ハンガリー全世界遺産訪問 第九日目

9、5月14日(土)

起床(0430)朝の散歩1(0525~0650)朝食(0700~)朝の散歩2(0825~0840)ブダペストホテル発(0900)イシュトバーン教会(0909~0945)王宮(1030~)マーチャシュー教会(1107~1125)漁夫の砦(~1145)土産物店(~1205)昼食(1250~1415)西洋美術館(1430~1703)英雄広場(~1720)地下鉄(1725~)スーパー(~1830)ブダペストホテル着(1850)

9b 聖イシュトバーン大聖堂 と ブダ側観光

9-5 市内巡り

ブダペストホテル発(0900)

 午前中は市内観光、午後は自由時間となる。
 そこで初めにイシュトバーン教会までバスで移動する。歩いて行けない距離ではないのだが、バスで移動。土曜日ということで車が少なく、スイスイと目的地まで走った。

9-6 聖イシュトバーン大聖堂(0909~0945)

 ここは、本来予定されたところではなく、自由時間に訪ねてみたいと思っていた所へ案内してくれるというので、有り難い。なぜコースに入っていないのか不思議だったのだが、やはり現地の人にしてみれば是非とも見て欲しい所だったのではないか。
 この教会は初代国王聖イシュトヴァーンに捧げられたものだ。ハンガリーで3番目、ブダペストで一番大きな教会で、54年間かけ1905年に完成した。3人の建築家に引き継がれながらだったので、複数の建築様式が混じっている。
 第一次大戦第二次大戦で被害を受け修復が続いている。
 高さはやはり96m。展望台もあって登ることが出来るのだが、今回は時間がないのでパス。登ってみたい人は自由時間にということだった。

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9-6-1 正面

 正面には、どこの教会もそうだが聖人などのレリーフがある。その一つ一つについての説明があるわけではないが、どんな人なのか分かればなお面白いだろうにと思った。
 ラテン語で「私は道であり、真理であり、命である」という言葉も書いてある。
 教会の中に入るには、入場料ではなくお布施という形で一人200Ft必要。入り口にちゃんと料金箱があって、それを見ている人もいた。強制ではないというが、払って欲しいという感じだった。
 入り口のイシュトバーンの頭にはハンガリーの王冠が乗っているが、十字架は曲がっていない。
 また1851と1905という数字は建設を始めた年と完成した年を表している。
 木造のドアは、重厚な感じで作られているが日常は使わない。

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9-6-2 中に入る

 椅子に座って説明を聞く。ちょうどパイプオルガンの練習をしているので、邪魔にならないようにガイドさんの声も小さくなる。
 主祭壇には聖人となった初代国王イシュトバーンの像がある。祭壇には普通キリストとかマリアなのに、国王の像とは非常に珍しいそうだ。それだけキリスト教への貢献を評価しているということか。
 キリストは油絵で十字架のキリストが描かれでいる。このキリストの膝の向き、どちらから見ても見ている人の方を向いている、不思議でしょ、ということだった。
 他にハンガリーにキリスト教を広めたゲッレールト司教とイシュトバーンの息子イムレの像や異教徒と戦ったラースロー王、貧民にパンを与えたエリザベートの像などがある。
既に馴染みになった、イシュトバーンが息子の死を嘆いて王冠をマリアに捧げる場面も見られる。
 懺悔室があったが、今は真っ暗でも、人が中に入ると灯りが付くので、神父さんは人がいることを知るそうだ。普通はミサの前に行うとか。でも、そうすると時間が限られてくるから、人がいる場合、行列を作って待っているのかな。いずれにせよ、ここは今なお人々の篤い信仰の場であることには違いがない。

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9-6-3 礼拝堂

 この中はフラッシュが禁止になっている。
 この教会でもっとも古い部分だそうだが、今でもミサは行われている。オルガンもあるステンドグラスもあり、イシュトバーンに関する物になっているそうだ。
 奥にはそのイシュトバーンの右手のミイラがガラスケースに入って展示されている。聖人になったときに聖人式をやるため墓を掘り起こした所、この部分だけがミイラ化して残っていたので、後々、これは聖遺物として尊重されている。年に一回、聖体行列の時に外へ出る。その時は大勢集まるので、前庭でミサが行われるそうだ。
 これも大切な国宝ということで、しっかりとケースに収められている。200ft払うとそこの電気をつけてくれる。が、誰もいなかったらしく、またガイドさんも今回はしてくれなかったために、暗い中で見ることになった。横に写真がありますからそれを見てください、ということだった。

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9-6-4 再び

 集合の前にもう一度聖堂の中を移した。なかなかに見応えはある。が、そろそろどこも同じに見えてくる。これはヨーロッパ観光では仕方のないことだ。
 そして最後に、外で記念撮影。

