平成22年7月19日(月) 琥珀の間からの後半と昼食

3 7月19日(月)


起床(0510)朝食(0700)ホテル発(0800)エカテリーナ宮殿(0830~1040)民族博物館(1133~1208)昼食(1220~1330)夏の宮殿の庭園(1345~1630)夕食(1740~)ホテル着(1920頃?)就寝(2150)

3-2-9 琥珀の間

 エカテリーナ二世が完成させた「琥珀の間」の琥珀は、第二次世界大戦時にドイツ軍が天井から壁に至るまで持ち去ってしまった。壊れやすい物なので持ち去られないと踏んでいたが、そうはならなかった。戦後その行方を捜したが見つからなかったので、1983年から修復作業が始まった。が、1998年、行方不明の琥珀の間のモザイク画の一部がドイツのブレーメン市で発見された。2000年4月には正式にロシアに返還され、2003年に復元が完成した。
 まばゆいくらいの琥珀で目がちらちらするほどだ。ただ、残念ながら写真撮影は禁止なので、入口から手を伸ばして撮影。



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3-2-10 絵画の間

 謁見室として使われたという説明がなされた。130枚の絵画で覆い尽くされており、当時の一流画家の作品もある。床も箱根細工の模様のように見て取れ、綺麗だ。天井にはまたもや青空が描かれている。



201008russia1732.jpg全景
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3-2-11 またもや白い食堂

 ガイドさんによると白い食堂は二つあって、こちらは狭い方の白い食堂だとのこと。
 中央にはマイセンの壺が置かれ、壁には油絵が飾られている。
 机はフランス製で、横に建物が描かれているが、これはここのエルミタージュ。



201008russia1747.jpg狭い方の白い食堂
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3-2-12 アレクサンドルの肖像画

 この部屋の中央にもマイセンの壺がある。やはりその頃マイセンの磁器を持つと言うことは贅沢の証だったのだろう。
 この部屋には、アレクサンドル一世とエカテリーナ二世の肖像画がある。他にも若い女性の肖 像画があるが、ロマノフ王朝のメンバーの一人だろうという事だが、あまり自信はなさそうだった。



201008russia1757.jpg部屋全景
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3-2-13 白い客間

 ここにもマイセンの壺。他にもかなり豪華な家具が並んでいる。
 本を読んだりトランプをしたり、娯楽にも使ったそうな。



201008russia1767.jpgマイセンや家具など
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3-2-14 緑の食堂

 エカテリーナ二世の私的生活の場としてスコットランド人のチャールス・キャメロンに造らせた。
 古代ローマの装飾をモチーフとして表現してあるので、他の部屋とは雰囲気が違う。
 パーヴェル一世の時に食堂として使われた。



201008russia1777.jpg全景
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3-2-15 茶色のビュッフェ

 茶色柱の部屋。この茶色の柱は松の木だそうだ。エカテリーナ二世の時、食事の合間に簡単なものを食べた部屋で、柱や家具が茶色に装飾されている。



201008russia1785.jpg柱や家具が茶色に装飾
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3-2-16 一階廊下

 一階は修復されていないので、写真が並んでいる。修復の予定は今のところ無いのだそうだ。
 大戦の前と後に絵を描いてあるので、比較してみると、被害の様子がよく分かる。
 そこから土産物屋を通って外へ出た。この方式は何処も同じ、ただでは帰さないぞ、と言うことか。分かっていながら、我が家はそれに乗ってしまって、本を買った。



201008russia1802.jpg不発だった爆弾
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3-2-17 エカテリーナパレス

 入口とは反対の方へ出る。相変わらず強い日差しだ。今日は何度くらいまで上がるのだろう。
 日陰に入って説明を聞く。
 宮殿とつながっている建物は、宮殿に比べて質素な感じに造られているが、実はここがエカテリーナが自分のために造ったプライベートな物。ここは破壊されなかったので、そのまま残っている。修復で手を入れたのは古くなった部分。
 2階がベッドルームになっており、1階は遊ぶための部屋だそうだ。ん?どんな遊び?



201008russia1811.jpgここだけは破壊を免れた
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3-2-18 そのほかの建物

 庭園の方へ歩いて行くと、いくつかの建物がある。
 まず、見えたのは浴場。ネエロフという人の設計。
 次は、キャメロンの回廊と言われるもの。入口には、ヘラクレスとフローラの像が置かれている。
 湖畔に建つのはグロット宮。洞窟という意味があるらしいが、読書用の東屋だという。
 勿論、朝とは反対側の方からの宮殿も見える。綺麗としか言いようがない。
 庭園の奥の方にエルミタージュがあるのだが、これか?
 庭園を回るように進んで行くと、金色に輝く寺院もきれいに見えた。
 そして宮殿と渡り廊下でつながっているのが貴族の学校。プーシキンが卒業した学校だ。
 最後にもう一度宮殿全体を撮した。が、この頃にはぐったりのnoriであった。



201008russia1818.jpgまだまだ沢山建物はあった
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3-2-19 帰路

 出口を出るともう中には入れない。
 名残惜しげに後ろを振り返りながら、また違った角度の寺院を撮った。
 それから露店が沢山並ぶ中を通ってバスに戻った。
 バスが出発すると、門のような物が見えた。エジプト門という。一時期エジプトブームがあったそうな。



201008russia1916.jpgエジプト門
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3-3 民族博物館(1133~1208)

 昼食まで時間があったので、昔の家が並んでいる博物館へ行く。18世紀の民家を集めた所だ。
 案山子のような物はやはり農作物を守るための物だそうだ。丸太の飾りはレースのようだが、火事がないようにというお守りのような物らしい。同じように太陽のような飾りも火事のお守り。馬のような屋根の上の飾りも同様だという。木造なだけに火事が一番怖い物だったと言うことか。
 他にもいろいろな屋根飾りが見られた。
 階段は丸太を半分にするなど、いろいろと工夫が見られてそれなりに面白かったが、それらを見るというよりかは、お土産屋にいたのがほとんど。我が家もそこで、マトリューシカを購入。200ルーブル。
 帰り際に木造の船を見つけて、noriが急いでかけて写真だけ撮ってきた。



201008russia1938.jpg時間調整で立ち寄ったがおもしろかった
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3-4 昼食(1220~1330)

 メニューは、野菜サラダ、ペリメニ、アイスクリーム、ミネラル付き、紅茶付き、ビール300mlで100ルーブル×2杯。



201008russia1980.jpgペリメニ
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