平成22年7月19日(月) ピョートル大帝・夏の宮殿の庭園

3 7月19日(月)


起床(0510)朝食(0700)ホテル発(0800)エカテリーナ宮殿(0830~1040)民族博物館(1133~1208)昼食(1220~1330)夏の宮殿の庭園(1345~1630)夕食(1740~)ホテル着(1920頃?)就寝(2150)

3-5 夏の宮殿の庭園(1345~1630)

 しばらく走ると宮殿の屋根が見えてきた。塀をグルリと回った所が駐車場になっていた。観光バスが多く、ここが一大観光地であることが分かる。
 バスを降りて狭い道にぎっしりと並んでいる露店のごみごみした中を歩いて行く。スリに注意としつこく注意された。確かにこの混みようなら、さもありなん。付いていくのが精一杯で、写真を撮るどころではなかった。



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3-5-1 まずは説明を聞く

 1713年に遷都を果たしたピョートル大帝は、翌1714年から、夏の離宮の建設にとりかかった。「大宮殿」を中心に「下の公園」と「上の庭園」から成る。「大宮殿」の一応の完成は1723年、ピョートル大帝はその2年後に逝去する。その後、エリザヴェータ女帝は大宮殿を三階建てのバロック様式に改築した。エカテリーナ二世の時代になると、大宮殿の外観はそのまま、内部を古典様式に改装。現在の姿になるまでには、その後も歴代の皇帝たちが手を加えておよそ2百年という歳月を費やしている。
 宮殿は公の場が多かったので、ピョートル大帝とエカテリーナ二世のプライベートな住まいは、フィンランド湾の方にある。
 歩きながらその様な説明を聞いて、中央部まで来た。
 そこからは下の公園が一望できる。遠くにはフィンランド湾も見える。
 噴水が多いが、ピョートル大帝はヴェルサイユ宮殿を見て感激し、特のその噴水の美しさに心を奪われた。そして、まず手始めにサンクトペテルブルクにあまり広くはないが夏の宮殿を造って,初めての噴水も造った。しかし、ポンプでやるのは難しく、適当な地を探してここを見つけた。 宮殿の裏の方の高い山から水を引き、貯水池を造り運河を造ってまず上の宮殿まで水を引いた。そこからパイプを通して落差を利用して噴水を造った。水は循環式ではなく全て中央の海の運河を通ってフィンランド湾へ流れ込んでいる。
 エリザヴェータ女帝の時には、この運河を通って海から宮殿まで船を着けたのだそうだ。
 噴水は一年中水が出ているのではなく、夏の間だけ、それも11時から夕方5時までと決められている。貯水池に水が溜まってから流すようにしている。ただし、水の量が多いときには10時半からということもある。冬は水が凍るので流さない。
 日本人でこの噴水を初めて見たのは、1862年、文久遣欧使節一行だそうだ。福沢諭吉もその中の一人。



201008russia2003.jpg庭園内の地図
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3-5-2 大滝

大宮殿のテラスから下の公園を眺めると最高の景色が見られる。
 テラスの両側には7段の階段があって、大滝が流れ落ちている。この滝全体で37体の像と64の噴水がある。その噴水の中心にいるのはサムソンの像。後ろからなので立派なお尻が見える。 サムソンはピョートル大帝の守り神だったとガイドさんは言ったが、対スウェーデンに勝利した日が「聖サムソンの日」だったからと言うこともあるようだ。ライオンの口を引っ張っていて、その口からは水が20mもの高さまで上がるのだそうだ。このライオンというのは、スウェーデンを表している。サンクトペテルブルクの「青銅の騎士」では確かスウェーデンは蛇だったのだが。ただ、スウェーデンの国章にはライオンが描かれているというので、スウェーデンに勝利したと言うことでライオンなのだ。
 下へ下って正面から見るとその辺りの様子がよく分かる。噴水があまりにも高く上がるので、近くへ寄ると水が容赦なくかかってくる。
 徐々に下へおりながら、振り返り振り返り大滝と金色に輝く像を見る。
 噴水の水の量で大宮殿がかすんで見えるほどだ。



201008russia2044.jpg滝全景(庭方向)
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201008russia2086.jpg滝全景(建物方向)

