平成22年7月24日(土) モスクワ(コローメンスコエ )

8 7月24日(土)モスクワ

起床(0533)朝食(0700)ホテル発(0940)プーシキン美術館西洋コレクション館(1000~1145)コローメンスコエ(1211~1311)モスクワ・ドモデドヴォ空港着(1410)空港発(1818)JL0422 53DE

8-3 コローメンスコエ(1211~1311)

 最後の観光はやはり世界遺産というコローメンスコエ。歴代モスクワ大公によって宮殿(離宮)が造営されたところである。17世紀には大規模な木造の宮殿が建設されたが、100年後に老朽化と言うことで、解体された。
 今は、その広大な土地全体が「コローメンスコエ自然野外博物館」となっていて、16~17世紀に建てられた教会や木造建造物といったロシア建築の傑作が、他所より数多く集められて移築され、集められた公園である。
(1992年ユネスコに対して、コローメンスコエの建築、考古、自然地域を一体として世界遺産に登録手続きが行われたが、委員会では、採択されなかった。改めてロシア最古の石造建築である主の昇天教会(ヴォズネセーニエ教会)だけが、 世界遺産リストへの登録対象となり、1994年ユネスコによって世界文化遺産に登録された:wikipedia)



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8-3-1 裏門(スバスキエ門)

 裏門の方から中に入る。ここは門しか残っていなかったので、屋根は復元してつけた。昔の宮殿と同じ屋根の形だそうだ。



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8-3-2 カザン聖母聖堂

 宮殿とは回廊で繋がっていたが、木造の宮殿が壊された後も、この教会は石造だった為に残ったとか。青いドームに星と来れば、そう、言わずと知れたマリア様。何度見てもきれいなものだ。



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8-3-3 ピョートル大帝の館

 閑静な森の中にあるのは、白海のほとりにあったものを移築したログハウスで、天井も低く、あまり大きくないが、これはピョートル大帝が質素な生活を好んだため。窓はガラスではなく雲母。左側が大帝の住まい部分で、右側が召使いのものだそうだが、質素と言ってもこれはあまりにも小さすぎないかと思うのだが。
前に船の碇が置いてあるが、ピョートル大帝は、アムステルダムでは造船技術の習得に専心し、東インド会社所有の造船所で自ら船大工として働いたこともあったとか。その結果、彼はロシア最初の海軍を造った。
ベンチは学習するときに使われたもの。今は見学者が自由に座ったりしていた。



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8-3-4 正門(ペレードヌイェ門)

 芝生の間の道を歩いて行くと、移築された木造の建物の前に、立派な門があった。
これが正門。ここを通って中庭に入っていく。
 振り返って門を見ると、尖塔の先端にはロシア帝国の紋章・双頭の鷲が見える。両脇は歴史博物館となっている。
 また、前には大砲が置かれていた。



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8-3-5 中庭の風景

 中庭はモスクワ川に面している。王たちはクレムリンから船でここへやってきたのだそうだ。
 今は、船は着けないようになっているが、川向こうには市街地が広がって見える。
 そこからぐるりと広場を囲むように、教会や鐘楼、門などが並んでいる。
 広い芝生はゆったり感がしてのんびりする。



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8-3-6 主の昇天教会(ヴォズネセーニエ教会)

 中庭の正面にあるのが世界遺産に指定されている教会。ロシアの完全統一を目指したモスクワ公国の大公ヴァシーリー3世が、後継者となる王子イヴァン雷帝の誕生を祝して建築した教会で、材料に石材と煉瓦の基礎を用い、屋根は木造。ロシア正教会の聖堂は、玉ねぎの形をした屋根を特徴的とするが、ここは八角形の屋根を特徴とするロシア正教会の聖堂の最初期の例の一つ。また、カニが足を踏ん張っているように見える基礎部分が力強く教会を支えている。
 ちょうどここで結婚式があったのか、花嫁姿が見られた。世界遺産の中で結婚式とは何とも贅沢だ。
 この日はお日柄が良かったのか、他にも数組花嫁姿を見かけた。
 かと思うと水着姿で公園でたむろしている人たちも大勢いた。もう、人の目など気にしてはいられないほどの暑さと言うことだ。



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8-4 モスクワ・ドモデドヴォ空港(1410~)

 到着するとしばらく待てという指示があったので、その間に自由昼食となった。我が家は朝作っておいたパンを食べる。込んでいてなかなか座席を確保できなかったのだが、どうにか座って食べることができた。ただ、空港なら涼しいかと思ったのだが、クーラーが利いていないので、汗をかきながらの食事だった。暑い。
 その後、何となくキョロキョロしていると郵便局を発見。葉書を出していなかったのでこれ幸いと出しに行く。1枚25ルーブル。サンクトペテルブルクのホリディ・インでは70ルーブルも取られたのに、まさにこれがロシア式か。(ついでに言うと、ここで出した葉書は帰国後すぐに着いた。ホリディインからのは9月末になってもまだ着いていない。)
 3時からチェックインが始まった。個人チェックインだ。カウンターの女性は日本語で対応してくれた。登場口は13Aと確認された。
 全員が終わったので、そのゲートへ向かうと入り口が違うというので、また大移動。さっき確認したばかりなのに、と思いながら,これがロシア風です、と言われて納得。
 ゲートに着くとまず入り口で出国審査。手続きは簡単にすむが、相変わらずやる気のない職員たちだ。
 その後、靴やベルトをはずして人も荷物もX線検査。これも一人一人万歳をして全身スキャン。
 ようやく中にはいるが、ゲートの確認ができないので、しばらくその辺りでうろうろするが、やはり13Aらしいと言うことになった。各自で確認すると言うことで解散となる。使えるラウンジがないので、仕方なく13ゲートへ行って休んでいる。
 ようやく表示がでると、やはり13Aで変わりないことがわかった。
待合室で待っているときに、残りのお金で、ジュースを買い、残金は30ルーブル弱となった。



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8-5 成田へ

搭乗(1740)離陸(1818) <JL 0422 53DE> 夕食(2030)

 17時40分に搭乗開始。飛行時間は8時間40分との放送がある。
 18時には動きだし、18分にはもう離陸してしまった。
 ここで機長から成田到着は午前8時15分予定であること、東京の気温は29度であることが知らされた。やはり東京も暑い。昨日は練馬区で36度を記録したそうだ。
 19時22分になるとお手拭きが配られた。が、まだ食事は出そうもないので、映画「タイタンの戦い」を見た。
 20時30分にようやく食事が配られたが、後ろの方だったためにサーモンがなくチキンになってしまった。やけになったように、noriはビールとウォッカを、junはワインを2本も飲んだ。その後は二人とも熟睡。



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