ハンガリー全世界遺産訪問 第四日目

4、5月9日(月) 晴れ一時小雨 走行距離約190km

起床(0430)朝の散歩(0605~0645)朝食(0700~0750)ヘーヴィーズホテル発(0750)ティハニ港着(0907)フェリー(0930~0940)昼食(1315~1415)ペーチホテル着(1438)散策(1515~1800)夕食(1930~2040)夜の散策(2045~2120頃)就寝(2230)

4a バラトン湖

4-1 朝

起床(0430)

 夜が明けるのが早いので、自然と目覚めも早くなってしまう。が、幸いなことに二人とも体調がよいので、すぐに体が動く。

4-2 朝の散歩(0605~0645)

 いつものように散歩に出た。天気も今日は回復しそうだ。
 昨日の道をたどって、温泉湖の方へ向かった。 鳥や花を見ながら、少し迂回して林の中の道にも入ってみた。
 まもなく温泉湖に着いたが、気温が低いせいか、水面からの湯気が昨日以上に見えて確かに温泉湖なのだと改めて確信した。
 この温泉湖というのは、非常に珍しい。そうだろう。湖全体が温泉なのだから。それでも世界一大きいのはニュージーランドにあって、ここのは第二位だということだ。どうやら世界にこの二つだけらしい。
 そろそろ朝食の時間が近づいてきて、それにバゲージダウン時間も同じような時間だったので、戻ろうと急いで近道をしたつもりが、行き止まりで、かえって大回りをしてしまった。あせってホテルに戻る。

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4-3 朝食(0700~0750)

 食べ過ぎないように気をつけながらも、ほぼ定番の食事となる。

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4-4 ティハニへ

ヘーヴィーズホテル発(0750)

 午前中は移動になるのでおおよその行程の説明があった。今回はこうして事前に細かく説明をしてくれるので、予測が立てやすくてよかった。こうした配慮は是非ともほかの方にもお願いしたい点だ。
 さて昨日来た道をまた少し戻る。まだまだ宿泊施設が限られていると言うことなのだろうか。
 さて7時57分頃、ケストヘイという町を通る。バラトン湖畔で一番多きな町だそうで、この辺りはさすがにホテルが多い。
 まもなくバラトン湖が見え隠れするようになる。バラトン湖には温泉湖の水が流れ込んできている上に、浅いので、夏は水温が28度位になり泳ぐのにはいい場所だというので、6~8月のシーズンには大勢の人が泳ぐために訪れるそうだ。そしてその多くはドイツ人。だから看板はドイツ語が目立つ(とガイドさんが解説してくれた)。
 また、この辺りは茅葺きの家が伝統的な造りだとか。ただ今残っているのは観光用にあつらえたものばかりらしい。材料となる植物は、バラトン湖に沢山生えている葦を使っている。

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4-5 ティハニ

ティハニ港着(0907)フェリー(0930~0940)サンドット港

 長さ5km、バラトン湖に突き出たティハニ半島は、遠くからでも教会の二つの尖塔が望める。この修道院教会は、4代目国王アンドラーシュ1世が1055年に建てた修道院を元に、18世紀にバロック様式で立て直したもの。
 一昨日のパンノンハルマにあったティハニ修道院の創立文書というのがここのもの。
 ティハニ半島は対岸までバラトン湖では一番狭い部分で、以前は島だった。水位の低下とともに陸続きになったらしい。鯉やナマズ、カマスなどがいるということで釣りをしている人もいた。ただ、ハンガリー人はあまり魚を食べないそうだが、観光客などのためにレストランでは魚を出しているそうだ。そういえば、我々もよく食べさせられた。
 湖周辺の人口は12万人だが、夏はリゾート地として人が集まり、60万人にもなるそうだ。皆既日食の日には100万人を超えたそうだ。
 観光客はドイツ、オーストリア、イタリア、オランダなどからやってくる。東西ドイツの時代には、ハンガリーは両側から旅行に来られる状態だったので、親類などとの再会の場所にもなったそうだ。ただ、ベルリンの壁がなくなってからは,あまり来なくなって観光業は落ち込んでしまったとか。
 このバラトン湖で一番狭い所をフェリーが対岸を繋いでいる。フェリーといっても小さな船で、人の乗り場というのもさほど広くはない。ただ、これもシーズン中には便数も船数ももっと多くなる。
 ティハニ港から対岸のサンドット港まで、あっという間。キョロキョロしている間に着いてしまった。

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4-6 ペーチへ

 ペーチまでは長い道のりになる。しばらくはまた車窓の風景を楽しむ。
やはりこれまでと同じように菜の花畑が広がっていた。
 しばらく進んで行ったとき、たった一人でゆっくりと走っている人がいた。その後が渋滞をひき起こしている。何事?と思って聞いてみると、麻薬撲滅運動のランナーだそうだ。パトカーがいるので抜けないんですよ、ということで我がバスもその後についてノロノロ運転となってしまった。
 ようやくそこから抜け出して快調に走り出すと、次に目に入ってきたのが黒い人型。「おうちに帰りたがっている」ということを表しているとか。交通事故防止のためのものらしい。ヨーロッパでは道路際によく十字架やキリストの像などを見かけるが、事故を起こした現場であることが多いそうだ。と言うわけで、この国も麻薬と交通事故は頭の痛い問題らしい。

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4-7 昼食(1315~1415)

 ペーチの町に入って、まずはレストランで昼食。名前は「PEZSGOHAZペジュゴハズ(シャンパンの家)」。大聖堂の前の階段を下ってきて、その前にある遺跡の横にある建物にある。
 地下室のような雰囲気のレストランだ。多分ワインセラーのイメージなのだろう。もしかしたらワインセラーを改造した所かも知れない。
 メニューは、野菜スープ、牛肉の煮込みクリームソース仕立て、アイスクリームイチゴ添え、コーヒー、法王のシャンパン(400Ft)。
 ローマ法王が訪問したときに製造したシャンパンだというので、junのみ口にする(noriは休肝日)。が、大して感激する味ではないように思えたが、他の人は「さすがに美味しいわね-」と話していた。
 食事の後、レストランのすぐ目の前にある初期キリスト教礼拝堂の跡で写真を撮っていると、集合時刻まではまだあるのに、全員揃ったとかで歩き出してしまったので、仕方なく付いて行った。

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