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9-7 ブダ地区

 ブダ地区はホテルの対岸。到着した日以来、窓から王宮を始めとして、マーチャーシュ教会、漁夫の砦などを眺めてきたが、そこへいよいよ足を踏み入れる。
 バスでくさり橋を渡り、ブダ地区へ入る。渡りきった所が、ハンガリーの距離の出発地点、日本でいうと日本橋に当たるゼロの地点の公園がある。ゼロの形の石が置いてあるということだが、バスの中からなので確認は難しい。
 その後ブダペストに一つしか無いトンネルを通り、ブダ地区を巡るように走ってくれた。
 陶器の屋根が美しいプロテスタント教会は、昨日のクルーズでも見られた。今回は、そこを巻くようにバスは走ったので、更に細かい部分までよく見えた。
 少しバスを止めるスペースがあったので、バスから下りて撮影タイムを作ってくれた。対岸に国会議事堂が綺麗に見えた。確かに絶好のポイントだ。更にバスで進む。
 キラーイ温泉は、今日は男の日だそうだ。外見はあまり綺麗な感じはしなかったが、人気スポットらしい。ただ、木の陰になってしまって写真はうまく撮れなかった。
 ローマカトリックの聖アンナ教会は2本の尖塔が目立っているが、これは昨日の方がよく分かった。
 それから、ぐるりとまたゼロの広場に戻り、いよいよ王宮エリアへ向かう。

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9-8 王宮エリア(1030~)

 かなり急な坂を登って行く。高い所に行くにつれて町並みが広がって見えてくる。
 この丘に王宮が造られると貴族たちも集まってきたそうな。
 まずは駐車場横のトイレ、と思ったらものすごい行列が出来ていた。ちょうどクルーズ船が入ったらしい。別の所へ移動したが、そちらもすごい人だった。
 何とか全員済ますことが出来て、そこからは歩いての観光となる。
 初めに目に入ったのは、元国防省の銃痕。ブダペストはドイツとロシアの激しい戦いの戦場となったために、大半の建物は破壊されてしまい、ドナウ川に架かる橋もすべて壊されてしまった。そこで、この建物は、その第二次大戦の歴史を後世に伝えるために残しているそうだ。
 ベートーベンがコンサートを開いた劇場を通過すると、隣の白い建物が大統領官邸。ここはオフィスで住居ではないというが、警備員がいるわけでもなく自由に近づけるのには驚いた。正面へ行くとその前で生演奏が行われていた。
 それを聞きながら、ケーブルカーの終点近くで市街地を見下ろす。そこでまた市街地に見える建物などの説明があった。このケーブルカー、乗ってみたいと思ったが、乗り場の前にはやはりすごい行列が出来ていた。思いは皆同じようだ。
 王宮は外観のみで中には入らない。ガイドさん曰く、中はつまらないですということだ。
 このブダの丘の上に初めて王宮を建てたのは、ハンガリー王べーラ四世。王宮文化が花開くのは、15世紀、マーチャーシュ王の時代になってからだ。しかし、マーチャーシュの死後まもなくしてハンガリーはオスマン・トルコに占領され、王宮は兵舎や馬小屋になってしまう。マリアテレジアの時代にバロック様式で大きく建て替えられたが、火災で焼失してしまう。1903年に新築された王宮も、2度の大戦で被害を被った。そのためこの王宮には華やかな王の謁見の間や食堂など王宮らしいものはない。その後修復され、現在は美術館などとして使用している。だから、中に入ってみるほどのことはない、というのがガイドさんの言い分だった。
 門の近くに大きな羽根を広げているのは伝説の鳥トゥルルだ。これは、ペストの町からもよく見えていたが、真下から見ると大きいことがわかる。
 マーチャーシュ王の泉を見たかったが、そういうことでパスして、次のマーチャシュー教会へ向かうことになった。
 戻り道で、大統領官邸の向かい側に遺跡を見つけたので、ガイドさんに聞いてみると、13世紀から14世紀の頃の物で発掘中とのこと。あまり関心はなさそうだった。
 貴族の住居のあったエリアを通ってマーチャーシュ教会へ向かう。現在は1つの建物に複数の家族が住んでいるが(アパート)、昔は1家族のみで住んでいた。
 最近修復した500年前の家は、黄色とオレンジでポップな色使い。コヴァーチマルギットの聖母子像を家のへこみに置いている家もあった。
 貴族を待つための使用人のベンチ等面白い物もあり、さすがに貴族、という通りだ。

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9-9 マーチャーシュ教会

 マーチャーシュ教会は古い歴史をもつブダペストを代表する教会だ。ブダ王宮地区にある、ジョルナイタイルの屋根を持つ教会で、その屋根の輝く姿はひときわ目立つ。
 1255年、べーラ四世によってブダ城内に建築され、歴代国王の結婚式や戴冠式の場として利用された。元々は、1015年、聖イシュトヴァーンが、丘の上にあったドイツ人集落へ贈り物として建てた聖母マリア教会が起源とされる。15世紀に、マーチャーシュが石のレース模様のような飾りを施した美しい塔を加え、大きくした。これが現在の尖塔だ。このためにこの教会は以後マーチャーシュ教会と呼ばれるようになった。マーチャーシュ王自身も1470年、14歳のときここで戴冠式をした。2度の結婚式もここで挙げている。
 150年間オスマントルコに占領され、その間はモスクとして利用された。その時代に様々な像などはほとんど破壊され、改装されもした。小さい左の方の写真は、マーチャーシュ教会と、聖イシュトヴァーン像と、漁夫の砦の7つの尖塔。

