7 7月23日(金)モスクワ
起床(0605)朝食(0715)ホテル発(0900)クレムリン(0950~1247)昼食(1305~1420)赤の広場(1424~1515)ノヴォデヴィッチ修道院(1550~1605)土産物店(1615~1650)夕食(1729~1840)ホテル着(1910)就寝(2200頃)
7-4 赤の広場(1424~1515)
ロシアの象徴的な場所として人々の目に焼き付いているのが赤の広場だ。ロシア語の「赤」には、「赤色」のほかに「美しい」という意味もある。19世紀末に現在の広場の姿になった。
クレムリンに接し、周囲にはレーニン廟や国立歴史博物館、聖ワシーリー聖堂、グム百貨店など見どころが多い。
重要な罪人が見せしめに処刑される場所にもなり、数々の歴史的事件がこの広場で起きた。歌でもよく知られる民衆反乱の指導者ステンカ・ラージンが処刑されたのもここである。
ステンカ・ラージンの歌は、哀愁があって良く歌った記憶があるが、ここで出会うとは思わなかった。
広場には石畳が敷かれ、何もない。かつてはここで大パレードなども行われたようだが、現在は、革命記念日を祝ったパレードなどはない。
7-4-1 レーニン廟
1924年、ロシア革命の指導者レーニンの遺体を安置した廟は、スターリンの提案で建設された。当初は木造だったが、1929年に赤の花崗岩造りになる。
かつてともにここはレーニン・スターリン廟と言われた。
スターリンの遺体も、レーニン廟の横に安置されることになった。ところが、まもなく、フルシチョフらによるスターリン批判がなされたかと思うと、一斉に批判の対象となり、遺体は、金ボタンと襟章を乱暴に引きちぎられた上、レーニン廟から引きずり出されてしまったのである。
次いで、スターリンが師と仰いだレーニンも、その後、次々と明るみに出た機密書類によって、批判の対象となり、スターリン同様、像は撤去された。レーニン廟も廃止すべきとの意見も多かったが、反対論も多く、現在も赤の広場のシンボルとして残っている。。
日本の片山潜もここに奉られている。
広場にあるスパスカヤ塔は、時計のある塔。年越しの時に12回鐘を鳴らす。その間にシャンパンを飲み干すとよいことがあるそうだ。是非それをやってみたい。
7-5 ノヴォデヴィッチ修道院(1550~1605)
そこへ行く途中に「救世主キリスト聖堂」の説明があった。ナポレオン戦の勝利を神に感謝するために造られたのだが、スターリンによって壊され、しばらくはプールとして使用されていた。その後、新制ロシアの象徴として2000年に再建された。ロシア正教会復活を内外に示した聖堂である。
さて、肝心のノヴォデヴィッチ修道院。ここも世界遺産に登録されているので、我が家にとっては大事な存在だ。
クレムリンの出城としての役割もあるので、城壁に囲まれている。中にはスモレンスキー聖堂やいくつもの塔、教会がある。城壁の外には湖があり、ここがチャイコフスキーが散策しながら「白鳥の湖」の構想を練ったとされている。
てっきり近くまで行くものと思っていたら、何のことはないチャイコフスキーと同じように、湖越しに全体を眺めて終わりだった。