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3-5-3 撮影ポイント

 運河沿いに海の方へ進む。
 運河に架かる橋の上から振り返って大宮殿を見るとこれまた素晴らしい。運河の両側からも水が噴き出しているのが分かる。その口はライオンに見える。
 確かに撮影ポイントらしく混み合っていた。人が多いと必ず、「スリにご注意を」と声がかかる。
 反対側のフィンランド湾の方も1枚。
 ここから庭園は右と左、つまり東と西に分かれる。我々は、まず東の方へ行った。



201008russia2103.jpg水路をまたぐ橋の上から
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3-5-4 東の庭園

 緑の中を東の方へ進んで行くとまず、東の庭園の中心という「アダムの噴水」へ着く。アダムがいれば当然イブだが、そちらは西の方の中心にいる。可哀相に別れ別れにされている。
 銅像はピョートル大帝。実物大だそうだ。



201008russia2123.jpgアダムの噴水
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3-5-4-1 噴水のいろいろ

 ★「傘の噴水」は,いたずら噴水の一つ。この傘の中に人が入ると噴水が飛び出す。知らずに行った人は驚くというわけだ。こうしたタイプの噴水は他にも沢山見られる。ただ、この日はものすごく暑かったので、人々はそれを楽しんでいるようだった。noriも入りたがったが、カメラをぶら下げているのでjunからきついだめ出しがあった。
★広場にある噴水は「ローマの噴水」。二段になっていて最上部も上へ勢いよく吹き出している。同じようなものがもう一つあって、対になっているようだ。
その脇に斜面を利用して落ちてくるものもあった。多分「チェスの山の滝」。
★トイレに行ってまだ全員が揃っていなかったが、ガイドさんがそろそろ時間だから、と近くの場所を紹介された。何故かロープが張ってあってその中にいる人と外にいる人の集団があった。勿論我々はロープの外。何事かと思っているとすぐにその理由が分かった。これまたいたずら噴水の一つ。突然地面から水が噴き出す。逃げ惑う人もいれば悠々と歩く人も。これまた気持ちよさそうだった。
 ここで一組の夫婦が迷子になったのか合流できなかった。あらかじめ迷ったときの集合場所を決めていたので、少しだけ待って次へ進んだ。
★次は立木の噴水。昔はいたずら噴水で人が近づくと水が噴き出したが、今は壊れてしまったそうだ。
★次のはまだまだ元気。白いベンチにうっかり腰をかけるとびしょ濡れになってしまう。あっと思って中央へ逃げてもそこにある花も噴水。油断は出来ない。
★太陽の噴水は、フィンランド湾の方へ向かって歩いて行くと見える。円盤の方が太陽かと思ったら、その前にあるのがそれだという。皇帝の子供達が遊ぶところなのだそうだ。球の噴水は、ゆっくりと回りながら水を出している。その様子が太陽の光線のように見える。


201008russia2143.jpg様々な噴水がある
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3-5-4-2 小宮殿

 フィンランド湾に近い所に二つの小さな宮殿がある。
 一つはピョートル大帝(一世)の「モン・プレジール宮殿」。大帝は広い宮殿が嫌いで、ここに皇帝としては小さめだが自分用の宮殿を造った。ここがお気に入りだったそうだ。赤い屋根の建物は青い空に映えて見える。その前の庭園も綺麗に手入れが行き届いていた。
 その左側にある黄色い建物は、エカテリーナ棟。エカテリーナ二世の別館だ。
 1762年、エカテリーナは、エリザヴェータ女帝の崩御に伴い即位した夫のピョートル三世に対して、近衛連隊やロシア正教会の支持を得てクーデターを敢行した。この時、エカテリーナは軍服の男装で自ら馬上で指揮を取ったとされ、ガイドさんの説明によるとここからサンクトペテルブルクへ乗り込んだということだ。
 在位6ヶ月のピョートル三世は廃位・幽閉され、間もなく監視役のアレクセイ・オルロフに暗殺された。
 その前にも実はいたずら噴水があった。一見して何もないようなベンチなのだが、うっかりベンチに近づこうものならあっという間に水の餌食になる。といっても子供にとってはこの上ない遊び場になっているようだ。
 その向かい側にある赤い屋根の建物は、「バスハウス」。アレクサンドル二世が奥さんの病気の治療のためにマッサージや入浴治療などをするために造ったそうだ。ガイドさんは噴水治療と言っていたが、温泉か?


