平成22年7月23日(金) モスクワ(赤の広場・ノヴォデヴィッチ)

7 7月23日(金)モスクワ

起床(0605)朝食(0715)ホテル発(0900)クレムリン(0950~1247)昼食(1305~1420)赤の広場(1424~1515)ノヴォデヴィッチ修道院(1550~1605)土産物店(1615~1650)夕食(1729~1840)ホテル着(1910)就寝(2200頃)

7-3 昼食(1305~1420)

サラダ、ポークソティー、チョコレートケーキ・ミネラル。紅茶付き、ビール150×2

 途中ボリショイ劇場を車窓から見てレストランに到着。
 またもやビールを注文。



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7-4 赤の広場(1424~1515)

 ロシアの象徴的な場所として人々の目に焼き付いているのが赤の広場だ。ロシア語の「赤」には、「赤色」のほかに「美しい」という意味もある。19世紀末に現在の広場の姿になった。
 クレムリンに接し、周囲にはレーニン廟や国立歴史博物館、聖ワシーリー聖堂、グム百貨店など見どころが多い。
 重要な罪人が見せしめに処刑される場所にもなり、数々の歴史的事件がこの広場で起きた。歌でもよく知られる民衆反乱の指導者ステンカ・ラージンが処刑されたのもここである。
 ステンカ・ラージンの歌は、哀愁があって良く歌った記憶があるが、ここで出会うとは思わなかった。
 広場には石畳が敷かれ、何もない。かつてはここで大パレードなども行われたようだが、現在は、革命記念日を祝ったパレードなどはない。



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7-4-1 レーニン廟

 1924年、ロシア革命の指導者レーニンの遺体を安置した廟は、スターリンの提案で建設された。当初は木造だったが、1929年に赤の花崗岩造りになる。
 かつてともにここはレーニン・スターリン廟と言われた。
 スターリンの遺体も、レーニン廟の横に安置されることになった。ところが、まもなく、フルシチョフらによるスターリン批判がなされたかと思うと、一斉に批判の対象となり、遺体は、金ボタンと襟章を乱暴に引きちぎられた上、レーニン廟から引きずり出されてしまったのである。
 次いで、スターリンが師と仰いだレーニンも、その後、次々と明るみに出た機密書類によって、批判の対象となり、スターリン同様、像は撤去された。レーニン廟も廃止すべきとの意見も多かったが、反対論も多く、現在も赤の広場のシンボルとして残っている。。
日本の片山潜もここに奉られている。
 広場にあるスパスカヤ塔は、時計のある塔。年越しの時に12回鐘を鳴らす。その間にシャンパンを飲み干すとよいことがあるそうだ。是非それをやってみたい。



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7-4-2 聖ワシリー聖堂

 1555~1560年に雷帝イヴァン4世が、モンゴルに戦勝したのを記念して造らせた。大小9つの塔からなる。あまりの美しさに、2度とこのような建物ができないよう、雷帝は2人の設計者の目をくりぬいたという。権力者の横暴を示す話として良く耳にする話だ。
確かにそれほどに美しい。
 ワシリーという予言者の名にちなんでいる。その前にある像は1612年にポーランド軍からモスクワを解放したミーニンとポジャルスキーという二人の英雄。なんか、こんなところにあるのはミスマッチのような気がする。



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7-4-3 フリータイム

 しばらくフリータイムとなった。
 全員でグム百貨店へ行き、集合場所と時刻を確認してから解散となった。グム百貨店は今では多数のテナントの入ったビルという風情。
 我が家はもう一度広場へ行って、二人の写真を撮った。
 国立歴史博物館や、カザン聖母聖堂なども写して回った。
 駐車場からもワシリー聖堂がよく見えて、最後の名残を惜しんだ。



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7-5 ノヴォデヴィッチ修道院(1550~1605)

 そこへ行く途中に「救世主キリスト聖堂」の説明があった。ナポレオン戦の勝利を神に感謝するために造られたのだが、スターリンによって壊され、しばらくはプールとして使用されていた。その後、新制ロシアの象徴として2000年に再建された。ロシア正教会復活を内外に示した聖堂である。
 さて、肝心のノヴォデヴィッチ修道院。ここも世界遺産に登録されているので、我が家にとっては大事な存在だ。
 クレムリンの出城としての役割もあるので、城壁に囲まれている。中にはスモレンスキー聖堂やいくつもの塔、教会がある。城壁の外には湖があり、ここがチャイコフスキーが散策しながら「白鳥の湖」の構想を練ったとされている。
 てっきり近くまで行くものと思っていたら、何のことはないチャイコフスキーと同じように、湖越しに全体を眺めて終わりだった。



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7-6 土産物店(1615~1650)

 入り口は狭くて、ここが店とは一見分からないが、次々と団体が入ってきて、店は狭く大混乱。
 特に買いたいものがないので、入り口近くに座って、ただ時が流れるのを待っていた。値段もかなり高めの設定で、ロシア人の売り子は態度が悪く、あまりよい印象は持てなかった。



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7-7 夕食(1729~1840)

サラダ、シャシュリフ?(鳥の串焼き)、パンケーキ(デザート)、ミネラル、紅茶付き、ビール200×2

 モスクワの最後の食事は、若い二人連れの女性と一緒の食卓で、かなり話も盛り上がり楽しい一時だった。(たぶん向こうは迷惑だっただろうに)
 帰る途中、赤い修道院があった。ドンスコイ修道院のようだ。そういえば、他にもこんな色をしたのをいくつも見かけた。赤い=美しい。
 また、先のとがった面白いものは、ロケットが頂点に付くオベリスクで、この下が「宇宙飛行士記念博物館」となっているそうだ。



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7-8 ホテル着(1910)  連泊

 途中でオプションのロシアナショナルダンスショーをみる人たちをおろしてからホテルへ到着。
 今回我が家は全くオプションを申し込んでいない。ダンスにはあまり関心がない。
最後の夜は勿論荷作りに励む。かなり本などを買い込んだので、重量が心配だが、量的にはスーツケースにきちんと収まった。
 ようやく日が落ちる。就寝(2200頃)。



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