7 7月23日(金)モスクワ
起床(0605)朝食(0715)ホテル発(0900)クレムリン(0950~1247)昼食(1305~1420)赤の広場(1424~1515)ノヴォデヴィッチ修道院(1550~1605)土産物店(1615~1650)夕食(1729~1840)ホテル着(1910)就寝(2200頃)
7-1 朝
起床(0605)インターネット(0650~0715)、朝食(0720~)ホテル発(0900)
朝起きて、いつものように健康チェックを済ませ、もう一度インターネットができないかどうかを試すことにした。がやはり駄目だ。どうやらカードを購入しなければいけないようだと気がついて、フロントへ行った。
若いフロント係に聞くと、1時間350ルーブルだという。ちょっと高い、どうしようかと迷っていると、フロント前ならフリーで使えると教えてくれた。試してみるとすぐにではなかったが何度かやっているうちにつながった。ウエーブチェックインもうまくできた。フロント係の人にお礼を言って朝食会場へ行った。
朝食を済ませてから出発の用意の最終確認を終えた。
7-2 クレムリン(0950~1247)
まさにモスクワの中心地。文化的にも政治的にも生活面においてもすべてがクレムリンを向いている。勿論今日の観光もそこが目的になる。
クレムリンとは、もう何度も耳にしてきたことだが、「城塞」という意味であり、周りは城壁で囲まれている。ここもその例に漏れず、20の城門と大小19の塔を持つ城壁で囲まれている。
が、1156年ウラジーミル公ユーリ一・ドルゴルーキーによって初めて造られた頃は、モスクワ川に沿って造った木造の要塞であり、当時は現在の10分の1以下の規模にすぎなかった。その後、タタールの襲撃に何度も苦しめられ、1485~1495年に難攻不落なレンガ造りの城壁、見張り塔など、今日あるクレムリンの原型になるものが造られた。城壁は三角形をしている。
ここの内部には大統領官邸や、大クレムリン宮殿やウスペンスキー大聖堂などが建ち並んでいる。また、皇帝の衣装や金銀ダイヤをふんだんに使った王冠や玉座など貴重な所蔵品を持つ武器庫やダイヤモンド庫も有り、今回のツアーではこの両方とも見学することになっている。。
7-2-2 クレムリンに入る(0950)
クレムリンに入るには、ボロヴィツカヤ塔の下の門のところでまず荷物チェックを受けた。
昨日からこの件に関してはしつこいくらいに説明があった。A4サイズ以下のバッグにすること、リュックは空でもだめ、カメラは60mm以下のレンズのものなら持ち込みOK。それ以上のものは駄目というように。ということでnoriはレンズを取り替え、junは小さいカメラに変えた。
どきどきの検査だったが、添乗員以外は全員通過。カメラは首にぶら下げてそのまま入るので、大きさなどの検査もなく通過。大きいカメラのままでもOKだったようだ。
添乗員はバッグが大きすぎるというので通してもらえず、クロークまで預けに行って時間を取った。
7-2-3 武器庫(1010~1100)
もともとは武器の製造、保管庫として建てられたために、この名前がついている。
が、ピョートル大帝の時、ロシア最古の博物館として発足し、12世紀以来のロシア工芸美術品の宝庫となる。革命後は僧院、教会、私的コレクションなど多くの作品が集められた。
いくつかのホールに(1)鎧甲等の武器や武具(2)金銀細工(3)宝石(4)シルク、ベルベットなどの織物(5)諸外国の金銀細工(6)歴代のツァーリの王冠と王笏(7)馬具や宮廷馬車などと分けて展示されている。
例によってかなり早口の解説でどんどん進んでいくので、忙しかった。おまけに写真撮影は禁止、録音は失敗(担当nori)ときているので、大きく印象に残ったものだけを記すと、・イコン枠・福音書カバー・十字架・食器類・ロマノフ王朝関係(器・衣装・戴冠式の服装装飾品・各国からの贈答品・貴金属類・卵・ダイヤモンドの福音書カバー・馬車の変遷・ロマノフの帽子など)かな。
いずれもその豪華さに目を奪われた。
7-2-4 ダイヤモンド庫(1110~1145)
武器庫内の一画にダイヤモンド庫がある。こちらは更に厳戒態勢になる。
荷物は最小限にとどめ、カメラ、携帯などはクロークに預け、持ち込むことができない。入るときに荷物の中身のチェックを受けるが、何人かは携帯で引っかかる。あれだけ言われているのに、理由が分からない。