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3-5-4-3 フィンランド湾

 左の方ずっと向こうにバルチック艦隊が出航した海軍基地がある。右の方にはイサク寺院も見える。とガイドさんは一生懸命に説明をしてくれたが、よく分からなかった。水中翼船の乗り場だけが分かった。これは波が2mくらいあると止まってしまうので、やっぱりバスがいいですよ、とは我がガイド氏。
 ピョ-トル大帝の館はすぐ海岸縁に建っていた。
 少しの間海風に当たってから引き返すことになった。途中少年の像があって、行列を作っていた。何事かと思ったら、足を触るとまたここに来られるとか。皆が触るようで金色に光っていた。当然我らも。
 それから,しばらくは緑の中を歩いて、運河の中央まで来た。ここでもう一度大宮殿を見て写真を撮った。


201008russia2232.jpgフィンランド湾
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3-5-5 西の庭園

 そのまま橋を渡ると西の公園に入る。
 こちらの中心はイブの噴水。東のアダムと対になっている。



201008russia2253.jpgイブの噴水
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3-5-5-1 ライオンの滝

 古代ギリシャの神殿っぽい建物だ。ここにも噴水があり、ライオンの口からも水が出ている。このライオンは神の守りなのだとか。「足元に珠があるのは、いつも目覚めて神を守る仕事をするようにと言うことなんですよ、可哀相ですねえ。」とのことだ。


201008russia2279.jpgライオンの滝
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3-5-5-2 エルミタージュ

 ここからエルミタージュが見える。いや、実はイブの噴水のところからも見えた。
 エルミタージュへは、どこからでもいけるように道が付けられている。要するに全ての道はエルミタージュへ続く、ということだ。エカテリーナ二世はここで愛人のポチョムキン(生涯唯一の真実の夫と言うべき男性)と過ごしたのだそうだ。二階には誰も上がることが出来ず、料理などもエレベーターで運ばれていた。


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3-5-5-3 ニコライ一世の娘

 ニコライ一世には何人も子供がいたが、その中でも一番可愛がっていたのが、アレクサンドラ。しかし、早くやに亡くなってしまったので、娘の好きだった所に胸像を造ったのだそうだ。


201008russia2282.jpgニコライ一世の娘
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3-5-5-4 トイレ

 ロシアではトイレが整備されていない、と散々耳にしてきたが、ここには無料の綺麗なトイレがあった。こうして少しずつトイレの必要性が分かってきたのかも知れない。早く国中に広まって欲しいものだ。
 それから出口を出て、また人混みの中を通り抜けてバスへ戻った。


201008russia2287.jpgきれいなトイレだった

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3-6 市内

 市内の道路は広く設計されていて、舗装状態もいい。モスクワでは名物となっている大混雑も、ここではなかった。乗合バスやトロリーバス、路面電車が頻繁に目に付くせいかもしれない。車よりも公共の乗り物を利用している人が多いと言うことか。
 途中で、緑色の凱旋門を見た。正式名は「ナルヴァ門」という。
 1814年にナポレオンに対するロシアの勝利を記念して造ったと言うが、勝利の女神ニケが、6頭の馬を率いているのは、ベルリンのブランデンブルク門に似ている。
 第二次大戦中に深刻な被害を被ったが、1951年に現在の状態に復元された。
 ここにはもう一つ歴史があって、1905年1月22日の血の日曜日事件の舞台となっている。
 緑色で綺麗だ、などというだけではなかった。
 また、しばらく行くと金色の頭のスフィンクス?があった。これもエジプトブーム時の名残か。



201008russia2318.jpgナルヴァ門
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3-7 夕食(1740~)

 メニューはギリシャ風野菜サラダ、ロールキャベツ、シュークリーム、紅茶付き、ミネラル付き、ビール500mlで110ルーブル2杯、グランベリージュース50ルーブル



201008russia2355.jpgロールキャベツ
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3-8 ホテル着(1920頃?) 連泊 就寝(2150)

 ホテルに戻った。これが713号室。そこでロシアのビールで乾杯。スーパーが隣にあると何かと便利だ。



201008russia2381.jpg713号質
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