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9-9-1 中に入る

 入り口を入る。二つ目のドアは聖母子像を天使が祝福しているというゴシック時代のオリジナル彫刻が残る。
 まず壁に王の紋章が描かれている。カラスの上に王冠もある。この王冠の十字架はまっすぐになっている。その上に描かれているのは数字で、これで1470を表しているのだそうだ。つまり王の戴冠式の年だ。
 1541年、ブダがオスマン・トルコに占領されると、教会はモスクに改装され、キリスト教のフレスコ画の描かれた壁は白く塗られ、その上にイスラム教の聖典コーランの文字が壁一面に描かれていたという。150年間ここはモスクだった。
 その後、1867年には、フランツ・ヨーゼフとエリザベートの戴冠式がとりおこなわれた。リスト・フェレンツはこの日のために、戴冠ミサ曲を作曲し、教会で自ら指揮棒を振った。またもやリストの登場だ。本当に大活躍したというか、時代の寵児だったことが分かる。が、ここにリストのレリーフはなかった。
 戴冠式の後、教会はゴシック様式に改修され、著名な画家らにより内装が行われた。本来の13世紀の通りに修復されただけでなく、ハンガリーの代表的な窯元の一つであるジョルナイ製の瓦屋根など新たな要素も加わった。また、オスマントルコ時代の物も残してあるので、他の教会とは少し趣が違っている。特に左側の壁にトルコ風の模様がよく残っている。
 マリア像が残っている。これは新たに作った物ではなく古いもの。というのも、オスマントルコがモスクに改造したときに、マリアに気づかずここに壁を築いたためだ。1686年の戦いの時に、壁が大砲によって壊され、この古いマリア像がイスラム教徒の前に現れた。そして、この日ブダは陥落しオスマン帝国の支配が終わった、という。このことから、マーチャーシュ教会は「聖母マリアの奇跡があった場所」とも呼ばれている。
 前方には中央祭壇があり、楕円形の中にマリア像がある。その後ろのステンドグラスは,万華鏡の様で、ブダペストでは一番美しいとされる。戦争の時は地下に隠されていたため難を逃れたそうだ。

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9-9-2 小さい礼拝堂

 ここには観音開きになっている祭壇がある。聖イムレの祭壇という。
 向かって左は聖イシュトヴァーン、中央は狩りで命を亡くした彼の一人息子イムレ、右は宣教師ゲッレールト。
 両側にある絵は、息子の誕生、生活の様子、死の場面だとかが描かれている。
 その隣にある礼拝堂は入ることができないが、格子越しに写真だけ撮ることはできた。これは13世紀の王の墓だそうだ。王や貴族はこうして教会の中に葬られるということだが、この人が誰かの説明はなかった。というより、写真を撮ることに夢中で、上の空で聞いていた。ここにはオルガンも置かれていた。

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9-9-3 イシュトバーンの像

 外へ出ると相変わらずすごい人だ。その中でこの像は一段と高いところに立っているのでよく目立つ。
 やはり、この国の人にとってイシュトバーンというのは偉大な人なのだ。どこでも耳にし、目にする。マーチャーシュとこの人の名前は、これからもハンガリーと聞くと思い出す名前になった。

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9-10 漁夫の砦(~1145)

 チェックポイントを通って上に上る。市街地が一望できるだけではなく振り返ればマーチャシュー教会も全貌が見える。
 これは、建国千年祭に向けて、100年ほど前に作ったもので、市街美化計画の一環として建設された。もともとこの場所にあった中世の城壁を利用して、築いたという。砦と言っても戦いのためのものではなく展望台になっている。七つの尖塔はマジャールの七つの部族を表している。テントをイメージしているそうだ。
 昔魚市場がこの近くにあったことから名付けられた。一番左の塔は、今はレストランになっている。

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9-11 土産物店(~1205)

 自由時間にガイドさんについて土産物屋に行く。丁度日本人の団体が出てきたので、そういう店のようだ。飲み物なども用意されていた。ただし、お茶ではなくおちゃけ。我が家の二人ともう一人の人しか飲まなかった。
 暫くウロウロしてまたもや、桃子の洋服を購入。ここではユーロも使えた。
 この店の看板が面白い。ハリネズミの形をしていて、要するに「お針子の店」といったニュアンスを表現しているのだろう。
 うきうきして戻る途中、杖のないことに気がついたが、どこに置き忘れたか定かでなく迷っていると、ガイドさんの電話に店から連絡があって、届けてもらうことになった。
 申し訳ない。
 郵便ポストも見つけた。ヨーロッパでは角笛マークを付けていることが多いので、それと知れる。この国のは日本と同じように(日本が同じようにだが)赤だった。

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