狭い入り口から一人ずつ中に入る。中は薄暗く、すべてガラス張りの中に保管されている。
ダイヤモンドの原石や金の固まり、装飾品が展示されていた。
更に奥の小部屋にはロシア歴代皇帝の宝石類が展示されており、女帝の装飾品や王冠、王杖などがあった。何よりもダイヤモンドの数もそうだが、その大きさにはうっとりするばかりだ。
ここは説明ができないというので、各自で見て回った(どうやら専任の係員なら説明できるらしい)。見終わったからといって勝手に出ることができない。出口の怖い係員が許可をしてからようやく出ることができた。
これだけ豪華な品々がそろっているのだから、厳戒態勢なのは仕方ない。
この宝物この概要は、こちらで知ることができる。なお、右の写真の引用元はこちらです。
7-2-5 移動
見学を終えて外へ出るとすでにかなり暑くなっていた。
入り口には長蛇の列。我々は予約が早かったので、殆ど並ばずに入れたので良かった。
ここは大きく大統領府と観光客用の2つテリトリーに分かれていて、観光客は歩く道を指定されているとのことで注意があった。指定以外のところを歩くと警察に注意され、あげくにガイドのライセンスを取り上げられてしまうこともあると。
こういう話を聞くと,ロシアらしいと思ってしまう。
7-2-7 教会の広場(1205~)
この広場はクレムリン内で一番広い。広場を取り囲むように、左からブラゴヴェッシェンスキー聖堂(皇帝自身の礼拝のためのもの。金色のドームがたくさんある)、グラノヴィータヤ宮殿(公の儀式や外国大使の謁見などに使われた。割合地味な建物)、テレムノイ宮殿とリザバラジェーニヤ教会(たくさんの金色のドームを持つ派手なテレムノイ宮殿の前にひっそりと建つ教会。皇帝の礼拝所として使われた)、ウスペンスキー大聖堂、十二使徒教会(ロシア正教の総主教の宮殿であるパトリアーシ宮殿と接して建っている5つのドームをもつ教会)、イワン大帝の鐘楼(鐘楼の高さは81mで、当時はこれより高い建物を造ることは許されなかった)アルハンゲルスキー聖堂(大天使ミハエルを祀っている。ピョートル大帝以前までの歴代の皇帝の墓所となっている)が建ち並び、当時からほとんど変わっていないこの広場で歴代ツァーリの戴冠式が行われ、ロシア正教会の祭日の式典が行われてきた。
イワン三世が、15世紀末、ビザンチン帝国の最後の皇帝の名ソフィアと結婚をしたとき、ソフィアがギリシャ正教の聖なる本を持って嫁いできた。それ以来、モスクワはギリシャ正教の3つめの中心地となり、聖なる土地となった。イワン三世はこれを記念して、それまであった馬小屋や小さな館を取り壊してこの広場を造ったのだという。
しばらくここで解説を聞いてから、ウスペンスキー大聖堂の中に入る。
7-3-8 ウスペンスキー大聖堂(1214~)
中は撮影禁止なので写真がない。
クレムリンの中で最も重要な聖堂。ロシア帝国の国教大聖堂として、ツァーリの結婚・ 戴冠式、モスクワ総府主教の葬儀などが執り行われた。
全面隙間なく聖人画。柱にもすべて描かれていて、床面のみがむき出しの石になっている。
下はガイドさんの説明による。
『このように聖人のフレスコ画が多いのは、天井はあの世、床はこの世、その間を結んでいるのが聖人という考えから。イコノスタシスは5列になっている。
一番上の段はバイブルの主人公たち。創世記のアダムやイブ、ノアなど。二段目は、キリストの誕生を預言者した人たち。三段目はサイズはやや小さくなるがキリストの列。33歳までの伝説などキリストの一生の出来事が描かれている。4段目はサイズは大きく一番重要な列。中央にキリストが座っていて、最後の審判を待つ祈りの列。大天使ミハエルや大天使ガブリエルもいて、マリアもヨハネも許しを得るために祈りを捧げている。
最後の列は4人の福音書を書いた人。ただ、中央にあるのが王(神)の門で、そこから右に二つ行ったところにあるイコンがこの教会に祀られている人。ここはマリア様に捧げられた教会なので、そこにはマリア様がいる。』
このイコノスタシスは、常に東の方を向いている。
そこから手前の壁にもキリストやマリアのフレスコ画がたくさんある。
ロシア正教では祈りの時立ったままなので椅子はない。が、さすがに王と奥さんと総司教の3人のための椅子は置いてあった。
三位一体のイコンは有名らしいが、記憶からは無くなってしまっている。