8 1月2日(日)ダッカ市内観光2(スタ-モスジットほか)
起床(0550)ダッカ・ホテル発(0830)スタ-モスジット()リキシャ体験(0922~0942)ショトルガット(1005~)ピンクパレス(1015~1050)ダケスワリ寺院(1148~1202)昼食(1220~1325)ニュ-マ-ケット(1335~)国会議事堂(1440~1447)ダッカ・ホテル着(1515)ダッカ・ホテル発(1800)夕食(1900~2030)ダッカ・空港着(2057)
8-2 スタ-モスジット(0900~0920)
門の所で靴を脱いで冷たい石の上を歩く。ここは現地の女性は入ることが出来ないが、我々観光客は特に許されているとか。
18世紀初期に裕福なイスラム教徒が建設したモスジット。ドームに星型の装飾が施されているため、スターモスクと呼ばれるようになった。庭の池の形も星形になっている。
元々は3つのドームがある典型的なムガール様式のモスジットだったが、1926年に東側のベランダ部分が、1987年には2つのドームが付け加えられ、現在の姿になった。
ミハラブも初めの3つから5つに増やされた。それだけ信者の数が増えて入りきれなくなり、祈りの時には庭も人でいっぱいになるそうだ。
約50年前にモザイク装飾がはやり、地元の商人の寄進によって張りなおしたというタイルがきれいで、中には富士山のもある。イギリスと日本からタイルを取り寄せたせいだという。花模様などで壁も天井も綺麗に埋め尽くされているが、その後増築された部分には何もない。
8-3 リキシャ体験(0922~0942)
ここからいよいよリキシャ乗車体験。
二人で一台に乗る。二人まで同料金で、それ以上になると追加料金になるのだそうだ。料金は殆ど決まっているそうで、ダッカに住んでいる人は分かっているのでトラブルはないが、そうでない人はふっかけられたりするので乗る前にきちんと交渉することが大事だそうだ。我々は観光客と言うこと、数が揃うまで待っていてもらったことなどを併せて、一台40タカだそうだ。
さて、よいしょと乗り込んだが、我が家は二人とも大型なので申し訳ない。それでも運転手はうまいものだ。横から後ろから割り込んでくるリキシャや人をうまくかわしながら止まることなく進んでいく。なるべく停まらないですむようにと、クネクネと走らせる。交差点にはたまに警官が立っていて交通整理をしているが、殆どは信号もないため、右からも左からも皆我先にと走ってくる。何度かドキッとすることがあったが、事故の場面には合わなかったので、それなりにうまくやっているのだろう。ただクラクションは鳴りっぱなしのようにうるさい。リキシャは排気ガスがない代わりに渋滞を引き起こす。
ようやく到着したときには、junは足を踏ん張っていたものだから、降りたときにガクガクしてうまく歩けなかった。
あまりにも運転がうまかったので、チップをと思ったのだが、生憎とタカの持ち合わせがなかったので、ドルをあげたが、どういうお金なのか分からないようで、かえって申し訳ないことをした。
8-4 ショトルガット(1005~)
船着き場へ入るのに、入場料がいる。駅の改札のようなものか。
今は乾期なので水量が少ないので水が汚く見えるが、雨期にはこれより2m位水位が高くなって流れも速くなり綺麗になるそうだ。水位がこれほど違うので、岸から船着き場へは浮き橋がかけられていた。
岸壁には、外輪船を始め多くの大型船が停泊していた。10時間から27時間もかけて南の方へ行っているとか。それぞれ千人弱の人が乗ることができる。しかし、正月など田舎に帰る人で1200人~1500人位にも膨れ上がるそうだ。以前、雨期に台風が来て船が沈み、1500人もの人が亡くなった事もあったそうだ。お祭りなどの時期にどうしても田舎に帰りたい人は、定員がオーバーしても関係なく乗り込んでくる、というより船会社が乗せてしまうからだ。
エアコン付きのいい部屋もあるようだが、大半は甲板に直接座るので、それも可能になる。貸し毛布などもあった。大きな荷物は船底に預ける。
小舟もたくさん行き来していた。これは対岸まで運ぶもので、一双10タカ。ほとんどは5人くらいで割り勘という形を取るそうだが、裕福な人は一人で乗る。定員は一応5人となっているが、あまり守られてはいない。
ここにかつては日本の補助で、橋を架ける計画があったそうだが、この小舟の人たちの仕事が奪われると反対運動があって取りやめになったそうだ。
とにかく活気があり、しばらく見ていても飽きない光景だ。
ここへ続く道の両側にも露店が並び大勢の人でにぎわっていた。トラックにできた長い行列は安い米を買いにきた人だそうだ。
8-5 ピンクパレス(1015~1050)
ダッカの領主であったナワブ家の住居として建てられたもので、1856年に着工し、10年の歳月をかけ1869年に完成した。正式には「アサン・モンディール」という名だが、ピンク色の外観から「ピンク・パレス」の別名をもつ。
1992年からは博物館として内部が公開されており、ナワブ家の調度品、楯や剣、槍などが壁を飾り、他にも医療器具や装飾品、肖像画などが展示されていた。
部屋も、食堂や寝室、客間、ダンスホールなどがあったが、それほど華美な感じもなかった。
ただそれだけのもので、歴史的な価値はあまり感じなかった。
ここは外観を楽しむところのようだ。
かつて正面の入り口だったところは、川に面した方で、今は閉鎖されている。