 他にも米や豆、香辛料などもあった。レトルトもあって驚いた。生活用品からおもちゃまで、本当に何でもあった。
 そして,その品数の多さにまたまた驚いた。ダッカに来て、物乞いが多く目に付いたが、ある所にはある、持っている人は持っているということなのだ。



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8-9 国会議事堂(1440~1447)

 ションショド・ボボン。東パキスタン時代の1966年に着工して1983年に完成。エストニア生まれのアメリカ人建築家ルイス・カ-ンの代表作で、幾何学デザインが印象的な建物になっている、と本には書いてあったが、中に入ることはできないというので、道路から塀越しに写真を撮るだけであったので、どこがどう素晴らしいのかわからない。
 もっと近くによって見ることは出来ないのか?ちょっと残念。
 最後の写真は、インドとスリランカとの共催で、ワールドカップが開かれるが、その開催カウントダウンを示すもの。2月19日からだが、大半はインドでの開催。ちなみに象をマスコットにあしらったこのディスプレイ、ダッカ市内ではよく見かけた。



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8-10 ダッカ・ホテル着(1515)

 一旦ホテルに戻った。出発まで部屋が使えるというので助かる。またまた水があって、もうどうしようもない位。飛行機なのでもって乗り込むわけにはいか無いのにもったいない。でも、おかげで、今回の旅では水に困らなかったのだから感謝。
 入浴してから荷物整理。まだ時間があったので、売店で絵はがきを購入して、フロントへ頼んだ。今回印刷機は持ち込まなかったので、絵はがきで済ませた。前日はガイドさんに頼んだのだが、フロントにも頼んで信用度を試してみよう、ということだ。
 結果、こちらの方が早く自宅に届いた。ガイドさんに頼んだのはそれから1週間ほどしてこちらも到着。
 ロシアからのはまだ届かない。というよりやはりゴミ箱行きかな。
 17時30分に荷物を部屋の外におく。



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8-11 ダッカ・ホテル発(1800)

 ホテルを出て、夕食の場所へ向かう。
 渋滞を予想していたが、思ったほどひどくはなく夕食場所へ着いた。



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8-12 夕食(1900~2030)

 最後の夕食ということで、旅行会社からワンドリンクサ-ビスがついた。調子の戻ったnori共々ビ-ルをいただく。食事はビュッフェ形式。イタリア、日本、中国など100種類以上もメニュ-がありますという触れ込みだったが、その半分もなかったのではないだろうか。どうも今回は、こうしたいい加減な情報が多すぎる。
 それでも自分で好きなものを選んで食べるには十分であった。ちなみに日本食はなかった。イタリア料理はパスタがあっただけ。



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8-13 ダッカ・空港着(2057)

 チェックイン(2240)
 24時30分初の予定に合わせての空港到着だったが、25時の出発になるとのこと。ただこれは、あらかじめ聞かされていたので、覚悟はしていたが、実際に到着してみるとさらに遅れるとのこと。がっくり来て、というのもラウンジなどという気の利いたものもないし、店と言ってもキオスク程度のものがあるだけ。手続きもまだしないというので、寒いいすに腰掛けてただぼんやりと待つだけ。
 トイレに行けば紙はないし、鍵はかからないし、これで国際空港かとあきれていると、添乗員が気を利かせて水を買ってきてくれた。それはそれでありがたいが、あまり飲む気にもならなかった。  
 と、突然動きがあって、受付が始まった。そうは言っても一人にものすごく時間がかかる。特に皆通路側を希望するものだから、なかなか進まない。5人ほどそれで進んでいくと、もう通路側はないと言うので、あとの人は内側になった。我が家も窓際の2席。3-3の並びだから、通路席が少ないと言うこともあるのだろうが、本当だったのか?係員が何か、面倒になってしまったような気もしないではなかった。



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表紙

2010年12月26日(日) バングラデシュへ

12月27日(月)
 シュンドルボンの森へ

12月28日(火)
 シュンドルボンとバーゲルハット

12月29日(水) プティア

12月30日(木) マハスタンとカタナガ-ル寺院

12月31日(金) パハルプ-ル

2011年1月1日(土) ソナルガオンとダッカ観光

1月2日(日) ダッカ観光

1月3日(月) 帰国

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