ハンガリー全世界遺産訪問 第八日目

8、5月13日(金) 晴れ(24℃) 走行距離67㎞

起床(0530)朝の散歩(0600~0630)朝食(0640~)ブダペストホテル発(0830)英雄広場(0857~0920?)国会議事堂(0948~1047)エステルゴム(1220~1306)昼食(1333~1440)ヴィシュグラード(1452~1538)センテンドレ(1618~1812)ブダペストホテル着(1850)ドナウ川クルーズ(1923~2130)ブダペストホテル着(2140)

8b ブダペスト近郊観光

8-8 ドナウベントへ

 これからブダペストを離れて郊外へ行く。
 ドナウ川沿いにある小さな町々だが、みなそれなりの歴史を持っている。
 そこへ着くまでの間も、また、ブダペスト市内の様子が紹介された。
 まずはくさり橋周辺。王宮やマーチャシュー教会、漁夫の砦、プロテスタント教会などがよく見えた。
 夕方、この目の前のドナウ川をクルーズするのでもっとゆっくりと見えるだろうと楽しみに思っていると、その川の中に、昨日見た水陸両用車がが走っていた。面白い。
 それからマルギット橋をくぐった。これはブダペストでは2番目に古い橋で、1872年から1876年に作られた。車だけではなくトラムも走っている。面白いのは途中で150度ほど曲がっていること。途中のマルギット島へ下りられるようになっているためだ
 夕方のクルーズはこの辺りから出発するそうだ。

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8-9 エステルゴム(1220~1306)

 エステルゴムにはハンガリで最大の大聖堂がある。ハンガリーにおけるローマカトリックの総本山である。
 この辺りはローマ帝国の中に入っていたのでローマ人が住んでいた。そこを9世紀にマジャル人が征服し、10世紀に入るとゲーザ公がここに城を築き、拠点とした。ここで生まれた息子をキリスト教に改宗させ、名をイシュトヴァーンと改めた。彼は西暦千年に神聖ローマ帝国皇帝のオットー3世の同意を得て初代ハンガリーの王となった。その時、ローマ教皇から贈られた王冠をもってこの地で戴冠式を行った。初代国王イシュトバーンの誕生である。そして、ドナウ川を望むエステルゴムの小高い丘に王宮と大聖堂を築いた。
 大聖堂は小高い丘の上に立っている。駐車場からは階段でも行くことができるが、レストランのエレベーターを使わせてもらった。
 ドームの下に展望所があるが、今回我々は行かない。
 玄関のところにフランツ・リストのプレートがあった。
 1820~1856年にネオクラシック様式で改築された時の落成式で、作曲家リスト・フランツが曲を提供したことを記念したものだ。

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8-9-1 中に入る

 この大聖堂は,正式にはアダベルト大聖堂というが、エステルゴムにあるのでエステルゴム大聖堂と呼ばれるのが一般的だそうだ。
 高い天井で中は明るく感じる。床には太陽を象徴した飾りが見られる。noriの輝きと相まってなお中は明るくなっているようだ。
 正面の祭壇は天井までも大きな油絵で飾られている。祭壇の「聖母マリアの被昇天」は、大きさは13.5m×6mもあり、1枚のキャンバスに描かれた絵画としては、教会にあるものの中で世界最大だそうだ。
 絵はその他にも息子を亡くしたイシュトバーンが、マリアに王冠を捧げるという例の場面のものや、キリストの磔刑の場面などがある。面白いのはそこに墓から出てきた(復活した)アダムとイブが描かれていること。ガイドさんによると、自分たちの子孫がキリストを殺してしまったことを嘆いているということなのだとか。なるほどそういうこともあるか。
 もう一度正面を見ると、手前に金のレリーフの箱のようなものがある。そこには最後の晩餐の場面が見られる。
 また、頭蓋骨(どくろ)もあった。これは、昔の司教のもので、プロテスタントと戦った人。聖人になった。 
 ここにあるパイプオルガンは、ハンガリーで3番目に大きなもので、ミサの時は当然使われるが、他にオルガンコンサートも開かれる。
 もう一つ小さな礼拝堂もあったが、それは信者のみ入れる祈りのための礼拝堂だということだ。

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8-9-2 赤の礼拝堂

 中には大聖堂よりも300年も古い時代の礼拝堂がある。赤い大理石で造られているのでそう呼ばれている。
 オスマントルコの襲来によって消失したときにこの礼拝堂だけは残った。ただ、実際に最古の礼拝堂は12m離れた所にあった。
 元々は墓の礼拝堂だったが、オスマントルコ時代にはモスクとして使用された。そのために、天使などの顔は壊されてしまった。マリアが残っているのは、イスラム教の中でもその存在が認められているからだという。
 左右に人体の臓器の模型が見られる。これは、病気平癒の祈願をした人が元気になったお礼として備えたものだそうだ。

