ハンガリー全世界遺産訪問 第二日目

2、5月7日(土)晴れ 24度 走行距離約110km

散策(0540~0630)朝食(0700~0730)ショプロンホテル発(0800)ショプロン観光(0800~0856)ヨーロッパピクニック記念碑(0930~0940)フェルテー湖景観(0947~0958)エステルハージ宮殿(1038~1150頃)昼食(1340~1506)パンノンハルマ修道院(1508~1650)ジュールホテル着(1737)散策(1825~1920)夕食(1930~)散策(~2130)

2c パンノンハルマ wh_logo_L.gif257

2-11 パンノンハルマ修道院(1508~1650)

 1996年に世界遺産に登録されたハンガリーで最古の修道院。初代国王イシュトバーンの父、大首長ゲーザ公がこの丘陵地に建設するように提示し、チェコからベネディクト派の修道士たちが招かれてキリスト教が広められた。修道士たちはイシュトヴァーンの保護のもと、ここを拠点にハンガリーのキリスト教化への一端を担うことになる。
 修道院は996年に建設が始められ、1002年にイシュトバーンの即位後に一応の完成を見たが、13世紀にはモンゴル軍の攻撃を、16世紀にはオスマン・トルコの支配を受けながら、幾度となく増改築を繰り返した。

hungary 0752 07 2032.jpg

クリックすると拡大します。

2-11-1  ビデオで紹介

 最初にビデオを見ると言うが、まだ時間があるので、売店で本を購入。
 ビデオは教会の紹介。日本語で吹き変えてあったが、素人なのか音響が悪いのか言葉が聞きづらい。何故か関西弁だったらしい。ビデオは10分程度。

hungary 0766 07 2039.jpg

クリックすると拡大します。

2-11-2 林の中を歩く

 そこから修道院までは、少し林間に作られた木道を歩いて行く。森林浴ができる様で気持ちが良い。
 修道院学校の3年生がガイドとして付いてくれた。卒業後は修道士になるものとばかり思っていたら、ブダペストに行って建築の仕事に就くのだそうだ。つまりここの学校は、進学や就職のために有利なので入学してくる人が結構いるとのことだ。普通の学校と変わりはないらしい。

hungary 0789 07 2240.jpg

クリックすると拡大します。

2-11-3 修道院の敷地の門をくぐる

 門を入る。門を入ってすぐに学校がある。学校は18世紀のもので、現在でも男性300人が学んでいる。国内でも有数の名門校で、学生はここに寄宿していて、週に一度週末には自宅に戻る。
 現在、修道士は35人いる。以前はもっと沢山いたが、最近は学生の中から修道士になる人が減ってきているそうだ。
 黄色い建物は年老いた修道士のための老人ホーム。今現在50人位いるとか。現職よりも多い。ここも高齢化社会か。
 像は、1000年前にローマ法王から初めて王冠を受け取って来た大司教。手にしているのはハンガリーの王冠。この像は100年位前に造られた。
 二重十字架をよく見かけるが、これは、ローマ法王が選んだ司教に対してハンガリーが拒否権を持つこと表し、三重十字架はローマ法王その人を表しているのだとか。
 修道院は古い歴史があるが、建物は新しい部分が殆ど。
 修道院の塔も1820年のもの。モザイクの中央にいる女性は、ハンガリーの象徴で、左にいるのが初めて王冠を受けたイシュトバーン。右にいるのが、1786年に、神聖ローマ帝国ヨーゼフ2世の修道院廃止令により閉鎖された後、1802年に再興したフランツ1世。
 中に入る前に修道院の前からパンノンハルマの町を見下ろした。自然の中の町、それを見下ろす高台に修道院はある。

hungary 0802 07 2247.jpg
hungary 0830 07 2259.jpghungary 0832 07 2300.jpg
hungary 0831 07 2259.jpghungary 0829 07 2259.jpg

クリックすると拡大します。

2-11-4 修道院に入る

 入り口の門のクジャクは、永遠の命を表す。「ここを通る人は皆天国に入れます」ということでパラダイスの門とも言う。門を入って振り返ってみると、光が差し込んで、確かに天国のように輝いてまぶしかった。それでも、ここは一般の人の入り口で、修道士たちの入り口はもっと立派なのだそうだ。
 廊下には油絵のように見える聖母子のモザイク画があった。これは宝石類でできているそうで55kgもあるそうだ。
 そこからドアを開けて中に入る。最も古い部分になる。
オスマントルコ時代にモスクとして使われたために、調度品のほとんどは破壊された。地下部分は倉庫として使われた。ただ、元々ここは、修道士の祈りの場として作られたために、モザイク画などは少なかったそうだ。
 正面の祭壇には、聖イシュトバーンのステンドグラスのある丸窓がある。かつてはこの窓から日が射し込んでいたそうだ。(ガイドはこれは聖マルティンだと説明したが、ハンガリー大使館の資料では聖イシュトバーンとなっている。) 他にもわずかだがステンドグラスがあったり、マリアの像があったり、内部の装飾も素晴らしい。そんな中、面白いのは、柱の模様が全て違うと言うことや、その柱の基の所に蛙やトカゲなどが彫られていることだ。 
 説教壇は大理石で造られており、並んでいるイスは19世紀のもの。祭壇の反対側には大きなパイプオルガンがある。
 ここはまもなく修復にはいるので、中に入れなくなるとのことで、皆さんラッキーでした、ということだ。

