平成22年7月21日(水) ウラジミール

5 7月21日(水)

起床(0330)サンクトペテルブルク・ホテル発(0603)(0625)サンクトペテルブルク空港(0804)FV 0815 (0921)モスクワ空港(1027)昼食(1322~1415)セルギエフ・ポサート(1425~1530)ウラジミール(1935~2025)スズタリ着・夕食(2109~2203)スズタリ・ホテル着(2212)就寝(2420頃)

5-8 ウラジミール(1935~2025)

 ウラージミールまでは長い長い道のりだった。途中一回休憩を挟んだ。その場所で、マトルーシュカのキーホルダーとこの地方の名物だという蜂蜜(入り)パンを買った。長期保存が利くのだそうだ。
 さて到着したウラジーミルは、黄金の環を代表する歴史の町。1108年にウラジーミル・モノマフ公が要塞を築いたことに始まる。1169年ルーシー王朝の首都となり、全盛期を迎える。が、1238年、モンゴル軍によって破壊された。



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5-8-1 黄金の門

 キエフの黄金の門を模して12世紀半ばに造られた城門。今はここしか残っていない。
町の入り口になっている門で、外扉は金で覆われていた。夜には鍵がかけられ、出入りができなかったそうだ。
 門の横に土塁があるが、それが城壁の跡で丸太で造られていたとか。当時は堀もあったそうだ。
 18世紀にエカテリーナ二世がここへ来たときに、乗ってきた馬車があまりにも大きすぎて通れなかったために、門の両側の城壁を壊して道を造ったのだそうだ。
 この上部には教会があり、町に入るには必ず祈りを捧げたという。リトアニアのヴィリニュスにあった夜明けの門のようだ。夜明けの門はマリアのイコンだったが、ここはキリストのイコンがある。現在は博物館になっている。
 今、結婚式の時、花婿は花嫁を抱いてこの門を通らなければならないとか。
 道路を挟んで1908年にできたという男子学校がある。
 また向かい側には、1710年に教会として建てられたが、ちょうど革命にぶつかってしまい、一日も教会として使われることがなかったという建物がある。文化館や映画館、博物館などとして使われたそうだ。でも、一応トロイツカヤ(三位一体)教会という名前がついている。
 その横は、ドラマ劇場。



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5-8-2 銅像

 高い塔の周りに3人の像がある。誰という説明の代わりに、あれは3人の馬鹿ですというとんでもない言葉が、ガイドさんの口から飛び出した。兵士と職人と労働者の像だが、スターリン時代を支えていた人たちなのか?
 一人で座って何かを描いているような像は、アンドレイ・ルブリョフ。有名なイコン画家だそうだ。修道士だったが、ここの大聖堂のフレスコ画を描いた人だ。
 ちょうど反対側には立っているレーニンの像がある。まるで、レーニンをモデルに絵を描いているように見えますねえ、と言う。



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5-8-3 ウスペンスキー寺院

 1158年に建設が始められ、14世紀まではロシアの大聖堂の最高位にあった。5つの黄金のドームが輝いている。
 当初、ドームは一つしかなかったのだが、火事にあい、その後もっと大きなものにしようと今度は石灰岩で5つのドームを造った。おなじみのタマネギ型になる前の、ビザンチンタイプ。十字架も一番古いタイプになる。
 鐘楼は、18世紀のもの。
 現在モスクワにある「ウラジーミルの聖母」のイコンも、元々はここにあった。
 ここは、その敷地に入ることもできず、柵の外側から外観の写真を撮るだけだったが、美しい姿は十分に堪能できた。



201008russia3773.jpg「懺悔するマグラダのマリア」部分
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5-8-4 展望台

 ウスペンスキー寺院の周りは公園になっている。先へ進んでいくと、そこが小高い展望台になっていて、町の様子などがよく見える。
そこにまたもや銅像がある。
 一つはこの町の創立者のウラジーミル公。馬に乗って勇ましい姿を見せている。軍旗はキリストのイメージだそうだ。
 その横に付き従っているのは、ギリシャ正教を広めた神父さん。ただそのとき、地元の宗教を信じていた人たちを殺戮したそうだ。
 下を見ると川が流れていた。交通路として使われたそうだ。それに沿ってシベリア鉄道が走っている。モスクワ,ウラジオストック間は1週間もかかるそうだ。
 ここの見学を終えてバスに乗り込んだのは、20時を回った頃。あまりにも明るいので、時間の意識がずれているが、こんな時間まで観光しているとは。
 しかも今朝は、飛行機の移動があったので、6時頃にホテルを出ている。すごいスケジュールだ。



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5-9 スズタリ着・夕食(2109~2203)

メニュー:スープ(スリャンカ)ピロシキ(キャベツの入った大きいのと、ジャムの入ったデザートになるもの)

 ようやくスズタリについたのは、もう9時を過ぎていた。これから食事だ。ホテルではなく一般家庭で、ごちそうになる。と言っても、レストランのようなものだろう。
しっかり準備をして民族衣装を着て待っていてくれた。
食事はいずれもおいしかった。
飲み物がいろいろあって珍しかったので、ものは試しと全種類頼んだ。
ビール100ルーブル、ナナカマド酒、蜂蜜酒、コケモモ酒、山の実ミックスジュースはそれぞれ50ルーブル。
途中で、娘さんたちのピアノ演奏があった。家族ぐるみの歓迎と言うことだが、大変なこと。
食事の後庭に出てみるとなぜか鯉のぼりが。
それから大きい娘さんとお母さんの見送りを受けてホテルへ向かう。この頃になってようやく暮れかけてきた感じだった。



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5-10 ホテル着(2212)
ツアーセンターホテル リザリゾット 520号室

就寝(2420頃)

 ホテルは真っ暗だった。町中が停電していた。
 部屋が分からないので、一人一人懐中電灯を持った人が案内するという騒ぎだった。
 部屋に入っても真っ暗で、何も見えず、手探りで懐中電灯を探し当てた。
 それで少しは動きがとれたが、当然風呂に入ることもできず、荷物の整理もできず。そのまま手探り状態でベッドへ。
 それにしてもこの地方もご多分に漏れず暑い。電気もつかず、たとえ通事だとしても冷房もない。たぶん普通の年なら必要性はほとんどないのだと思う。noriは物騒を顧みずドアを開けて風通しをよくして寝る。それが功を奏した。電気が復旧したことが廊下の明かりの点灯ですぐにわかった。ほかの人たちの気づく前に、シャワーも浴びて、快適になって寝た。



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