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8-9-3 ドナウ川

 外へ出ると前方にドナウ川が見えた。対岸はもうスロバキアだという。この川が国境となっているが、検問とかもないので、結構自由に行き来できるとか。
 左に見えるのは歴史博物館で、王宮の遺跡も残っている。

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8-10 昼食(1333~1440)

 ヴィシュグラードまで移動して昼食となった。
 野菜動物スープ(鹿、猪など)、川魚のフライ、フルーツサラダ、トカイアスー1000Ft、トカイワイン800Ft。
 ここには日本語の飲み物メニューがあったので、頼みやすかった。このあたりは、東欧○ヶ国周遊なんて言うツアーでブダペストを訪れた際に、一緒に観光するエリアでたぶんあるのだろう。それだけ日本人観光客が訪れることが比較的多い場所とみることが出来る。で、昨日お金を手に入れた我々はしっかりここでは飲んだ。

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8-11 ヴィシュグラード(1452~1538)

 この町はドナウ川が90度に曲がる所にある。上まで行くと右にも左にもドナウ川が見られる。ヴィシュとは高いという意味、グラードは町ということ。つまり高いところにある町、ということのようだが、実際には、315mしかない。これでも、ハンガリーにすれば高いということになるのだそうだ。周りの森にはキツネやシカ、猪などがいるそうだ。それが昼のスープになったらしい。といっても、ガイドさんも滅多に実物には出会ったことがないそうだ。
 要塞は13世紀に造られた。元々は、4世紀頃、古代ローマ帝国の属州であった地に住み着いた部族が砦を築いたことに始まる。9世紀になるとスラブ人が住み着いて新たな砦を造った。
 近くには王宮もあり、マーチャシュー王の時には中世で一番美しいルネッサンスの王宮だったといわれた。

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8-11-1 入り口から

 まず、入り口へは階段か坂道か好きな方を上る。我が家は二人共階段(61段)の方で行ったが、上に着いたのはほぼ同時でガッカリ。
 まず、図を見ながらどのように移動してきたかの説明があった。それから城壁の所に有料の撮影場所や子供の遊び場、武器などが展示してあった。これらは資料というよりも商売の一部のようだ。
 見るからに強固そうな石垣がくまれているが、それ以上にオスマントルコは強かったようで、かなりしのぐことはできたが、結果的に落とされてしまった。

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8-11-2 ドナウ川

 この辺りまで来ると非常に風が強くなった。帽子を飛ばされないように気をつけながら、眼下のドナウ川を眺めた。ここの対岸はハンガリーだ。やはり渡し船で行き来する。
 建物の中に入ると,ここの模型があって、塔と塔が城壁で結ばれている様子などが分かる。
 更に階段は続くが、連続ではないので、周りを見ながら徐々に上っていくようになる。が、風が非常に強くて高い所は恐怖さえ覚えた。
 そこまで行くと更にドナウ川が曲がっている様子がよく分かる。
 また、向かいの山と山の間にちょっとだけ光っているところがドナウ川の支流だという。あんな所からつながってきているのが不思議だった。

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8-11-3 駐車場へ

 城壁を見ながら歩いていると、ギロチン台のようなものがあった。これは処刑するものではなく見せしめのために、広場などで罪人を晒しておくものだそうだ。といえば、noriがやらないわけはない。
 その後資料展示の部屋へ入った。昔の服や生活の様子が分かるような内容だった。
 そこを出てからは下る一方で,途中から先ほどの道へ出て戻った。

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8-12 センテンドレ(1618~1812)

 バスを降りて,ドナウ川の堤防を歩いて行く。川とは縁が深い町のようで、たびたび洪水に見舞われるのか、土嚢も積んであった。
 実際、ここまで水が来ました、という記録も町中には残されていた。
 ここの町には教会が多くあるというが特に見学するほどのものがあるわけでは無く、沢山ある博物館の中からハンガリーで一番人気があるという陶芸家、コヴァーチマルギットの博物館を見学に行く。
 初めて聞く名前だった。ブダペストで暮らしていた人だが、この町が大好きだったという縁で、ここに作品を寄付し、博物館が造られた。中は写真は禁止だった。
 思っていたよりも一つ一つの作品が大きかった。
 見学後散策。狭い通り、南ヨーロッパ的町並みだとかで、盛んに綺麗でしょと言われたが、はい、としか答えようがなかった。
 馬車で観光もできるらしい。その馬車のいたところで解散。自由時間となる。
 少し小高い所に展望所があるというので、まずそこへ行く。町が一望できる。
 その後お土産用にマジパンの店へ行き購入。だが、惜しむらくは、日本へ帰ってきたときには殆どが壊れていた。お土産には適さない。マジパンとは、アーモンドの粉と砂糖で作る砂糖菓子のことで、可愛らしい形や色づけでケーキの飾りとして使われたりするもの。

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