hungary 0835 07 2300.jpg
hungary 0837 07 2302.jpghungary 0849 07 2305.jpg
hungary 0845 07 2305.jpghungary 0863 07 2310.jpg
hungary 0848 07 2305.jpghungary 0852 07 2306.jpg
hungary 0855 07 2307.jpghungary 0865 07 2311.jpg
hungary 0870 07 2312.jpghungary 0880 07 2313.jpg
hungary 0887 07 2315.jpghungary 0868 07 2312.jpg

クリックすると拡大します。

2-11-4-1 聖ベネディクト礼拝堂

 どこの大聖堂でもそうだが、教会内の側廊には小さな礼拝堂がある。このパンノンハルマも同様。
 聖ベネディクトの礼拝堂は、450年~500年前のもの。天井がおもしろい。木製に見えるが、実は大理石でできている。祭壇は19世紀のもの。ベネデクトについては面白い話があって、彼は戒律が厳しくて修道士には人気が無かった。そこで一人が蛇の毒を飲ませようとしたが、彼は死ななかった。その様子が左の上から2番目の絵として描かれているというのだ。確かにグラスの上に蛇がいる。

hungary 0883 07 2314.jpg
hungary 0884 07 2314.jpghungary 0885 07 2314.jpg

クリックすると拡大します。

2-11-4-2 マリアの礼拝堂

 上が曲線で折れ曲がっているように見える。祭壇が高すぎるので曲げてあるんですよ、ということだ。設計ミス?
 天井のアーチは、ルネッサンス時代の装飾が残されていると言うことだ。

hungary 0890 07 2316.jpg
hungary 0889 07 2316.jpghungary 0891 07 2316.jpg

クリックすると拡大します。

2-11-4-3 地下礼拝堂

 この部分は、800年前のもので最も古い。墓があるが、これは司教とかのではなく、大戦中にここに逃げ込んできたハプスブルグ家、フランツ・ヨーゼフの皇太子ルドルフの后であるシュテファニーのもの。

hungary 0882 07 2314.jpg
hungary 0896 07 2317.jpghungary 0907 07 2318.jpg

クリックすると拡大します。

2-11-4-4 ポルタ・スペキオサ(華麗な門)

 ポルタ・スペキオサ(華麗な門)と呼ばれている、この入口は、実は赤大理石でできた扉で、ここが修道士たちの入り口として使われた。
 キリストの12人の内4人が描かれている。その上にいるのが聖マルティン。そこで、聖マルティンのドアとも呼ばれる。マルティンは馬上の人。
 ドアの横で説明をしているのが、今回の案内役だった、アダム君18歳。彼もまたこの学校の生徒で、優秀な生徒でないとこの案内役はできないらしい。

hungary 0903 07 2318.jpg
hungary 0902 07 2318.jpghungary 0899 07 2317.jpg

クリックすると拡大します。

2-11-4-5 昔の壁面

 このパンノンハルマは幾度となく修復増築がなされている。壊れた壁のようなものは、昔の壁の様子を見せるために残してあるもの。増改築する中で天井を支えるためには壁を厚くしなければならなかった、そのために昔描かれたフレスコ画が壁の中に埋没してしまった。その様子を見せるためにその一部を壊してあるが、これ以上壁を壊すと天井が崩れる恐れがあるので、それはできないと言うことだ。
 ローマ時代のものという建物の一部のようなものが壁面に展示されていたが、おそらくはここのものでは無いと思われる。またパンノンハルマの模型も見た。

hungary 0913 07 2320.jpg
hungary 0915 07 2320.jpghungary 0917 07 2321.jpg
hungary 0928 07 2327.jpghungary 0924 07 2326.jpg

クリックすると拡大します。

2-11-5 古文書館(付属図書館)

 36万冊の蔵書が保管されている世界最大の蔵書を誇るベネディクト会図書館と古文書館。古文書館はラースロー1世(在位1077~95)が創設した。
現在の建物は、200年前の物。フランツ1世が学校を修道院を再開した時に、学校と図書館も造った。地下にも蔵書がある。
 ここにあるティハニ修道院の創立文書は、ハンガリー語の文献では、最古のものとされている。宗教書だけではなく、特に薬草に関する蔵書も多く残されている。
 13世紀の手書きの本が一番古い。
この図書館を利用するにのは修道士や学者だけで、一般の人は特別な許可がいる。学生は学生用の図書館があるので、そちらを使う。
 地球儀は200年前のドイツのもの。地球儀があれば天球儀も、と思って見回してみたが、ここにはこれだけだった。
 天窓には16枚の鏡があり、明かり取りをしている。ローソクの火で火事になることを警戒したらしい。柱は大理石のように見えるが木材。
 天井画はフレスコ画。科学の神を描いている。周りには、ギリシャやローマの学者のレリーフがある。
 奥まった所にある二つの像は、左が王冠を被ったイシュトバーン(創造者)、右はフランツ1世(再建者)。
 また、そこには、イシュトバーンのサインの残る文書とティハニ修道院の創立文書のコピーが展示されている。
 その後、自由時間、といっても殆どないに等しかったので、我が家恒例の世界遺産の写真を撮るために外へ出たが、適当な場所がなかったので、ちょっと残念だった。

hungary 0937 07 2328.jpg
hungary 0943 07 2330.jpghungary 0929 07 2327.jpg
hungary 0952 07 2333.jpghungary 0958 07 2334.jpg
hungary 0955 07 2334.jpghungary 0960 07 2335.jpg
hungary 0962 07 2335.jpghungary 0972 07 2339.jpg

クリックすると拡大します。

2-12 ジュール  <ラバホテル 542号室>

ジュールホテル着(1737)  

 ジュールは、11世紀にイシュトバーン1世によって司教座がおかれてから宗教都市の中心として、また、ラーバ川沿いの交易都市として発展してきた。現在でも工業都市として発展している。
 ホテルは、殆ど町の中心部にある。しかもまだまだ明るい。ヨーロッパの夏は本当に日が長い。

hungary 1030 08 0037.jpg
hungary 1031 08 0054.jpghungary 1111 08 0223.jpg

クリックすると拡大します。

2-13 ジュール散策(1825~1920)

 夕食までまだ時間があるので、散歩に出た。
 目指すは大聖堂。歩行者天国となっている道を地図を頼りに出かけた。が、この地図の頼りないこと。多分こっちか?と見当を付けながら行くと無事に到着した。
 大聖堂ではちょうど合唱の練習がされていたので、しばらく聞き惚れたが、内部の見学はできず、早々と退散。
 次は、ドナウ川を目指す。
 ここはちょうど支流のラーバ川がドナウ川に合流する地点。コシュート橋の上からその様子がよく見られた。この橋を渡りきってUターン。
 次は本当の町の中心地、セーチェニ広場に行く。
 ここにもベネデクト教会がある。その向かい側にはオープンカフェが軒を並べている。確かにこれだけの明るさの中では外でも気持ちがいいだろうなと思われる。それ以上に気持ちよさそうなのが、ロシアで見た悪戯噴水のような噴水。地面から直接水が吹き上がる。子供たちはその間を通り抜けて大はしゃぎだった。ここのは濡れなくてもいい程度の間隔があるので、上手に通り抜けていた。
 ようやく薄暮になってきたので、ホテルへ向かい、最後にホテル前の市庁舎で写真を撮った。

hungary 1037 08 0131.jpg
hungary 1038 08 0138.jpghungary 1041 08 0139.jpg
hungary 1048 08 0144.jpghungary 1061 08 0153.jpg
hungary 1059 08 0151.jpg
hungary 1075 08 0204.jpg
hungary 1080 08 0205.jpghungary 1086 08 0207.jpg
hungary 1095 08 0210.jpghungary 1087 08 0207.jpg
hungary 1082 08 0206.jpghungary 1103 08 0219.jpg

クリックすると拡大します。

2-14 夕食(1930~2050)

 パン、ヌードルスープ、チキン・ガルシュカ(すいとんのような感じ。パスタの一種)添え、ピーチケーキ、コーヒー、ワイン(440ft×2)

hungary 1114 08 0241.jpg
hungary 1116 08 0247.jpghungary 1117 08 0250.jpg
hungary 1118 08 0251.jpghungary 1119 08 0307.jpg
hungary 1121 08 0329.jpghungary 1123 08 0340.jpg

クリックすると拡大します。

2-15 夜の散策(2100~2130)

 食事を終えてから、窓の外を見ると、市庁舎が綺麗にライトアップされていたので、夜の町に出てみることにした。
 ハンガリーは治安が心配ないと言うことなので、全く用心するなどということを考えることはなかった。
まずは市庁舎。その後、足を伸ばしてまたセーチェニ広場へ行く。
 歩行者天国の道も、ここもあまり人はいなかった。まだそんなに遅い時間ではないと思うが、確かに遊ぶ所はないから、こんなものか。もしかしたら川縁にはアベック位いるかも。といってわざわざ見に行くほどのことでもないので、ホテルへ直行。

hungary 1131 08 0411.jpg
hungary 1139 08 0425.jpghungary 1155 08 0431.jpg
hungary 1156 08 0432.jpg

クリックすると拡大します。

2-16 部屋にて

 部屋へ戻って入浴。ベッドはハンガリーサイズ。ここもバスタブはあるが、石けん等はなく、それでもドライヤーは付いていた。
 荷物の整理をして就寝。なかなか日記を書く気にならないので、全くはかどらない。

hungary 1032 08 0054.jpg

クリックすると拡大します。